あなたへ ―ショートショート―

お題「angel plays, miracle pray」
(お題提供者 5ol.imo さん)


「俺な、お前が生まれてくるとき、お前が死んでも良いからお母さんだけでも助かって欲しいって思ってたんだよ」

 二十歳になったお前と初めてのサシ飲み。

 その日、うっかり口を滑らせてしまった。

 きっと酒のせいだ。酒は俺を曖昧にし、境界線を透明にする。頭の中がくぁんくぁんと揺らめく。居酒屋の中で響く昭和の音楽が懐かしい臭いを放つ。赤みを帯びた電灯は、俺の上で小さくともっていた。

 俺の妻、純子の初めての出産のとき、お前は逆子だった。つまりお腹の中で逆さまになっていて、このまま出産したら危険だっていう状態だったんだ。すると純子は逡巡することもなく「帝王切開で」と言った。自分の腹を裂いてくれ、って言ったんだ。

 俺は心の中で確かに思った。

 帝王切開なんてしないでくれ。もしそれで純子が死んでしまったらどうなるんだ。

 って。

 何しろ、身内が手術したことなんて俺の人生ではそれが初めてだったから、もしも手術が失敗して純子が死んでしまったらどうしようって思いばかりが脳内を駆け巡って、そして生まれてくるお前を呪った。お前が死んでもいい。でも、純子だけはどうにか生きていてくれ。俺は確かにそう思ったんだ。

 世界で一番愛しているのは純子なんだ。それは今でも変わらない。俺を生んだ母親より、お前より、誰よりも純子なんだ。純子が死んだら俺も死にたい。だが、お前が無事に生まれてきてしまったら、それもできない……。

 だから呪った。

 それを今でも後悔している。何しろ、お前が生まれてきたとき、お前は無呼吸だったんだからな。一分も呼吸しなかった。医者は「息をしても、もしかしたら脳に障害が出るかもしれません」と言った。純子は泣き崩れた。俺はその姿を見て、さぁぁ、と背中が冷たくなるのを感じたんだ。俺のせいだ。俺があんなことを考えたからこうなったんじゃないか。でもそう考えるのと同時に、純子が死ななくてよかったと安堵している俺もいた。結果として障害も出なかったから良かったが……。

 お前は俺の告白を聞き、ぼぉっと俺を見た。

 酔った赤い顔。俺の言葉が届いてしまったかどうか。できることなら、俺の言葉も酔いに紛れて消えてしまえばいい。

 あのときと同じように、背中が冷たくなった。いよいよ俺は、父親として失格のレッテルを貼られるのかもしれない。ああそうか、今ではそれが怖いくらいに、お前のことも好きなんだな。

 お前は、口を開いた。

「――いいよ」

 と。

「え?」うっかり俺は訊き返してしまった。

 そしてお前は言う。

「いいよ、それは。……ってか、それはぜんぜん良いよ。さすがだよ。俺がお父さんの立場でもきっとそう思ってたはずだから。つーか、そう思わなきゃダメじゃん。お母さんのこと好きなんだから当然だよ」

 責めるようなこともせず、お前は満面の笑みで俺を受け入れてくれたのだ。

 それを聞き俺は、

「そうか。……トイレ行ってくる」

 と席を立った。

 漏れそうになる涙を、お前には見せたくはなかった。


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