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近世初期細川家文書の研究成果を報告 永青文庫研究センターと東大史料編纂所がシンポジウム

永青文庫に所蔵されている熊本藩主・細川家の史料「細川家文書」の研究報告を行うシンポジウム「近世初期における『御国』と『公儀』」(熊本大学永青文庫研究センター・東京大学史料編纂所が主催)が9月16日、工学部百周年記念館で開催された。会場とオンラインの併用で、約120人が参加した。

主催者あいさつをする東京大学史料編纂所の本郷所長=9月16日、熊本大学工学部百周年記念館


 シンポジウムでは東京大学史料編纂所の林晃弘准教授と永青文庫研究センターの稲葉継陽センター長が報告を行った。永青文庫には多数の貴重な文書を含む膨大な細川家の史料が「細川家文書」として収蔵されており、永青文庫研究センターと東大史料編纂所が協力して調査研究を行っている。
 林准教授は「細川忠利の『公儀御書案文』と近世政治史研究」と題して報告。『大日本近世史料 細川家史料』(東京大学史料編纂所)の刊行などで、伝来の歴史資料が公開され、一時史料を用いた政治史研究が進展してきた経緯を説明し、その中でも個々の権力者や将軍のような官職、あるいは「家」とは異なる、近世政治権力の公的側面を説明する「公儀」に着目し、初代藩主・細川忠利の史料『公儀御書案文』を分析した。島原・天草一揆終結を受けた1638年(寛永15年)9月13日付のキリシタン取締の高札について、「幕府の法令が大名領国にそのまま入っていくのではなく、周辺他藩とやり取りして様子を伺いながら判断する大名の姿が分かる」と述べた。
 稲葉センター長は「元和~寛永期における『御国』統治と文書・記録」と題して報告。元和期(1615~1624)に領国ないし家臣・領民各階層を指す「御国」という概念が現れ、家臣層が「御国」の再生産(「御国のつづけ」)のために奉公させていく領国支配の構造を考察した。
庄屋・百姓層からの「目安箱」による上申や、惣奉行衆・行政機構を通じた伺書などを受けて忠利は裁可し、裁可内容は奉行所などに保存・蓄積されていく。稲葉センター長は「忠利が休暇申請を却下した事例は一つもない。忠利の裁可は『御国』支配の利害に関係する人々の総意を前提として正当性を持ち、奉公の対象としての『御国』が形成される。初期藩主決裁権の絶大性を過度に評価すべきではない。藩主の決裁権の役割低下は、忠利の後継者である細川光尚が若死にする中でも『御国』の統治が停止しないという状況の前提となっていく」と指摘した。

各地の研究者や市民から活発な質問や意見が提起された=同


 両報告について、京都大学文学研究科の三宅浩准教授は『公儀御書案文』の史料的性格の解明を評価し、「初期藩政の実態をここまで復元できる事例はほとんどない」としつつも、これらの史料から当時の「御国」の体制を、戦国時代の体制が発展した形である「ポスト戦国」か、近世的な新しい体制である「初期的世界」と評価するかが議論となる、とコメントした。三宅准教授のコメントの後、参加者も含めた質疑応答や討論が行われ、活発に意見や質問が交わされた。
(2023年9月16日)

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