もの食う者 ―ショートショート―

 貴方は子鹿をどこから食すだろうか。

 私の恋人は後ろ足に迷いなく食らいつくが、私はやはり腹部である。

 かように我々というものは同じ「食う」も異なる。なかなかにグルメである。たとえばある者は血を嫌う。血が抜けるのを待ってから食うという。しかし時間を経れば好機を逃すというのは世の習いだ。血が抜けるまで待てば肉のうま味が減るだろうに、と、私などは思うものだ。

 食の話題というものは尽きない。何しろ、我々は常に食い物を求めている。生きるために食しているのか、食していることが生きることなのか、私にはわからない。

 ともかくとして、今日この日もまた、食を求めて恋人と山を散策していた。彼女は率先して歩き、私はその後ろを追う。その間も、つい彼女の後ろ姿に見とれていた。私の恋人は脚が長く美しい。つい先日も、「あたし、脚の手入れだけは欠かさないの」と語っていた。そんな恋人を持つ身として私も鼻が高い。

 木の葉が作り出す格子の影は、風と共にゆるやかに形を変える。その影にいくつかの別の影が混じった。小鳥である。山では、小鳥が美味である。小鳥らは私の頭上を飛び回る。おちょくるようなさえずりに、私の腹は空腹を訴える。

「そろそろおなかが空いたわね」

 と、彼女もまた私と同じことを考えていたようであった。私は「ああ」と頷いた。

 我々が歩く山道の近くには大きな傘のキノコが生えている。しかし我々はキノコを食わない。私の友人は空腹に耐えかねてキノコを貪ったことがあった。一時の空腹は改善されたようであったが、翌日の早朝には泡を吹いて死んでいた。以来、我々はキノコを食うという愚行は犯さぬよう決めていた。

 今日狙うは肉である。

 ここしばらく肉という肉にありついていない。先日、うさぎを恋人と共に食ったが、それ以来山菜などしか口にしていなかった。

 山菜では物足りないのだ。肉とは麻薬のようなもので、しばらく食っていないと、無性に叫びたくなる。幼子のように暴れたくもなる。困ったことに、これが我々なのだ。

 私は今、猛烈に肉を求めている。恋人もまた同様で、あたりを見る目はいつになく鋭い。

 今日も肉にありつけぬのなら、仕方がない、山を下りるしかなかろう。山を下りれば危険が伴うということは、たびたび耳にする。ゆえに私は未だ山にとどまったままであったが、餓死するよりはよいかもしれない。

 山の下には人間が住むという。それはとても気性が荒く、我々を見つけるとすぐさま小石のようなものを吐いて襲ってくる。我々はその攻撃手段を「テッポウ」と呼んでいる。このような人間が跋扈する土地ではあるが、そこに生息する生物はみな美味いという。さながら食べられるために存在しているような味だそうだ。かつてその地に下りたことのある者は喜色満面でその味について語った。

 なればこそ、よい機会かもしれぬ。

 この日何も得られぬというのであれば、山の下へと旅立ってみよう。そこに生息する豚などを食い、その味を皆に自慢しよう。などと考えていると、彼女が私の前で立ち止まった。どうした、と私は尋ねる。

「しっ。……ほら、あそこ見える?」

 言われるがまま、その方を向く。すると一匹の人間がいた。鮮やかな色彩の表皮をしたそいつは、私たちには気づいていない。「あれを捕らえられるかしら」「やめておけ。人間は危険だ」「ううん、あたしやるわ。だって久々の肉よ? あなただって食べたいんでしょう?」

 そう言われては言葉がない。私も、腹の音が人間に聞こえぬよう我慢するので精一杯だった。

「ならば、行こう」

 私は先に草むらから飛び出た。人間は驚いたように仰け反ると、吠えながらテッポウで小石を放ってきた。しかし私は身を翻す。小石は私のそばをかすめ、遙か彼方へ飛んでいった。その隙に、私の恋人が人間の背後から襲いかかった。彼女が首もとにかみつくと、人間は血を流して眠った。

「思ったより脆いのね」彼女は赤い口で言う。

「そんなことはいい。早く食そうぞ」

 すると彼女は「待って」と言った。私は逸る気持ちを抑えきれず「何だ」と語気が荒くなる。しかしそんな私に怯えるでもなく、彼女は人間の胸元に食いついた。

 先駆けがしたかったのか、と怒りを覚えるが、そうではなかった。

「こうやってこの変な表皮を剥いでしまえば美味しいのよ」

 表皮を剥げば、桃のような色の肉が現れた。その不思議な食い方に驚く私であったが、一口かじって私は言った。

「美味である」

 もうしばらくは山を下りずに済むようだ。


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