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no name 「#1 名もなき衛生兵」

衛生兵メディック衛生兵メディック!」
 2時の方角から私を呼ぶ信号灯が見える。
ガガガガッ!!ガガッ!!ガンッ!
 前方から連続した激しい金属音が聞こえる。私の隠れている遮蔽物がラプチャーの銃弾を跳ね返しているのだ。私が遮蔽物としているのは地上に放棄された何かの金属の塊。長さ5m高さが2mくらいの半分ひしゃげたような直方体に「Speed!Safe!Secure!」と所々剥げた赤文字でプリントされている。形状から言って運送会社のコンテナのようだ。それが道幅の広い道路のわきにポツンと1つだけ転がっている。どういう経緯でそれがそこに転がっているのかを知る者はもうこの世界には存在しない。
 信号灯で私を呼んでいるのは私の指揮官だ。しかし今、遮蔽物を出ればラプチャーからの射線にまともに身をさらすことになる。他に遮蔽物になるようなものは何もない。ここは草原と砂漠の中間みたいな風景が広がるだだっ広い空間で、道路のわきにはまばらに小さな建物が建っていて、そのほとんどが全壊している。恐らくこの道路を通行するドライバー達のための商品を売る商店だったのだろう。道路は地平線に向かってバカ正直に直線に伸びていて、行先に何があるかは私のズーム機能を使っても確認できない。スコープの付いているミーシャならできるかもしれない。
 指揮官がこの前の貴重な休息日に、小隊のみんなに見せてくれた旧時代の映画の中に今見ているような風景があった。どこまでも続くまっすぐな道路を行く自動車。ある兄弟の物語だった。私の隣に座って映画を見ていたミーシャが開始15分で寝息を立て始めたので、休憩所にあるデスクで映画を横目で観ながら提出書類を作成していた指揮官が苦笑いをしていた。映画をみんなで観終わった30分後、彼女は誰もいなくなった休憩所で小隊のみんなから顔中にモンスターのようなメイクをされた状態でまだ寝ていた。翌朝、メイクを落としたミーシャは自撮りをしておかなかったことを心から後悔していた。彼女に言わせると貴重な想い出になるそうだ。
 ラプチャーからの射撃はまだ続いている。今ここを出れば指揮官達のいる向こうの遮蔽物までの20mを走り終える前に確実にやられる。
 しかし、これ以上指揮官を待たせるわけにいかなかった。指揮官が衛生兵を呼んでいるということは「誰かの命が危険に晒されている」ということだからだ。当然のことを言っているようだが、NIKKEがどれだけ損傷を受けようが救護もさせず、自分は転んで擦りむいただけで衛生兵に手当をさせる指揮官がいるらしい、という噂も聞く。もっともこれはどの時代の戦場にも流布する一種の「戦場伝説」のようなものかもしれない。しかし人間とNIKKEという立場を考えればそういう「不埒な」指揮官が実際にいてもおかしくない。
 私はこの小隊で衛生兵として働くNIKKEだ。テトラライン社製I・DOLLオーシャンタイプ。登録番号Tet-OCN2560-ME73S4823。名前はない。
 私は大量生産されてラプチャーと戦う量産型NIKKEの1体である。
 ガガガガッ!ガンッ!キンッキンッ!キンガガガガッ!!
 コンテナを激しく叩く金属音は止む気配がない。そして金属音が少しずつだが変わり始めた。遮蔽物がラプチャーの攻撃に負けて少しずつその役目を終えようとしているのかもしれない。あまり希望的観測は出来ない。
 北へ向かってどこまでもまっすぐ伸びる幅10m程の道路の西側に私、道路を斜め前に突っ切った東側に指揮官たちがいる。指揮官たちまでの距離は約20mはある。そして道路の真ん中、ここから50mほど北側にラプチャーが停止しこちらに向かって連射を続けている。セルフレス級の多脚式歩行タイプで数は1体のみ。半分破壊された同じくセルフレス級2体が後方に擱座して白煙を上げている。
 恐らく今ここにいる3体のラプチャーは斥候だ。ということは本隊は別にいる。ここには私たちの小隊1人と7体しかいない。
 「北部基地第8駐屯地のエレベーター守備隊と合流せよ」との命令を受けたのが昨日の1400時。本来ならば中隊のうち4個小隊で作戦に参加するはずだったが、補給機の到着が大幅に遅れるとのことでほぼフル装備で補給も完了していた私たちの第1小隊だけが先発することになった。しかも当初の作戦では装輪装甲車で移動する予定だったが、これも機材トラブルやら軍の機密やらで最後の30kmは徒歩での移動となったという。指揮官は異議を申し立てたが「当該エリアにラプチャー反応はここ数日確認されていない」と押し切られたそうだ。指揮官は「エブラ粒子がこれだけ濃ければ反応がないのは当たり前だろ!そんなところ30kmも1個小隊だけで歩いて行けるか!」と怒っていたが、軍人としては命令に抵抗することはできないのだろう。昨日の出発前のブリーフィングが終わった瞬間に小さく「すまん」と呟いたのでみんな噴き出してしまい、それから爆笑に代わった。指揮官も笑っていた。
 昨日の1500時に私たちの第1小隊1人と7体を乗せて進発した装輪装甲車は、舗装されたアスファルト道路を快適に進んだ。旧時代につくられた高速道路なのだろう。駐屯地から数分も走るとすぐに草原と砂漠の中間のような地域に入った。空気は乾燥し日差しが強くなった。昨日は拍子抜けするほど何も起きなかった。深夜0200時少し前にチェックポイントに到着した私たちは休息とメンテナンスを済ませた後、夜明けと共に目的地の第8駐屯地に向けて移動を始めた。装輪装甲車はこの駐屯地からまた別の作戦に回されるそうで、ここから目的地までの30㎞は徒歩である。
 そして徒歩で移動中の0916時に、道路脇の建物を破壊してラプチャー3体が出現し、私たちの進路を阻んだ。
 ラプチャーが攻撃する前に指揮官が叫んだ。
「全員、2時の方角!建物の陰へ!走れ!」
 1人と7体が隠れられそうな遮蔽物はそこにしかなかった。
 ラプチャーが機銃による攻撃を始め、20m先の東側の路端に建っていた崩れた建物の陰に指揮官と5体が走りこんで身を隠した。
 しかし列の後ろを歩いていた私と1体は一瞬行動が遅れた。20m先までは間に合わない。すぐ傍の道路の西側に転がっていた運送会社のコンテナの陰にとりあえず隠れた。道路の50m先には私たちの行く手を阻むように3体のラプチャーが機銃を放つ。東側にいる指揮官たちが応戦を開始。ハンナとエブリンが2体を仕留め、擱座させた。
 こちらがラプチャーを2体屠ったところで敵が榴弾を発射。爆発音と共に指揮官たちの隠れている遮蔽物の3分の1ほどを吹き飛ばし、誰かの悲鳴が聞こえた。恐らく私が治療すべき「2体目」は、その悲鳴を上げたNIKKEなのだろう。
 そして現在は0924時。わずか8分間の出来事だった。
 私が応急処置を施した1体目は、私の足元で仰向けに寝ている。死んではいない。向こうの遮蔽物で爆発が起きた直後、指揮官のいる位置に走り出そうとしたところをまともに銃撃された。左肩付近と左腕を機銃弾が貫通した。彼女ははじかれるようにその場に倒れた。私が銃撃の隙間をぬって彼女を引きずって遮蔽物の陰まで連れてきた。「幸い」と言えるかどうかわからないが、遮蔽物を出て1秒も経たないうちに銃弾を受けたので私もすぐに助けに行けた。彼女が走り出した理由は分からないが、恐らくパニックになったのだろう。
 彼女の意識はあるようだったが、手当をしている間ずっと彼女はショック状態で、ヒュッヒュッと苦しそうな息を吸い続けた。
 私に内蔵されているスキャナーで現在の彼女の容態を改めてスキャンした。思ったより内部のダメージが大きい。左肩の傷はガッデシアムの皮膚を突き破り、人間の大動脈に当たるパイプを破断している。組織液の漏出が激しい。だんだんコアの反応が微弱になってきている。撃たれた直後よりも事態はさらに深刻さを増している。彼女の左腕と左肩に私がスプレーした救護用液体樹脂が傷口を覆ってゲル化しグリーンの光沢を放っている。今は意識もあるが、それも覚束ない。視点が定まっていない。少なくともボディの全換装が可能な施設でないと延命は難しい。私の持っている救急セットでは組織液の漏出を抑えるくらいしかできない。
 彼女の名前はナオ。私たちの中ではこの小隊に配属されてからの日数が最も短く、今回が初参加の作戦。大量に生産されて大量に消費されるほとんどの量産型NIKKEがそうであるように、彼女はルーキーだった。
 大量生産して消費されるだけの量産型のボディを全換装?そんなことがあり得るだろうか?廃棄処分されるのが妥当では?
 一瞬そんな考えがよぎったが、右斜め前でチカチカと何かが光っているのに気が付いた。指揮官が私に向けて信号灯を点滅させている。さっきとは違う命令だ。
 「発煙スモーク弾を撃つ。注意を引き付けている間に移動せよ。」
「了解」とハンドサインを送る。こんな短距離でも無線が通じないほどエブラ粒子が濃いようだ。だが大声を出して命令すればラプチャーに先手を打たれる。ラプチャーは人間の言語を理解しているというのはずいぶん前からの常識だ。
 ようやくこのコンテナの陰から出られそうだ。しかし安全など保証されるはずがない。そして行動不能のNIKKEをここに置いていくのは咎める気持ちもあるが、戦場ではそうも言っていられない。転がっていたナオのアサルトライフルを彼女の右手に持たせた。自分への気休めだ。
 バシュッ!
 20m先のハンナのグレネードランチャーから放たれた発煙スモーク弾が緩やかな放物線を描く。
 ドンッ!
 ラプチャーの右脚付近の地面に着弾して爆発した。すぐに風に流されて白煙がラプチャーを包んだ。
 続いて第2弾。
 ドンッ!
 ラプチャーはもうもうとした白煙に包まれ、輪郭がかろうじて見えるだけになった。
 パパパパパパンッ!パパッパパパパンッ!ボンッ!
 アサルトライフルを連射する乾いた音に続いて擲弾グレネードの発射音。どうやら向こうの遮蔽物にいるハンナとミシェルが私からラプチャーの注意を逸らす努力をしてくれているようだ。効果があったようでラプチャーはこちらではなく指揮官達へ向かって攻撃を再開した。コンクリートが激しく音を立てる。
 今だ。瀕死の息の下で横たわっているナオの顔を一瞬だけ見て「必ず戻るからね」と言い残し、遮蔽物から出て右前方へ駆け出した。自分が隠れていたコンテナを横目で確認すると激しい銃撃でだいぶひしゃげている。
 後ろも振り返らず走った。腰に吊っているサブマシンガンが上下へ軽い金属音と共に激しく揺れる。しかし最も行動力を奪っているのは長いストラップをつけ両肩にそれぞれ1つずつ担いでいる救急バッグである。中型犬が入るくらいの大きさでかなり重たい。NIKKEでなくてはこのバッグを持って走るのも無理だろう。
 走る。煙の中でラプチャーが私を探している駆動音が聞こえる。全速力で走る。道路を斜めに横断する。指揮官たちのいる場所まで20m。走る。両脇でぶら下がっている救急バッグが大きく暴れるので、バランスを取りながら走る。幸いなことにアスファルト道路は不整地よりずっと走りやすい。道路の中程に来た時に短く突風が吹き、つむじ風のように砂や小石を巻き上げさらに視界が悪くなった。いいぞ、もう少しだ。後5歩で指揮官の元へたどり着く。頼む、ラプチャーの視界が戻る前に。あと少し。道路の縁石まで到達した私は小さくジャンプして指揮官たちのいる遮蔽物の陰に躍り込んだ。身を低くして固くする。その姿勢のまま自分の来た方向を見ると、つむじ風に煽られて煙はだいぶ晴れていた。
 ズガガガガッ!!
 私が1秒前に駆け抜けた、私のわずか数㎝後ろの縁石で機銃弾が跳弾した。弾かれた縁石の破片がしゃがみこんで丸めた私の背中や救急バッグに当たってパラパラと軽い音を立てて落ちた。硝煙の臭い。
「いらっしゃい」
 指揮官は地面にうずくまり息を切らせている私の右腕をつかんで自分の方へ軽く引っ張って立たせてくれた。私は頭や肩に乗った小石や砂ぼこりを手で払った。
「衛生兵が必要だったんだ」
 指揮官がわざとらしい真顔で言った。私が右腕に付けている強化樹脂製の腕章を指差している。腕章に記されている白い十字のマークは言うまでもなく衛生兵の印である。人間同士が殺し合っていた旧時代の戦争では衛生兵のヘルメットには白地に赤い十字がペイントされ、赤い十字の付いた兵士や施設は攻撃してはならないと決められていたそうだ。それが実際に守られていたかは知らない。
 私が息を整えるのを待って指揮官が説明と質問を1つずつした。
「エブリンがやられた。ナオはどうだ?」
「一度に二つの回答をするのは」
「できないんだったな。まずエブリンの手当をしてくれ」
 言いかけた私を遮って指揮官は見覚えのある困った顔をした。
指揮官は時々この見覚えのある困った顔をする。人間だった時の記憶など完全に消されているが、この顔だけは瓶の底に残ったジャムみたいに記憶の底にへばりついている。これは私の家の飼い犬が、飼い主に遊び相手になって欲しいのにそれが叶えられないことを不服に思う時の顔だ。私が覚えているのはその事実だけ。飼っていた犬の犬種や私の年齢、住所、家族、全て記憶にない。そもそも私が遊び相手になっていたかどうかも分からない。
 そして、犬の名前も家族の名前も私の名前も、もちろん知らない。

 指揮官に言われた仕事に取り掛かる。エブリンは地面に座って遮蔽物の裏側に背を持たれかけている。傷が痛むらしく時々呻き声をあげる。痛覚センサーを切る回路も故障しているようだ。傍には彼女の機関銃が転がっていた。
 指揮官の傍には通信士のエリカ、狙撃手のミーシャ、グレネードランチャーを持ったハンナが立って遮蔽物の隙間からラプチャーに視線を注いでいる。ミシェルは片膝立ちでアサルトライフルを構え、遮蔽物の隙間からラプチャーに狙いを定めている。ここの遮蔽物は、道路わきに立っている小さな建物で、私が少し前まで隠れていた運送会社のコンテナよりもっと大きい。ほとんど崩れていて誰も住むことは出来なそうだ。半分壊れた看板は地面に落ちている。「Jamson's DINER 」の文字が見える。どうやら食堂ダイナーだったようだ。ラプチャーがいる北側にだけ壁が残っており他の部分はがれきが散乱していた。そして残っている北側の壁も完全な形ではない。平均して3mほどの壁が山脈の峰のように凹凸しており、隠れる所と顔を出して銃撃する所がある。まるで遮蔽物としてあつらえたような形状だ。あえて記さなかったがもちろん屋根はない。10m程幅のあるただの分厚い鉄筋コンクリート製の壁だ。
 ドドドドドッドドッ!!ドドドッ!!ドンッ!!
 またラプチャーが射撃を開始した。コンクリートに銃弾の当たる鈍い音がする。機銃が主兵装のセルフレス級ラプチャーは無闇に榴弾を発射してはこない。ミサイルポッド搭載型でなくてよかった。もしそうならコンクリートの遮蔽物などあっという間に破壊されていただろう。
 先ほどラプチャーの榴弾が爆発して悲鳴を上げたのはやはりエブリンだったのだろう。仕事に取り掛かるにあたり両肩に担いだ2つの救急バッグを地面に置いた。しゃがんでエブリンに向き合い、優先治療個所を決めるために私のトリアージシステムを起動して彼女の全体をスキャンする。脳はやられていない。コアの活動もまだまだ危険レベルではないが猶予があるとは思えない。頭の先からつま先までスキャンが完了。最優先治療個所は左大腿部。それは見れば分かっていた。崩れた食堂ダイナーの陰に飛びこんで指揮官に引っ張られてエブリンに視線が向いたときにもう認識は済んでいた。
 彼女は左脚を失っていた。左太ももの半分より先がない。
「切断された左脚は回収できそうですか?」
 ラプチャーを見つめていた指揮官は視線を外さずに黙って立っていた場所から右後ろへ1歩下がる。指揮官が自分の身で覆い隠すように立っていた場所には、救護用フィルムで包まれたNIKKEの左脚部があった。断面は組織液で真っ赤になって生体組織が生々しさを伝えていた。もちろんエブリンの左脚だ。それが半透明の救護用フィルムに包まれて地面の上に置かれている。救護用フィルムはほこりや細菌による感染のリスクを下げるために負傷者の体の一部を覆う特殊な繊維で作られた小型のシーツのような装備だ。救護用フィルムなんて私の指揮官殿はどこに隠し持っていたのか。これは衛生兵にしか支給されていないはずだ。でも有り難かった。こんな砂ぼこりの舞う衛生状態の良くない場所でNIKKEの身体の一部を放置していれば、たとえ元の身体に縫合できたとしても正常に機能する確率は絶望的に低い。
 そしてエブリンの左大腿部を見ると、これも破断面を救護用フィルムで包みそれを医療用の接着テープで大腿部に巻き付けて固定してある。目の前の事実をまとめる。千切れた左脚と左大腿部は救護用フィルムと医療用接着テープによって組織液の漏出が防がれ清潔を保っている。
 これはほぼ完璧な応急処置である。この場で出来る最高の治療が私の目の前にあった。
 しかし、と当然の疑問が浮かぶ。救護用フィルムだけなく医療用接着テープも衛生兵のみの支給品である。当然だが私も持っている。では何故これを「指揮官」が持っているのか。
 軍の台所事情など一介の衛生兵NIKKEが知る由もないが、衛生兵の救護用装備や消耗品の補充機会はかなり少ない。私が新人で仕事に慣れない頃は消耗品がいつも底をついてしまっていた。しかし、いま目の前でラプチャーへの次の一手を考えている現在の指揮官の下で働くまでは「消耗品が不足しているので補充を要請します」という報告を聞きたくない指揮官ばかりだった。「自分で何とかしろ」と突き放されるのはまだ良いほうで、ある指揮官には報告に行くと殴られたことすらある。だから私は毎日装備と消耗品の確認を怠らない。そして管理は厳重に行っているから、今目の前にある救護用フィルムと医療用接着テープは「指揮官の私物」ということになる。他の衛生兵から拝借しているのかもしれないがおそらくどの部隊の衛生兵も境遇は似たり寄ったりだろうから、貴重な消耗品をどこぞの指揮官に渡すはずがない。やはり指揮官がどこかに独自ルートを持っているとしか思えない。もしくは軍法会議にかけられるリスクを冒して「中央政府の倉庫からかっぱらってきた」かである。まさか、そこまではしないとは思うが。
 ではなぜ、救護用装備や消耗品の補充機会がかなり少ないか。
それは私でもわかる。NIKKEが使い捨てにされているからだ。
人間である指揮官だって例外ではないだろう。なおさら使い捨ての兵器NIKKEに過剰な「修理」は不要なのだという軍の決定なのだろう。
 私が消耗品の出所を訝しんでいると、エブリンの首筋のソケットに小さな装置が差してあるのに気が付いた。これは確か、と記憶を探り出す。思い出した。以前に救護活動についてのオンライン定期講習会に参加した時に聞いたことのある自動感覚制御プログラム、通称「NIKKEモルヒネ」ではないだろうか。
 NIKKEには危機回避のために人間と同じように痛覚がある。しかし損傷時の痛みが激しすぎて作戦に支障が出ることを防ぐために、NIKKEは自分で痛覚センサーを切り激痛を和らげることが出来る。ただ感覚制御システムが故障すれば痛覚センサーを切ることが出来ず激痛を味わうことになる。そこで痛覚センサーを切ることが出来なくなったNIKKEのためにNIKKEの感覚制御システムに介入して痛みをコントロールする外部装置が「NIKKEモルヒネ」である。しかしまだ実験段階の装備のはずで、何故そんな貴重なものがここにあるのかは分からない。
 救護用フィルムや医療用接着テープくらいなら、指揮官が私物として持っていても腰を抜かすほどではない。
 しかし「NIKKEモルヒネ」に至っては大きな作戦にのみ帯同する特殊個体ネームドNIKKEによる特別医療部隊「セラフィム」くらいにしか支給されていないと聞いている。セラフィムは、NIKKEであるにも関わらず絶大な信頼を得ている精鋭医師たちのチームで、この戦争中で私がお目にかかる機会など到底考えられないほどの存在である。
 そんな貴重なものを何故この人は、一介の指揮官であるはずのこの中尉殿は持っているのだろうか?そんな私の疑問を感じたのか、指揮官が私に向かってフフンと鼻を鳴らした。そして次の一手を思いついたようで、膝を立てて射撃体勢に入っているミシェルを呼んだ。そして今度ははっきり一瞬だけだが私の方を見た。まるで褒められることを待っている子犬のような顔で。いやこれは一般的な比喩表現である。
 私はそれに気づかぬふりをして仕事に集中した。いくら指揮官の応急処置が神がかっているとは言え、エブリンの命が危険なことに変わりはない。
「ナオは、応急処置をしていますが専門のリペア施設でないと命が危ないです。明日までもちません」
 さっき苦労をしてここまで運んだ救急バッグを開けて医療用キットがすべてそろっていることをすばやく確認する。両手の表面を殺菌しゴム手袋をする。エブリンの太ももにまかれた医療用接着テープをはがしながらさっきの2つ目の質問に対する返答をした。組織液でべっとり汚れている。
「そいつは困った」
 指揮官は気の抜けた声を出した。そしてわざとらしく嘆息した。気にせず仕事を続ける。
「少し痛いけど我慢してね」
 エブリンの鎖骨の下あたりにレーザーメスを入れ、小さな穴を穿つ。循環器制御システムに直接信号を送るための光ファイバーを挿管する。
「左脚吹き飛んでんのにこれ以上痛くしないでよ」
エブリンが皮肉っぽい笑みを浮かべた。バイザーを上げてあるので表情がよく分かる。
 エブリンはミシリスインダストリー社製プロダクト12。火力に特化したタイプだ。私たちの小隊の機関銃手で、小隊の中では恐らく彼女の火力が最も高い。人間には絶対に扱えない無骨な機関銃を1人で運用する。
 私とメーカーは違うが同じ量産型NIKKEだ。
 作戦中はいつも背中に背負っている弾薬ケースも給弾システムで繋がれた機関銃も、今は外して彼女の脇に置いてある。
「エブリンの容態は?」
 指揮官が短く尋ねた。
「循環器制御を左下半身だけ遮断します。組織液の漏出が傷の割にそれほど多くなかったので、全身へのダメージが思ったより少なくて済みそうです。感染もしてなさそうなので組織が壊死することもガッデシアムが腐食することもなさそうです。上手くいけば漏出も止まります。左脚は一時的に失いますが、リペアすれば歩行も戦闘も可能になると思います。」
ここまで一気に言うと指揮官の横顔に少し安堵が見えた。
「あと」
 言うのを少し躊躇ったあと、やはり言うことにした。
「エブリンの首筋に差してあるその怪しげな装置のおかげで痛みがだいぶ和らいでいます。それがなければ彼女は痛みで思考転換、良くてパニックを起こしたかもしれません。」
「おおそうか」
指揮官は腹が立つほどの笑顔を見せた。
「ナオは助けられないか?」
「あそこに放置していれば、もちろん助からないと思いますし、あの遮蔽物もそんなに長くは…」
言い淀んでしまった自分を悔やむ。しっかりしろ、私。
 ドドドッ!!
忘れたころにまたラプチャーからの攻撃が来る。当然だ。ここは地上で戦場なのだから。
「帰ってくれねえかなあ」
 そう言ってから指揮官がミシェルとハンナに指示を出している。先ほどと同じように擲弾グレネードを撃ち込むつもりのようだ。
「はい?」
あまりにも場違いな言葉に思わず聞き返した。
「ラプチャーがこのまま引き返してくれねえかな」
「どうでしょう」
 私が適当な返事を返したのでミシェルとハンナが笑い声を立てた。戦場の緊張感からみんな感情がおかしくなっているのかもしれない。
 NIKKEだって死ぬのは怖いから。

続く。


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