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2022/01/31

月曜日
はれ

色は既視感あるけどすき

一徹して書き上げた(酷い出来の)レポートが一応終わったので、絵を描きました。
なんかようわからん。

絵の描き方調べたことないんですよね。絵をうまくなろうと本気で思ったことがないです。絵を描くという行為自体に快楽を感じているので、絵の勉強突き詰めたら楽しいのかもしれないけど大変になって快楽が失せる気がするので一生下手なままでいいと思ってます。私の絵は現実逃避の産物です。かわいいだろ。

(受からなそうだけど)採用の過程で作文を提出しないといけない業界を志望しておりまして、その期限がもうギリギリなのでいま原稿用紙に作文書いてるのですが、原稿用紙に作文書くのすごい楽しいです。ネットとかWordで書く文章は制限なくいくらでも書けてしまうので、こんな感じの支離滅裂な文章になるのですが、原稿用紙だとこの用紙いっぱいに自分の書きたいこと詰め込むにはどうしたらいいだろうってものすごく考えながら書くことになるので、とても楽しいです。句読点の位置とか、言い換えとか、一行の情報量を増やすために何が1番最適かいちいち考えるのは時間かかるし大変ですがその分全体としてまとまりのある文章が書ける気がします。気軽に消したりできないから何度も読み返しては修正の効くうちに直すの緊張感あるし。

作文考えながらそういえば小中学校でやってた作文とか楽しかったなって思い出しました。私結構作文得意で先生に褒められてみんなの前で名前伏せて読まれたりしたこと何度かあって。富嶽三十六景の感想文書いたらめっちゃ褒められてお手本扱いされて嬉しかった。あんまり得意なことが多い子供じゃなかったからよく覚えています。
国語で使った作文用紙とかに評価欄がついてたな、そういえば。そこに構成とか描写とか8項目ぐらい評価基準があって、出来がいい時はそのうち7つは良もらえたりして嬉しかった。けど文字の綺麗さって項目だけ最悪の評価つけられてて笑ったことあります。字汚いんですよね。心の表れか。
頭の回転が遅くて喋るのは苦手です。スペースとか絶対できん。滑舌も悪くて、親と喋ってても何回も今なんて言った?って聞き返されるのが嫌で、あんまり喋らないで育ちました。まれに喧嘩になったら声の大きさで誤魔化したりしてて、そのノリで部活で練習サボりながらファイト〜ってバカみたいにデカい声出しまくってた。声だけデカいから目立ってしまって、めっちゃ練習真面目にやってると勘違いされ部長にさせられて、えらい目みたことがあります。バスケットボール部。球技向いてないからキツかった。最後まで背番号4番なのにスタメンじゃなかった。でもみんな褒めてくれたからそこは嬉しかった。

大学でとった講義で万年筆で書くのとApple Pencilで書くのは何が違うか?みたいな話を真面目に考える回があって、案外人間の思考というのはどの道具を使うかに大きく左右されているという結論になってその話題は終わりました。えらい人が言ったところではメディアはマッサージであります。人間という情報元からどのような手段で情報を外界に発信するかによって、その内容自体もある程度既に決まってしまうという。メディアによって人間の在り方も規定されているのです。万年筆による作文には書き味みたいな形で書き手に情報のフィードバックがあって、書いている感覚と消せない文字が創作の方向を決定する…。
ならばきらら4コマというメディアは、その構造自体がある程度内容の方向性を誘導する装置として機能していると言えるでしょう。そこに魅力を感じているのかもしれん。私noteでうまく作文できないんですが、noteというメディアが私の情報発信の形態とうまく一致していないのでしょう。だからこそ原稿用紙では書けない緩い駄文も書けるわけでもあります。デジタルデバイスで作文をするのに比べたら原稿用紙の作文は、私の情報発信のための装置としてはうまく機能するようです。まあ、同じデジタルデバイスでもiPadで書くか、パソコンで書くか、スマホで書くかによっても文章の雰囲気が変わってくる気がする。紙に書くのは手が疲れるから吟味するけど、キーボードとかディスプレイはポチポチするだけだからすぐに文章書ける。結果冗長になる…ということなのかもしれない。画面の広さというのも関係しているのかもしれない。

個々人が個々人に合うメディアに辿り着けたらみんなもうちょっと楽でいられるかもね。私はTwitterは向いてるみたいです。Twitter向いてるって悪口みたいだなって思ってて認めたくなかった時期あったんですけど、最近は気にならなくなってきた。

では、おやすみなさい😘

今日見た動画

どう見ても秋山なのに全くの別人に見えるからおもしろい

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