たぶん創作しない奴はしあわせ者

大学を出てから長いこと創作をすることはなかった。自分にとって芸術が人生における重大な意味をその期間は少なくとも為さなかったということの現れのように思われる。自分は当時うつくしい女と付き合っていたから、幸福すぎたから、それでもう自分のなかで完結していたのである。結婚の未来もふくめてね。

なんて浅薄な男なんだい、俺ってやつは。

そんなんだからきっと女も寝取られ、挙句にはホームレスにもなる体たらくなのだ。

とかいってまったく懲りていない。今もとっても美女といたいし、そんな女と恋に落ちて逃避行を繰り広げたい。最近、失恋したばっかりなのに、恋敵が慶應生の自分に性格が似ている奴と聞き、なんだか納得したから、すでに開き直っている。しかしなぜ慶應生というのは谷潤の名作『痴人の愛』にも書いてあるとおり、女を奪ってくものなのか。文筆家を名乗っている以上、これは運命かも知らんが。

芸術への意志よりも恋愛への意志がつよすぎる。美女が好きすぎる。ほんとうにこんなんでいいのだろうかと今、執筆している短編小説(近日、web雑誌『高電寺』にて公開)を書きあぐねながら悩む。筆が止まれば可能な限りTinderをのべつ幕なし右スワイプしている。同棲していた女がいてかなり凹む。寝取った男のギターを持ってるのを写真にしていた。ムカついたので、スーパーライクしてやった。

女に出会いたすぎる。これはもうおれのなかで絶対的で、さながら飢えた獣物で、自分は小説とか詩とかメディアをつくることによって、身体を、マーシャル・マクルーハン的な意味で拡張し、その身体によって、本体が消えようとも作品を通して永遠に誰かと出会う可能性を残したいのだ。

つまり永遠に生きていたいってこと?(笑)知らんけど。

この間、自分をフった女はそのように出会ったのだ。何年か前に詠んだ短歌が、歌壇(短歌シーン)で一時期ちょっと取り沙汰されて、時をこえて、彼女のもとに届き、出会わせてくれた。一旦、Tinderを経由したけど。笑

でも結局フラれたので、高学歴で高身長で高収入には文学は負けてしまうかもしれん。でもまあ、短歌一首ならその程度のものだと腹括ってがんばるしかないじゃないか。努力するわ。努力。

そんで早速、短歌をぼちぼち詠んだりしている。あって無いような感覚を呼び戻すも、アホの短歌しか出てこない。不眠症のカビゴン拒食症のカビゴンについての短歌とか。無から無を生み出して、憔悴する。才能がないのでは。新鋭な感じだそうかな、って安易な発想で、大麻草にマリファナとルビを振ってみたり。

この調子では、いずれ創作をやめてしまうんじゃないか自分は。(笑)

贔屓にしてるグラドルの安位薫とか、AV女優の戸田真琴とか、うん、橋本環奈とか? 五感が麻痺するほど美しい女と、万が一結ばれたらさすがにまずいっしょ。いくらなんでもサ。そんなのと付き合った暁には、彼女が閉経するまで、創作をやめると思います。笑


だから先生、苦労と努力は違うんだ。彼は苦労のイチローだった。







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