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2022/12/31 (土) - 大晦日、「急」、最後の日記

特養に入った母が不在の一日目。……だが、いつものショートステイに行ったのと違いがなく、感慨がないというかピンと来ない。まあ、そんなものなんだろう。

今日は案内所。いつもの時間に出立し、電車に乗る。そして、いつものバスに……乗るはずが、12/31~1/3は運休と時刻表の片隅に小さく書かれていた。早めに気付いたおかげで、徒歩でも余裕を持って間に合ったが。

年末の人出は意外に多い。今年は東大寺を始め、各所で除夜の鐘の一般参加が認められ、その種の問い合わせがあった。大まかな情報は仕入れているが、細かな内容はハッキリわからず、漠然とした回答になってしまった。
ネットで調べるが、あまり細かな情報はないし、ホームページに記載された情報が朝と昼で内容が変わっていたりも。お寺の方もコロナ明けで探り探りのような気がする。

また、外国語を聞く機会が大きく増えた。案内所を訪れる外国人観光客も多いし、道を歩いたり店に入ったりしても外国語がそこここで耳に入る。
前々から言っているが、英語のスキルを戻していかないとな。

今日一緒になった中国語スタッフ。郷里の親戚は皆、感染したとのこと。症状も軽くはないらしい。ほぼノーガードからの感染状況を見ると、やはりコロナの感染力はあなどれないなと思う。「ただの風邪」とは違う。

昼休み。食堂では『探偵!ナイトスクープ』の特番が流れていた。この時間帯にナイトスクープの特番ということに大晦日を一番感じる。

案内所終了後、少し買い物をして帰った。米の残りが微妙だったので、2キロだけ買っておく。他は惣菜や菓子など、終業前で安くなっていたものを。

夕食は蕎麦。その後、昨日あまり作業できなかったので、少しだけ仕事。キリのいいところまで。後はテレビをチラッと見たり、この日記を書いたりして過ごす。

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今年の漢字、個人的には「急」だなと、大晦日の晩にふと思った。ウクライナの戦争も、それに伴う景気変動も、安部元総理の銃撃事件も「急」。身の回りでは、母の急な発熱からの入院や、特養入所が該当する。

もっとも、人生において「急」なことなど、そんなに珍しくもないとも言える。急なことに慌てふためき、何とかそれに折り合いを付け、日常と化していく。
これまでもこれからも、そんな風にジタバタしながら生きていく。人とは、生きるとは、そういうものなのだろう。

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新型コロナ。12/31午前 (日本時間) の時点で死者数増加が、アメリカ200人弱、インド3人、ブラジル170人、ロシア50人、メキシコ記載なし、イギリス記載なし、フランス120人弱、イタリア記載なし、ドイツ140人強。
世界全体での今日1日の感染者数は、444,000人弱の増加。

日本では、今日一日で感染者107465人増加、死者292人増加。感染者数は、東京11189人、大阪6929人、神奈川6855人、愛知5378人、福岡5346人、北海道2377人、沖縄937人。奈良の感染者数は719人。
(出典: Worldometer、NHK)

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さて、三年間続いた日記もこれで最後。
三年という期間自体はそれほどでもないが、毎日欠かさずというのは、よくやれたもんだと思う。事故に遭うとか入院するとかしたら、それで途絶えてしまうものだから。期間中、大きな事故や病気などなかったことを、ありがたく思う。

コロナと介護と共に歩んだ三年でもあった。

一日目の日記を見ると、母が買い物に出て不要な物を買ってきたことに文句をつけている。
外に歩いて買い物に出られるくらい健康だったわけだ。少々いらない物を買って来るぐらいで文句を言っていてはバチが当たる。……と今なら思うが、日記を読んでいると、その時に感じた苛立ちもよみがえって来る。当時の自分の行動や考えも理解できてしまい、思いは複雑だ。

新型コロナについては、1月24日に初めて書いている。自分の予想は「2009年の新型インフルエンザ程度」だったのだが、大きく外れ、3年以上経過した今でも騒動は収まっていない。


ごくささやかな日常をダラダラと綴っただけの文章だが、こうして振り返ってみると、書いた当人にとってはなかなか面白い。過去の自分から送られた格好の読み物だ。そしてひょっとすると、コロナ禍でジタバタしていた小市民の記録として、資料的価値も多少はあるかもしれない。

三年間、毎日欠かさず日記を記すことで得るものはあった。


一方、ネット上に公開するという点で、苦労もあった。
日記というのはその性格上、個人情報が多々含まれ得る。奈良の観光案内所に通う中高年男性という情報だけでも、その気になれば人物を特定するのは容易だろう (うだつの上がらないオッサンをわざわざ特定しようという暇人がそうそういるとも思えないが)。
と言って、個人情報を守ろうと、地名や仕事をあまりぼかすと書くのが極端に不自由になる。さじ加減が難しい。

チェーン店のような大きなところを除いて、お店や施設についても名前を明記していない。風評被害を招かないようにと思ってのことだが、書く方も不自由な上、記録としても弱くなってしまう。


公開するための気遣いや手間がかかる上、記録としても中途半端。こういったことが、日記 (の公開) を終えることにした大きな理由だ。
他に、文章の形を整えるのに要する時間が馬鹿にならないとか、noteの大きな不具合やtumblrの細かな不具合といった理由もあるにはあるが。

記録を残すことの利点はこの三年でたびたび感じたので、メモのような物を書き残すことはしていくだろう。たまには、まとまった文章を書いて人に見せたくなることだってあるかもしれない。
だが「日記」を毎日欠かさず公開するのは、今日で終わり。

知人・友人の中には、継続的に読んでいるとお知らせくださった方もある。それ以外にも継続的に読んでくださった方がいらっしゃるかもしれない。
そんな皆さま方には、改めて御礼を。少しでも楽しんでもらえるところがあったなら嬉しく思う。

2022.12.31 kaol, n.

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