ざっき

仕事が終わる。
パソコンを閉じる。
窓に立て掛けている推しの写真と目が合う。
ああ、好きだなぁ…と思う。
肩と頭にのしかかっているタスクがふっと見えなくなるような、そんな力がある。そんな推し。

ここ最近、落ち込むことが多い。
病名や症状がつけられるほど深刻なものではないけれど、なんとなく、感覚のはなし。
わたしは、こんなに神経質だっただろうか?
こんなに些細なことで躓いて挫けてしまう人だったんだろうか?
そんなはずはないと思いながら、でも、「コロナ禍のせい」と言ってしまうにはあまりにもこの環境が日常になりすぎてしまった気がする。
本当は元々こんなネガティブさを持ち合わせた人間だったんじゃないかと、コロナがそれを浮き彫りにさせたに過ぎないんじゃないかと、最近は冷静になってきた。

推しのアクスタが出ることになって、全員揃っているメンバーを全て自担にするために他担と交換取引をしているファンの人を見かけたり、
信用出来ない出版社から出ることになってしまったカレンダーを意気揚々と買っているファンの人を見たり、
どっちも悪くないのに、なんだか私とは「別世界」の人のような気がしてしまって、また勝手に孤独になる。

アルバムのリード曲、自担だけソロパートが与えられていなくて、ちょっとショックだった。
諸事情があるだろうし、彼の才能が否定されたわけじゃないのは分かっている。
でもどうしてそんな歌割りになったのか、考えずにはいられなくて、他担にいくらフォローされようと、これは同担だけの悲しみにさせて欲しい…とかえって落ち込んでしまったり。
TLのキラキラしたツイートを見ているだけで1人悲観している自分が惨めに思えてきたりもした。
例えるなら、自分だけ補欠合格だったのに、堂々合格した周りの友達全員に「みんなで受かってよかったね!補欠合格でも合格は合格だよ!!」と言われているような、そんな気持ち。そんな経験ないけど。笑

こんな些細なことで引っかかってしまうオタクになるとは思わなくて、それにもまた少しショックを受けた。推しが輝いてさえいれば楽しい。そんなライトでハッピーなオタクだったのに、どこに消えてしまったのか。

コロナが明ければ、コロナさえなくなれば、こんな鬱屈とした生活は変わるんだろうか。
それもなんだか、コロナに甘えて言い訳しているだけのような気がする。

緊急事態宣言が延長する可能性、とニュースで話しているのを聞いて、仕事中に泣き出してしまった。
コロナで煽りを受けるような職種ではないけれど、一生懸命耐えているわたしの気持ちは緊急事態に入らないんだろうか。

なんだか、この短期間で色んな感情を持ちすぎた。
疲れちゃったなぁ。

それでも推しに罪はないから、推しを推しているわたしにも罪はないから、今日もオタクをして生きる。

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