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「無理しないで」という言葉が逆に無理させてる可能性。

辛い気持ちを抱えていたり、しんどそうに見える誰かに対して
「無理しないでね」「頑張りすぎないでね」と声をかけるのは
相手を気遣って、純粋な優しさで伝えていると思います。
ですが、今までの自分と最近の自分で「無理しないで」という言葉の感じ方が変わってしまった話です。

以前の私は、本当の意味で無理していました。
全ての事柄をネガティブに捉え、それが全て自分の責任であると勝手に抱え込み、自分という人間を周りに認めてもらう為の努力を必死でして、悩んで悩んで悩み尽くしている日々でした。
この頃にもたくさん「無理しないでね」「肩の力抜いて大丈夫」と声をかけていただいたんですが、今の自分から見ても「無理しすぎだよ」と思うので、もう少し周りの意見がスッと受け入れられたらあの頃は良かったなぁと思います。

その地獄から抜け出す為に今大事にしているのは【自分の気持ちを無視しない】ということです。
どんなに小さな感情や疑問でも、その言葉なんだかモヤっとするなぁ…とか、今までこんな小さな悩みを大きくして苦しんでいたけどそもそも何に悩んでいるんだ?等…、少しでも感情がマイナスに動いた出来事をキャッチして紐解いて言語化して一つずつ消化していく、自分の中にネガティブを残さないという作業を日々しています。
具体的には、こうやってnoteに書き起こしてみたり、信用できる親友に「こういう風に言われると私はこう感じてしまうんだけど、あなたはどう思う?」と聞いてみたりしています。

この作業は、自分がネガティブ思考から抜け出すため、少しでもポジティブ思考を増やすため、自分の未来を明るくするためでしかないので、一つずつ悩みが消化されていく感覚もあって楽しんでやっています。

ただ人間って、環境の変化があるときに体調の変化がある方も多いですよね。季節の変わり目とか、転職、引っ越し、そして自分自身が生まれ変わる(言い過ぎ?)タイミングでも体調が優れなかったり、目に見えない何かに負荷をかけられているような感覚があります。
でもこれは自分が変化するサインなので、ただ悪い体調不良ではないと思っています。これを乗り越えれば必ず明るい気分になれると信じているからです。
こんな時は私はひたすら寝ます。睡眠が回復に一番良い(私には合っている)と思っています。休日も家から出ずにだらだらして体を休めることを優先したり、そんな自分を許すようにしています。

そのつもりなんですが、周りからは「無理しすぎないようにね」と今も言われます。相手は優しさでいってくれてることは分かるのですが、私はモヤっとしてしまいました。おそらくモヤっとした原因は、私は自分自身を良くしようという努力を、悩んでいるというよりは悩みを解決する作業をしているのに、「無理しないでね」=「そんな行動しなくていいよ」と自分がしている行動を否定されたように感じたからだと思いました。
だって今の行動をしなかったらまたネガティブを抱え込んで辛い日々を送ることになるのに、またあの自分に戻れっていうの?!?
あの頃の自分を思い出すだけで未だに恐怖を覚えます。

体調が優れないから寝て、YouTubeだらだら見てリラックスして、気持ちがマイナスに行きそうになったら消化して、これ以上無理しない過ごし方が今の私には見つかりません(笑)

相手を思いやっているつもりでも、無意識の攻撃になっている可能性がある…すごく難しいし、日本語って面白いなって思う部分でもあります。
ただ心配しないでください、私はだらだらする自分を許しすぎて4kg太りました(完)

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