ひさびさ雑記

今、1歳になったねこを飼っている。

これまで私は圧倒的な犬派で、実家で一緒に暮らしてきたのも犬たち。
そんな私がねこを飼い始めた。

8年前に亡くなったパピヨンの男の子は、ねこがとても嫌いだった。
嫌いというか、苦手で、実家の窓の外を野良猫が通ると、すぐに身を隠してしまうほどにおびえていた。

だから、私がねこを飼い始めたら、先代犬はちょっと嫉妬するのかな、なんて思ったりして。
それが本当かどうかはわからないけれど、ねこを飼う前は夢の中にちょくちょく遊びに来てくれた先代犬が、ねこを飼い始めてからはぱったり遊びにこなくなった。


昨日、夢を見た。

先代犬がいた。ご自慢の真っ白な毛をふわふわと漂わせ、いつも私にするように、前足で私の腕をつかんでいた。
「そうだ、私ね、今ねこちゃんと暮らしているんだよ」
私は先代犬にそう語り掛け、今いるねこと会わせた。

先代犬は、ねこと一緒に寝始めて、ねこもそれをあたたかく感じたのか、すやすやと寝息を立てていた。

許してくれたんだな。

そう思った。


犬はあまりにひどい死に方をした。
決して安らかな旅立ちではなかった。あんなに好きだったごはんが食べられなくなり、骨と皮だけになり、最後はおそらく餓死だった。

私たち家族は延命治療を断り、自然の摂理通りに、できるだけ痛みと苦しみを取り除いてもらえる治療だけをしてもらった。
それが正解だったのかはわからない。

もっと生きたかったかもしれない。あそこで治療をしていたら、もっと長生きしたのかもしれない。それに私は死に目に会えなかった。後悔は山ほどある。


ねこはあまりにひどい生まれ方をした。
生き地獄としか思えない場所で生まれ、兄弟たちはみんな共食いされ、死んでいった。

でも、いろんな運命に導かれて、私はねこを引き取る決意をした。
あまりに過酷な場所から引き取られたから、たくさんの病気を持っていた。
少しでも健やかに、長生きして欲しいと、週1の病院だって喜んで連れて行っている。
でもそれが正しいのか。私の元で暮らしているのが正解なのか、今もわからない。

でも、今こうしてすやすやと寝息を立てているねこが、あんまりにもいとおしくて。

私はまた泣いてしまうんだよな。


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