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許すという行為は尊いこと、というリクツが自分を責める

今回もFacebookに書きながら「こりゃ、投稿したらマズイわ」となった記事をnoteへシフト。

noteの使い方を誤っている気もしないではないが、使い方なんて人それぞれですものね。



今年のおみくじは「大福」でした
ちょっとお茶淹れてくる!



一度不信感を抱いてしまった相手を、どうしたら私はもう一度信頼できるようになるのだろうと、“相手を許さなければならないのに許せない自分”を責めてしまって年末年始ずっと苦しんでいたのですが…

これって、頑張るのは私の方じゃないのではなかろうかという念がやっと胸をよぎりました。

「謝ったんだからこれでこの話はおしまい!」

というのは、許す側が言うのであって、誤った側が相手に求めることじゃないんだな、と。

なんで私、こうやって、自分が悪くない時でさえ自分で自分を責めてしまうんだろうなあ〜。


ってなわけで

上司の行為を「セクハラ」だと感じた私。

悪意がないから自覚もない(しかも、酒飲んでるから記憶にないと思ってる)上司。

上司を許せず、沸き出す「キモい」の感情から丁寧に接することができない私。

そうして、人に対して丁寧に接することができない自分を責める私。

「人を許す」ということが人として高尚だと思っているのだけれど、それができないことで自分を責めるというのはなんだか、高尚な生き方を目指すこと自体が本末転倒になってしまう気もする。

これはもう職場を変えるしかないのではなかろうか、と思いつつ、また転職するの?という壁の高さに屈しそうになるし、でも場を変えなければこのままストレスフルな状況は変わらないし…

と、かなり閉塞感抱えています。

打破するために、自分に力をつけなければ。
ば。
ば〜!

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