「性別」の話。

「お前が幸せになれるなら、一緒に生きる相手が男でも女でもいい」

物心ついた頃から母が私に言ってくれた言葉だ。そのおかげで私は誰に学ぶこともなく、恋愛に性別は関係ないという認識を得ていた。そして、それなりに自分で判断できるようになった今でもそれは変わらずにいる。

「理解がある私って偉いでしょ」アピールとして受け止められるなら仕方ない。どうぞ、そういう目で私を見てくれ。そう見られても私の意見は変わらない。好意を抱くことに性別は関係ないと思う。手を繋ぐことも抱きしめ合うことも、同じソファで映画を見ることもお揃いの食器を使うことも、キスだってセックスだって、同性同士で可能だ。恋愛に限らない。スカートもズボンも誰が着たって変わらないし、ランドセルの色は自由だ。心と体の性別が一致してないことだって、人間何億人もいるんだから、そういうことだってある。

嫌悪感、不安、理解が追いつかない、辺りなんだろうなと思う。そういう意見だってある。否定はしてはいけない。けど、だからといって他人を頭ごなしに否定してもいけない。シンプルなことだ。他人の嫌がることを言ってはいけないし、人は人、自分は自分。それだけなんだ、多分。それが一番難しいってことも、分かる。

ここまで書いて思った。この現代社会、性別が異なっていることが必要になるのはどういう時だろう。筋力や体力の差は、今の技術なら道具や方法でいくらでも埋まりそうだし。そうなると、もう子供を作ることしか思いつかない。でも、前に男性の妊娠が可能に近づいたとか、そんなニュースを見たような。そうなると、いよいよ性別の意味とは。ぐだぐだと書いたけれど、男だから女だからではなくて、私だから貴方だから、になる日がいつかくるんだろうかと、そんなことを思うのです。


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