新宿の安ビリヤード場

情けない失恋からすでに一週間は経ったというのに俺はやさぐれている。読書と筋トレで男を磨くのが粋だと渋家やらTwitterで喧伝してるものの、連日の梅雨ほど俺は陰湿で、筋トレはまちまち、読書も最低限に止まる。一体、人のやる気というのはこうも簡単に落ちやすいものなのか。今や毎日コテで縮小させていた天然パーマも制御するのが鬱陶しく、その日の湿度のままに爆発し、その姿は腐ったブロッコリーみたいで我ながら嫌になる。

そんなところに、「ビリヤード行かね?」と誘うのは渋家のササキソウだ。おれは「読書がある」と言ったけれど、場代は出すというから、それじゃあ、ってやっぱり着いていく始末。彼は最近ビリヤードにハマってらっしゃるようで、つい二日前おれと新宿の安ビリヤード場に行ったばかりだ。

そして新宿へ歩きだす俺、ソウくん、さらに加わってキューちゃん。場代で借りを作るのは今後奢らなければならない状況が発生するので、コンビニで酒を奢る。おれは酒を控えるとは言ったが、断つとは言っていない。こういうときにはしっかりスト缶を飲む。実をいうとスト缶のポイントでもらえるパーカーが欲しい。酒の距離は開けたくせにこの類のものは未練がましく欲しいのは情けなさを感じるが、こういう自分をちょっとだけお茶目だと思う。

歩くこと30分、着いた頃には一人前の酔っ払いが完成している。ソウとキューは日頃からそれなりに飲酒しているのか、あまり酔っ払っていない。おれの脳だけが堕落と退廃の濃霧に侵食されて、楽しいけれど、また駄目になってしまうことはなんとなくわかる。酒で失敗しまくってきた人生だから言える。こんなものはさっさと禁止薬物にしてしまった方がいい。代わりにマリファナを合法にするのだ。と言いたいが、おれみたいな奴はマリファナを吸ったところで失敗しまくるだろう。

ダーツとビリヤードを1時間ずつ嗜む。計2時間。狙ったところにはダーツは刺さらんし、ビリヤードは狙いの玉を落とせない。非論理的に浮かぶ人生の縮図。具象から抽象へ飛翔する我がポエジーのなんとみっともないこと!なんて思いを馳せ、シラフで歌舞伎町を歩く。二人はラブホを散策しに行き、おれは目的がないまま一人になりにけり。孤独。Twitterで一応、歌舞伎町いる人〜と呟く。そこら辺で飲んでそうなやまいずは今日に限っていない。Tinderは売女みたいなのしかいない。

藤田直希から着信。「今からいくわ」。30分後、着。

貸しがあったので全部奢ってもらった。おおむね楽しかったが最近、恋人がいるみたいで、しばしばその話をされて、追い討ちをかけられた気分になる。おれは病的に女が好きなのだ。っていうか病。やけくそになり大泥酔。

なぜおれはいつもこうなるのか。目的を持って行動すると、だいたい第一目的が達成されない。第一目的が不本意な壁に衝突し、あらぬ方向へむかい、酒やカネや女、いろんな雑念がそのときそのときで腑に落ちるまでその動きをやめない。けっきょく雑念をひとつずつ処理するまで、目的に真に向き合うことができない体たらく。しかし難儀なのは女を完全に満足したとき、おれは創作への道をやめてしまうだろうから、女に不満足なまま、ひとつノイズを意図的に残したまま、邁進していかなきゃならぬということ。


数日後、『我他3号』届く。今回、大山海のエッセイはマンガの書き方について記してあった。

もちろん、マンガ専門学校や大学のマンガ学科も行く必要はありません。/学校に行くなら出来るだけ、良い学校へ行くか、大学に行く四年間を、自分なりの絵の勉強、読書、映画鑑賞、友達と遊ぶ、ギャンブルに身を持ち崩す、労働、女遊び、等に力を入れれば良い。/できるだけ、その四年間は漫画以外のことをすれば良いのです。(大山海のつまらないマンガ教室)

まったく玄妙なこと抜かすぜ。

これは別にマンガだけのことだけを言っているわけではなく、読者によって小説にも映画にも置き換えることができるだろう。

おれの場合は小説と詩なわけだが、悲しいかな、大学の4年間、酒にも女にもギャンブルにも身を持ち崩したが、つまり文学以外のことを精いっぱい生きてきたが、現状はこの通り、へなへなな文章に、「である」とか申し訳程度に装着したみたいな駄文である。

嘘をつくな大山海よ。そんなことに身を持ち崩すのは誰だってできるのだ。本当に大事なのは努力って言わないのは、そういうのが粋だと思っているからだ。

適度に酒を飲み、適度にギャンブルに身を持ちくずし、適度に女遊びをする。あっ。これじゃんと思って、全部に手出したら、やっぱり文学のことは忘れさってて、薄明。



投げ銭をいただけると、「やりがい」を感じちゃいます。