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軸を持って着たい服を着る

この夏は、私服の制服化でほぼ毎日同じ服を着ている。

ユニクロ/エアリズムコットンオーバーサイズT
GU/リブプルオンパンツ

毎日洗濯するので3セットを無心でローテしおり、寝巻きを兼普段着である。涼しい頃は着替えずそのまま出掛けていたが、暑くなってきてからはさすがに出掛ける前に着替えている。乾いていれば同じTシャツ、難しければブラウスや他のTシャツを着た。

ということでこのセット以外も着用しつつも、ブラウスはきれいめが必要な予定に合わせて、他のTシャツは趣味の習いごとに合わせて購入したものだ。基本のセットというものがあるのは、応用が効いて快適。

その上ボトムやサンダル、カバンなどおおむね毎日身に付けているものと合っている。

合っているといっても、「おしゃれ」とか「コーデとして合っている」かはわからない。単純にゆったりしたサイズ感で丈も長め、乾きにくすぎず着心地がいいという私の希望に合っているといったところだ。

おしゃれかはわからない

この、おしゃれかはわからないという感覚を何の気なしに受け入れているのはここ最近のことだ。とにもかくにも楽したいという心情にならって、自分が楽だと思う服だけを着ることにした。

・オーバーサイズ
・ロング丈
・かわきやすい
・着心地がいい
・高すぎず店舗数も多く買いやすい

楽だと思う服

楽を突き詰めて服を着ていたら、自分の心地の良い服が残ったし、心地の良い家事や予定と取捨選択が安易になってきた。こうなってくると「おしゃれかどうかとかはまあいいか。」と思えてくるし、一方で心身や時間の余裕が生まれたことで「この服は着たいな。」というものがぽつぽつと出てきた。

とにもかくにも着たい

私の服選びの軸となっているのは「楽である」ことと「このバブアーに合うか」ということである。私の中で「合うな」と思えばおしゃれかどうかは気にならなくなってきた。

かわいすぎる

この、「合うな」は実に感覚的なものではあるのだが、今の自分が着て心身ともにしっくりくると感じたら「合うな」となる。半端にかじった知識から、「柄と柄になるなあ。」「丈感が。」と他人軸を気にする私も存在はしているのだが、他人軸を気にしすぎる私が主導権を握ることはなくなってきた。

他人軸の自分ごと、「でも楽だし私はしっくりきてるよ!」という自分が覆っている感覚だ。

社会性が求められる人類にとって、他人軸を持つことはひとつの生命線と考えている。人がどう感じるかを捨てすぎるてあまりにTPOから外れてしまうと、少なくとも私は、生きづらくなってしまう。主導権は自分軸であること、それができれば問題ない。

これまでの私は他人軸に主導権があり、ああでもないこうでもないと迷子になってきた。服選びに限ったことではない。人生学びが過ぎる。

ということで、服選びだけでも軸があると楽だなあと思っている次第だ。

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