恋色の赤~Red Love~ ―短編小説―

 

 運命の赤い糸って、信じる?

 たとえば彼と彼女は前世の縁があって今こうして結ばれているだとか、奇跡が起こったために結婚を決意しただとか、そういう「運命」ってものが、いたるところに転がっているって、思う?

 私は運命の赤い糸なんて信じない。

 ……いや、違うな。信じたくない、だ。

 でも私の目の前には運命の赤い糸がすぅっと伸びていた。

 私の左手の小指から、どこか遠くへと続く赤い糸。それは比喩なんてものではなくて、リアルなものとして糸があるんだ。でも感覚はない。結ばれてるだなんて感覚はない。それでも確かにここにある。裁縫に使うような、今にでも切れてしまうんじゃないかって心細くなる赤い糸。

 今朝、目覚めたときから小指にあった。不思議なことに部屋の扉も突き抜けてどこかへと真っ直ぐ伸びていた。

 寝起きの私は驚くわけでもなく、まあ人生にはこんなこともあるよね、と二度寝に吸い寄せられてしまった。そして再び目を覚ましてから事態の深刻さを知った。

 深刻さを「知る」だなんて、変な表現だ。私はなにひとつわかっちゃいないんだから。

 この糸と、その先に何があるのか。

「あら、日曜なのに早いのね」とお母さんは言った。

「ねーちゃん、プリキュアまだだよ?」と弟も。

 二人は寝癖でぼさぼさになった私の頭には目を向けるものの、一度としてこの小指を――そして赤い糸を――見ることもなかった。私の指には“何もないかのように”。

「私が好きなのはハートキャッチの頃のプリキュアよ」

 平常心平常心。

 何かを悟られちゃダメな気がした。

 見ればお母さんたちの小指からも赤い糸がにょーんって伸びていた。お母さんの糸は東へ向かっている。たしかその方向には、お父さんの会社があったような気がする。弟の小指にも糸があって、それもやっぱりどこかへと続いているのだろう。

 ――運命の赤い糸。

 そんな言葉が、私の頭の中に浮かんだ。


 この日、私の小指に運命の赤い糸が結ばれた。


○ ○ ○ ○ ○


 運命って、なんだ。

 私は思う。

 運命って、なんだ。

 それってなんだか、私が私として認められていないように感じられるんだ。

 私が歩んでるのは私の人生じゃなくって、神様とかそういう人が決めちゃったレールの上で、私の意思とか努力とかそういうのまるっと全部関係なくて、ううんそうじゃなくって、そもそもそういう意思も努力も全部『するように初めから決められてた』みたいで。

 だから、願わくは、

 この糸が、大好きな木山くんとは繋がってなければいいのに


○ ○ ○ ○ ○


 しかし現実なんて私の思い通りにはならないことを知っていた。

 赤い糸が見えるようになった翌日。

 学校に向かって歩いていると、校門近くに木山くんがいた。

「よう、七海」

 木山くんは手を上げて私の名を呼んだ。左手を、挙げていた。そこにはやはり赤い糸。思わず顔を背けたくなった。息苦しい。目の縁に込み上げる何か。くちびるを噛んでこらえる。

 ――私の赤い糸は、木山くんの小指へとたどり着いていた。

 なんだ、これ。なんだこれ。なんなんだよ。

 これじゃあ、まるで私の恋愛感情が嘘っぱちみたいじゃないか。私は木山くんのことなんか好きでも何でもなくて、ただ「運命だから」というだけで「好きになった」という勘違いをさせられてるんだ。

 ああ、運命って、なんて残酷。

「どうしたんだ、七海」

 もう彼の声は聞きたくなかった。

 私は彼に背を向けて逃げ出した。逃げてどうしようなんてことは考えもせずに。こぼれた涙の数だけ、私は何かを嫌いになった。神様とか、そういう存在。運命なんていう馬鹿げたものを作った誰か。そして、私に運命を見えるようにしてしまった誰か。

 涙であやふやになった。それでも右や左には小指に赤い糸を巻きつけた人だらけで私はもうどこにも行けなくなった。逃げてしまいたい。見えるすべてを消し去って、たったひとりぼっちになりたい。あてのない逃避の先には公園。ドーム型の遊具に隠れて体を小さくする。頭上から差し込む光が痛かった。蛇のような怒りが私の胸を食い破って今にも声を上げて泣き叫びたくなる。

 私は、運命なんて見たくなかった。

 仮に私が運命の中で生きていたとしても、どうして私にそれを見せつけるんだ。小指から流れる赤い糸。それを引きちぎりたいけど、私は糸には触れない。

 糸は私の意思とは無関係に楽しそうにたゆたっている。その向こうには木山くんがいるんだ。

 ――もしも。と、私の中でひとつの考えが浮かんだ。

 もしも私がこの場で死んだら、この赤い糸はどうなるんだろう。私と彼との糸は切れて、私ではない誰かに木山くんの糸は繋がるのだろうか。

 それはそれで、いいのかもしれない。

 砂漠の雨のような誘惑は、たしかに私の手を引いた。もしもこの場にナイフがあったなら、この左手首に深い傷を付けられるのに。

 赤い赤い血。糸よりもずっと赤くて、たしかな赤さを持った血。それは私の左手を真っ赤にするんだろう。そしてそのまま、糸なんて溶けてしまえばいい。

 うつむいて、ひたすら丸くなった。

 どこかで聞こえるはずの車の音も、人の声も、風のざわめきも、小鳥の歌も、どれもどろりと濁っていた。涙があふれ出す。一度あふれてしまったら、もう自分の意思ではどうにもならない。水の入ったコップを倒したように、乾ききるまで止まらない。

「あぁあ、うぅぅううぁああっ、あっ、う、うぅぁああぁ、ああぁぅぁあっ、あっ、ぅう、ぅあああぁああああぁぁああああ」

 あえいで、もがいて、うらんで、きずついて。

 本当の失恋ってものを、私は知った。私は「恋」を奪われた。


「ごめんよ」


 と、その声に、私は顔を上げた。

 なみだでぐちゃぐちゃになった視界で、ぼんやりとなにかの輪郭が浮かんでいた。しゃがんで、そっと私の顔をうかがう誰か。……え?

「きゃああ!!」

 なんで。なんでここにいるの? いつの間に!? 私はあわてて顔を覆い隠す。メイクも崩れたみっともない顔。泣いているふぎゃふぎゃな顔。見られたくない。誰がどうしてここにいるのかよりもまず先に考えたのはそんなことだった。

 私は制服の袖で一生懸命涙をぬぐって、乱れた前髪を手櫛で直す。それからようやく向き直る。そこにいたのは見も知らない男の人だった。

 私より少し年上の、きっと二十何歳とかの男の人。ぼさぼさ頭で眠そうな顔。ひげも揃ってないし、なんか、今起きてきたみたいな人。でも彼の小指には赤い糸がなかった。

「だ、だれですか、不審者なら警察呼びますよ!」

 今になって事態の深刻さに気がついた。

 だって、こんな誰もいない場所で二人って――。

 私は胸を隠して後ずさる。でも狭いドームの中ではすぐに行き止まり。背中を打って「うっ」と声が出た。私と男の距離は1メートルと少ししかない。

「うーむ、いい用心だ。ただな、お嬢ちゃん、俺は別にキミを襲うだなんて考えていない。何より俺は性欲ってものがなくてな。……いや、それはどうでもいいか」

 ぶつくさ呟いて、男は「本題はだな」と始めた。

「キミの赤い糸についてなんだ」

 赤い糸――左手の小指から木山くんの小指へ繋がる赤い糸。それを聞いてうっかり警戒を緩めそうになるが、ある事実に気づいてからは鳥肌と共によりいっそう警戒する。

「ど、どうしてそれを知ってるんですか、だって、これ、誰にも見えるはずないのに!」

 そう。この糸は私以外の人には見えない――はず。でもどうしてこの人は……?

「そうだな、ああ、誰にも見えない。年齢や性別の区別なく、この世で赤い糸を見れるのはお嬢ちゃんだけだ。……この世では、な」

 意味深な言い回し。

「この世って、じゃあ他の世界の人には見えるっていうんですか」

「ああ。たとえば俺のような、赤い糸の管理人には見える」

「赤――え?」

「こちら側の不手際でな、なぜかお嬢ちゃんにだけ赤い糸が見えるようになっちまったんだ。ああ、ゆとり真っ盛りのやつを雇っちまったのが運の尽きだよ、応用力がなくってな」

「ちょ、ちょちょちょ、待ってください。いきなりのことでなにやらさっぱりで……もしかしてあなたって、神様か何かですか!?」

 男は、あー、と唸ると、ぼりぼり頭を掻いた。

「神様っつーか、キューピッド? 恋のキューピッドだよ」

 キューピッドって、こんなぼさぼさ頭が? これは笑うべきなの?

「頭、だいじょうぶですか?」

「うるせぇ。他に言い方が思いつかなかったんだよ……。いいからよく聞け。赤い糸を管理する――それが俺たちの役目でな。こっちのミスでお嬢ちゃんを苦しめちまったようだから、何かひとつだけお詫びがしたくってな」

「何かひとつだけ……?」

「特例だ。ふつうじゃこんなこと禁じられてる。今回だけ、たとえば恋を成就させてくれだとかなんだとか、俺たちにできることならなんでもしてやるよ」

 ――なんでも。

 私は、赤い糸を見た。糸は変わらず学校――木山くんがいる場所――へ向かっていた。

「じゃあ、いいですか、ひとつだけ」

 そして私は彼にひとつの願いを伝えた。

 すると恋のキューピッドと名乗るこの男は目を点にして呆けていた。


○ ○ ○ ○ ○


 ドーム型遊具を出ると、太陽が目にまぶしかった。小鳥の歌が私を迎える。公園にある木は、風に揺られて気持ちよさそうだった。どこかで聞こえる人の声も車の音も、私にとっては懐かしさを覚えた。

 男は携帯電話(?)でどこかに連絡している。きっと私の『願い』についてだろう。願いを叶えること自体、そんなに難しいことではないらしい。やがて電話を終えると私のもとへ歩いてきた。

「どうやら申請を受けてくれたそうだ。たぶんあと五分くらいで『願い』が叶えられるだろうよ。しかし、いいのか、あんなので」

「いいの。そうしなきゃ、ダメだから」

「……まあお嬢ちゃんが良いなら構わないよ。俺だってこれ以上の関わりを持つつもりはない。業務に戻らなきゃいけねぇしな」

 そう言うと男は「じゃあな」と背を向けた。

 私はその背中に言う。「最後に、ひとつだけ質問させてください。もしも、赤い糸が結ばれてるどちらかが死んじゃったら、どうなるんですか?」

「ああん?」男は顔だけ振り返る。つまらなそうな顔だった。「だったら新しく別の誰かに結ばれるだろうよ。そこらへんは上手くつじつまが合うようになってんだ」

 それだけ聞くと「ありがとうございました。では、さようなら」と頭を下げた。

 ――運命は、変えられるんだ。

「あ」

 私の手にはもう赤い糸がなかった。というか、もう”見えない”。何をどうしてくれたのかはわからないけど、赤い糸を見る力は『願い』を叶えると同時に消える。つまりは――。

 私の体に異変が起こった。


 私の中の木山くんが、消え始めた。


○ ○ ○ ○ ○


「あんた、正気か?」

 それが私の『願い』に与えられたリアクションだった。

「正気ですよ」と私は答えた。

 ドーム型遊具の中、つい数分前のこと。

 私が彼に伝えた『願い』は「木山くん以外の誰かへ私の赤い糸をつないでもらう」ということだった。

「なんだってそんな願いを……」

「だって、それでも木山くんへの思いが残ってたら――私の恋が本物だったって言えるでしょ?」

 すると男は「お前、頭だいじょうぶか?」と告げた。

「一生成就することのない恋なんだぞ?」


○ ○ ○ ○ ○


 こうして今、私の中の木山くんが消えかかっているのは、あの『願い』が叶えられたからなんだ。

 木山くん。頭がよくてスポーツができて、笑顔がすてきで、いつも友達に囲まれてて、歯が白くって、困り顔がかわいくて、お母さん思いで、ひたむきで、たまにつぶやくだじゃれが面白くって、消しゴムを拾ってくれて、よく挨拶をしてくれて、体育の後の顔が生き生きしてて、悪いことが許せなくて、授業中に眠気と格闘していて、よく笑って、慌てると自分の鼻を触る癖があって、緊張したときこそ大声になって、私の髪型を褒めてくれて、弟のことをよく自慢していて、夏が一番好きで、男女分け隔てなく接して、たまにぬけてて、嬉しいときの顔はみんなを嬉しくさせて、やわらかい空気を持っていて、小さな事にも気がつく木山くん。木山くん。木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん木山くん。私の大好きな木山くん。

 うん、私は今でも木山くんのことが好きだ、大好きだ。

 他の誰でもない木山くんが好きなんだ。

 彼の顔が再び浮かんでくる。にっこりと微笑む、私の一番好きな顔。少しだけ心臓が跳ねた。

 私のこの恋は、本物だったんだ。

 ――一生成就することのない恋なんだぞ?

 あの男の声が蘇る。

 成就するかどうかなんて、わからないじゃないか。

 だって、運命は変えられるかもしれないから。

 何か、強い思いがあれば、運命は変えられるかもしれない。何より今の私は、別の誰かと赤い糸が繋がってるはずなのに、まだ木山くんのことが好きなのだから。

 それってつまり、運命に抗ってるってことじゃないの?

 たしかな「恋」を胸に秘めて、私は歩き出した。

「さて、遅刻の言い訳でも考えなくっちゃ」


 私の青春はこれから始まる。



ショートショートのお題、待ってます!
10文字程度のお題をください。
前回の作品はこちらです
作品集目次
他サイトでも活動中 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?