新訳・ドラえもん 出来杉くんのジレンマ ―短編小説―

数年前に、トヨタのCMを見て書いた二次創作。
(CMを見てから読めばさらに面白く感じるかも)
ただ、「二次創作はいけない」という強い反発があったら削除します。

 

 

 僕こと出木杉英才(ヒデトシ)の話をしよう。

 こんなことを自分で言うのも失笑ものだが、僕は容姿端麗、スポーツ万能、成績優秀の天才にして鬼才であった。自分は優秀だということを生まれながらにして認識できていた僕は、数々のコンクールで最優秀賞を得て、またテストなどでは一度もミスをしたこともなかった。小学校時代のあだ名が『出来杉』となるほどに僕は万能であり、僕に出来ないことはなかった。そのため様々な人間から信頼を得て、好意も持たれていた。

 しかしそれらは、あの日を境に変わっていった。

 小学校五年生の時のことである。

 ドラえもんと名乗る一匹(一台)の猫型ロボットが現れたのだ。

 それは二十二世紀から来たという。かようなものが現実として現れるなど信用できるはずもない。僕は着ぐるみか何かだと一瞬疑ってみたものの、物理法則を無視した四次元ポケットというポケットから様々な道具(それもまた現在の科学では説明がつかない奇天烈なものである)を出すのだ、僕はこのドラえもんという猫型ロボットの話を信じるしかなかった。

 問題はここからだ。『出来杉』の僕と彼では、どちらが頼られるか。

 問うまでもなく答えは後者であった。僕と彼には歴然とした力の差がある。僕は馬鹿ではない、それくらいは容易に理解できた。

 この日から、着々と『出来杉』という株は値を落としていった。

 思えばそれはきっかけに過ぎなかった。どのみちそうなったであろうことは今となってみればよくわかる。早いか遅いか。それくらいの差異でしかない。過程なんて小さな問題だ。ようは結果。林檎の実が必ず落ちるように、僕は堕ちていったのだ。

 実を言えば、芽はすでに小学校時代にもあった。

 ある日、クラスメイトの剛田武(通称・ジャイアン)に野球をやらないかと誘われたことがあった。彼の目には「何でも出来る出木杉に野球で恥をかかせてやろう」という思いが表れていたのは明白だった。ただあいにく僕は野球を少しばかりかじったことがあり、彼の――小学生としてはそれなりに速い――球を場外に飛ばすことくらい容易であった。

 これで注目すべき点は、僕が野球を出来たという点ではない。

 僕が優秀であるために僕を妬む人間がその当時から存在していたという点に他ならないのだ。

 中学校に上がってから、それは顕著になった。

 思春期真っ直中である彼らにとって、僕は忌み嫌うべき存在であった。初めは「すごいすごい」と持てはやした彼らであったが、中学生活が始まってからおよそ半年がたった頃であろう、僕に対する陰口が広まっていった。

「うざい」「いい気になっている」「人じゃない」「気持ち悪い」

 陰口の口火を切った人間についてはおおよその当たりはついているが、ここで言及するのは止そう(論点がずれるため)。

 そして僕は思い至ったのだ。

 何でも出来る『出来杉』に一つだけ出来ないことがあることを。

 僕は親友と呼べる存在が生まれてこの方、 “出来た”ことがなかった。

 何とも皮肉な話だ。

 優秀であり、何でも出来るために、出来ないことが生まれる。

 思った。ああ、そういえば全盛期――小学校時代もそうだった、と。

 野比のび太や源静香、剛田武、骨川スネ夫の四人(猫型ロボットのドラえもんを含めれば五人となる)と僕は多くの交流を持っていたが、彼らと僕には見えない隔たりがあった。 

 一つ例を挙げれば、彼らは何度か地球を救うような冒険をしたことがあるという。とても信じがたい話だが、彼らはそのことについて熱く僕に言い聞かせた。ドラえもんという非現実な現実がいる以上、水を飲むように僕は理解せざるを得なかった。そのたびに「それはすごいじゃないか」と驚いたふりをしてやる――腹の中のどす黒い顔が見えないように。

 そう。彼らの冒険に僕は一度も参加したことはなかった。

 信頼されている。好かれている。その事実に甘えていた。それだけで親友になれるはずなんてないのに。

 それを悟ったとき、僕は野比のび太に嫉妬した。

 何も出来ない彼は、何もかもが出来る僕より大切なものを持っているのだ。たとえば親友。たとえば好意(僕に向けられたようなものではなく)。

 僕と彼はまるで対極。陰と陽。ゆがんだ鏡でも見ているかのようだった。

 明らかに、僕は彼より劣っている。

 こうして僕は今年、30歳を迎えた。

 一歩も家から出ることもない、いわゆるニートという存在に成り下がったのだ。中学からのいじめに僕は耐えかね不登校となり、自宅学習を続けて高校に上がるもそこで再度いじめが起こり、果てに僕は高校を中退した。

 なるべくしてなった。今の僕ならそう思える。

 天才にして鬼才の出木杉英才。
 そして――出来杉くん。

 それはあまりにも脆い称号であり、今では誰一人として『出来杉くん』などと呼んでくれる者はいない。儚く散った理想の自分は、理想の自分自らが心臓に杭を打ったのだ。

「ならば――」

 そう思ってしまった僕にブレーキなどというものは存在しない。

「――ならば僕は、死んでしまっているに変わりないじゃないか」
「だったら、いっそのこと心臓を止めてしまおう」
「それがいい」
「『出来杉』はもう死んだんだ……」

 人は諦めたときに死ぬという。

 僕はとうに諦めた。

 立ち上がることも、変わることも――生きることも。

 これが運命なのだと思えば少しは気が楽になった。

 運命。

 なんと響きの良い言葉だろう。そして、なんと甘い言葉。僕にはそれ以上の言い訳など思いつかない。なるべくしてなった。生まれたときから定められた帰結。

 こんなとき、彼ならなんと言うだろう――。

 僕と対極の彼なら。

 死ぬことはよくない、なんて根拠もなく訴えるのだろうか。死ぬこと以上の苦痛だってこの世にはあるのだ――。


 以上の手記を遺書とする。

 これから僕は死ぬ。天井から吊した、たった一本のロープを首に掛けよう。地に足のつかない死に方――地に足がついていないような生き方をしてきた僕に相応しい死に方と言えよう。

 なんとも出来すぎた死に方じゃないか。

 それではこれにて出木杉英才の一人語りに幕を下ろそう。

 そして僕という人間の幕を下ろそう。 


  〈了〉 















「ピンポーン」


 と、それは唐突に。

 僕が首にロープを掛けようとしたまさにそのときであった。

 一つのチャイム音が痛いほど静かなこの家に響いた。僕がそれを狙って自殺を図ったことから当然とも言えるが――残念ながらこの一軒家には僕以外の人間が存在しない。居留守を使おうかと逡巡もするが、たとえ五月の蠅のようなセールスの類いであっても来客を無視することをしてはならない。

 僕は椅子から降り、平静を装って来客に対面する。

「どちら様ですか――」

 玄関の扉を開いて、こういう運命もあるのか、と、不思議と感心した。さっき考えたことが頭に浮かぶ。

 ――こんなとき、彼ならなんと言うだろう――

「やあ出来杉、久しぶり! ちょっと教えてほしいことがあるんだよ。だからちょっといい?」

 彼は小学校の時と変わらずに明るく、そして小学校の時と変わらずに僕を『出来杉』と――。

「あのさぁ、ぼく自動車の免許を取りたいんだよねー。だから出来杉に勉強教えてもらいに来たんだ」

 ぺらぺらと僕に口を挟ませる余裕すら与えず彼はその旨を語る。

「そしていつかはしずかちゃんと一緒にドライブ行きたいなー、なんて……でへへ」

「どうして、君はそんなに変わらないでいられるんだ……」

 無意識にこぼれた言葉が嫉妬の感情に引火した。 


「君は一人じゃ何も出来ないくせに僕よりもたくさんのものを持っている、どうしてなんだ!

 君は全く昔から変わらないな――変わらないでいられるな! そんなのあんまりじゃないか、僕は大きく変わってしまったよ! もう『出来杉』じゃないんだ! 昔の――小学校時代の栄光はなにもかもが砂の城のように崩れていったんだ!

 『何でも出来る出来杉くん』だって? ふざけるな! そうやって腹の中では僕を嫌っていたんだろう、そうなんだろう! 僕はもう世界にうんざりしているんだ! こんなのだったら何も出来ない方がましだ!

 僕は君がうらやましいよ、そうやって他人に頼って縋ってばかりいるだけのくせに僕よりも他人に好かれている! どうしてだ!

 ……君に楽しい話を聞かせてあげるよ。僕は君たちと違う私立の中学校に上がっていじめを受けていたんだ、それもとびっきりのやつをね。君は廊下で受ける授業の辛さを知っているかい? 君は雑巾入りの味噌汁を食べたことがあるかい? 君はクラス全員から一言ずつもらう侮蔑の言葉で埋め尽くされた色紙を読んだことがあるかい? ダーツの的になったことは? 土の中に埋められたことは? 教壇で自慰を強要されたことは?

 他にも他にも他にも!それから不登校になって、高校も中退だ!

 僕がいったい何をしたと言うんだ! サイコロが悪い目しか出さない人生はもうこりごりなんだ……。

 ……だから、僕はもう死のうと思ったんだ」


 「出来杉……」

「死ぬことはよくない、なんて綺麗事を並べるつもりかい? これはもう善し悪しの問題じゃあないんだ。だから――」

「ぼくは、出来杉に死んでほしくない」

 彼はそう言って僕の言葉を遮った。

「ぼくがいやなんだ。こんなのを言うのも悔しいんだけどさ、出来杉はいつもぼくのあこがれだったから……」

 そこまで言うと彼は涙をこぼし始めた。

 大粒の涙。

 彼の丸い眼鏡にもそれらがついて彼の視界はさぞかしぼやけていることだろう。どうして、他人のために泣けるのだろう……。

「……だったら僕のためにドラえもんを呼んできてくれよ。タイムマシンで過去をやり直したいんだ、君ならわかってくれるだろう?」

 そうだ、いつもドラえもんと共にいる彼なら。タイムマシンで過去をやり直せるとしたらあるいは。

 ――しかし彼は首を横に振った。

「ダメだよ出来杉、それだけは! そんなの――昔の自分を否定してるみたいじゃないか!」

「そうだよ、過去の否定なんだ。僕は今までの自分と決別して新しい自分として歩みたい。そのためにも君の協力が――」

「道具に頼っちゃダメだ!」

 彼は涙声のまま続ける。

「道具に頼らなくても人は変われるんだっ!」

「ああ、僕は誰にも頼らないために変わってしまったさ。それを今さらどうしろと言うんだ!」

「そうじゃない! 知ってる? あのイジワルだったスネ夫が『かわいこちゃんとドライブに行く』なんて言って老人ホームで手伝いをしていたんだ。あのジャイ子もすっかりアイドルみたいに可愛くなったよ? ジャイアンは相変わらず音痴だけど、たまぁ~に優しくしてくれるんだ。しずかちゃんはもっともっと美人になったよ。ねえ出来杉、ぼくは人っていつからでもやり直せるって思うんだ。人生にリセットボタンはあるんだよ! その人が変わろうと思えば、たとえ百歳のおじいさんおばあさんでも! ぼくがドラえもんに出会ってからだいたい二十年。その間にぼくはそのことを知ることが出来た。人は変われる。変わろうとさえ思えれば――」

 よくもまあぬけぬけと……。

「今からなんて今さらなんだよ。君に僕の何がわかる! 挫折に挫折を重ね、羽が千切れた鳥に存在価値なんて見出せるものか! 僕はただ自分が出来ることを自分が出来る風にしていただけなんだ! それがどうしてこうなる! どうして気味悪がられる! どうして避けられる! どうしてだ!」

「だったら――」

 彼はまっすぐ僕を見る。

「もっともっとすごくなればいい!」

 そして紡ぐ。

「もっともっとすごくなって、もっともっと出来るようになって、総理大臣になればいいんだよ! それで日本を――いや世界を変えるんだ! 歴史に名を残して、みんなに認められればいいんだ!

 こちらの瞳が吸い込まれるほどに見つめる彼の表情に冗談の色はない。本気で――心の底からそう思って、口にしているのだ。

「そんな簡単に言わないでくれ……!」

 僕は彼の言葉に反発するように言い返す。

 しかし、

「簡単じゃない、けど出来杉なら出来るよ!」

 と、まるで論理も根拠もなく断言した。

「死ぬ覚悟があるんだったら、せいいっぱい悪あがきしてみてもいいんじゃないかな?」

 彼のその一言が僕の背中を押したのだった。

 総理大臣になって世界を変える。

 僕に出来るだろうか。もう一度『出来杉』になれるだろうか。

 悪あがきとやらをしてみよう。

 死ぬのはそれからでもいい。

 幕はまだ下ろすものか。


  〈了〉

『出来杉総理の過去』より抜粋



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