見出し画像

政治批判

何か独特の景色があるわけでもない典型的な日本の山道、傍には「国道425号」の看板が54°ほど倒れかかった状態で植物と絡み合っている。当然ここを通る車など滅多にお目にかかれるものではないが、しかし今日はラッキーデーだった。ボディのメッキがあちこち剥がれ、赤錆に覆われたオンボロの車が耳障りな駆動音を鳴らしながら走る姿がある。男にとってそれは亡き両親が遺した唯一の形見の品であったが、やはり「唯一」と言うにしてはどうにも寂しい。
「畜生、ジジイの言う通り海沿いを迂回してくるんだった!」
運転席の男が呻く。この道は舗装が劣化しガタガタになっており、その上谷際を走っているというのにガードレールすら満足に整備できていないような恐ろしいほどの悪道だったのだ。それでも男が制止を振り切ってこの道を選んだのは、単に全てを失った人間にとってガソリン代はあまりに高価だったために遠回りをする余裕がなかったからだが、どうやらその判断は誤りだったらしい。瞬間、路上の石に乗り上げ車体が浮いた。次の一秒、男の車は路面に叩きつけられた。
「おい?動け、動けったら、おい!」
動きを止めた車を男は慌てて叩き起こそうとするが、彼の焦りも空しく、つい先刻まで車だったその機械はもはや応えなかった。
「畜生ッ!」
拳をハンドルに叩きつけると、やがて動きの鈍いドアを力任せに開け放つ。彼には車を捨てて歩いて行く選択肢しか残されていないのだ。
不幸中の幸いと言うべきだろうか。歩き始めてからしばらくして、国道425号の終点である御坊に意外と近づいていたらしいことに気付く。
「あそこまで行けば、何とかなるかもしれない」

亀山城跡の高台に登ると、そこからは御坊の街並みを一望できる。疲労困憊になりながらも何とかここまで辿り着いたのはいいのだが、結局のところ一文無しに近い今の状態では町にいてもできることはほとんど無いことを男は思い知った。
「今日はここで休んで、明日から北の県境を目指すぞ」
誰にともなく呟いた一言だが、その一言に反応するものがあった。
「あなたも県境を目指しているのですか?」
近づいてきたのは一人の若い女だった。髪はぼさぼさで、身なりは男同様みすぼらしいものだった。
「あの、私は青島といいます。仕事も家も失い、大阪でもう一度やり直すためにここまで来たんです。あなたも同じですよね?」

「やっぱり、もう昔のようにはならないんでしょうか。あの日から、この国は取り返しもつかないほどおかしくなってしまいました」
青島が男の横で、今や日本人なら誰しも抱くような疑問を口にしている。男は思わず、思い出したくもないあの日のことを回想していた。

今考えてみても、特に何か、前触れのようなものはなかったように思える。それくらい突然のことだった。あの日、裏金問題で窮地に立たされる安倍派を救うためマザームーンが祈りを捧げていると、それが天に通じて地獄に幽閉されていた安倍晋三が蘇ったのだ。安倍晋三は政府から追放されていた安倍派を動員し、官邸を掌握すると記者会見で世界統一聖帝を名乗った。聖帝は日本国に存在する全てのものが天のものかサタンのものかをハッキリさせると宣言し、国民の田んぼ、畑、ビルディング、もう全てのものを全部奪ってしまったのだ。これにより日本国民の99.9%が失業、同時にホームレスとなり、一億総貧困時代が訪れた。とは言え日本の経済が壊滅したことに驚いた聖帝は経済活動の多くを担う都市部の住民に家と職場を貸し与えたので、東京とか大阪での被害は結局限定的なものだった。一方、地方の農村ではそのような措置が行われることはなく、彼らは完全に見捨てられていた。忘れ去られていた。中でも県内に都市らしい都市がほとんどなく紀伊半島とかいうガチ辺境に位置する和歌山県は全く聖帝の眼中になく、人は働かず機械も動かない、まさに鼓動を止めたも同然だった。だから、男は、青島は、大阪を目指すのだ。

二人は連れ添って和歌山の海岸を歩いていた。陸の方に目を遣ると、打ち捨てられ荒れ果てたみかん畑が段々と連なっていた。ほんの最近までそこは目にも眩しい橙色の絨毯だったはずだ。色を失った海から吹きつける風に男は身震いした。
「……妹が、いるんです。ほんの少し身体が弱いけれど、誰よりも可愛い妹がいるんです」
不意に、青島が口を開いた。男は何か返事をしようと思ったが、青島が続きを口にする方が早かった。
「あの子には、ゆっくり休む場所が必要です。温かいご飯が必要です。…それと、薬も必要なんです。あの子のために、何としても私はお金を稼がないといけないんです。大阪でお金を稼いで、あの子を迎えに行かなくちゃいけないんです」
聞きながら、男は自然と口の端が引き締まるような感覚だった。男はとうの昔に家族を失っていたし、聖帝によって僅かに残っていた財産も失った。自分にとって守る価値があるようなものといえば親が遺したあのボロ車ぐらいかもしれないが、それも先日、失った。男には守るべきものも、守りたいものもなかった。ただ、漫然とその日を過ごすことを積み重ねるだけだった。彼が今日まで生きているのは、単に昨日まで死ぬ機会を逸し続けてきただけなのだろう。それを自覚した途端、男は喉の渇きを覚えた。唾を飲み込んでも渇きは癒えず、仕方なく貴重なミネラルウォーターを口に含んだが、結局渇きは癒えないままだった。

「さあ、そろそろ県境に到着ですよ」
運転席の男が二人に声を掛ける。彼は風間という共産党員だ。聖帝の復活とそれに伴う政権転覆後、日本共産党は非合法組織として聖帝に指定され、以降共産党は地下のレジスタンス組織として地方の困窮する人々への支援活動を展開していた。風間が国道沿いを歩く二人を偶然見つけ、そして車に乗せて県境まで送ってくれたのもその一環である。
「私は検問を越えようとすると身元が割れてしまうので、残念ですが大阪まで直接送っていくことはできません。だから、ここまでです」
礼を述べて歩き出そうとする二人に、風間は最後に一言だけを言って見送ったのだった。
「___幸運を」

果たして、二人は検問も首尾よく通過することができた。眼下には大阪の都市が広がり、それは夜だというのに昼のように煌めいて見えた。その光に暫し圧倒されていると、隣から青島の震えた声が聞こえてきた。
「…私、不安なんです。きっとまたやり直せると思って、希望はここにあると思って、今までずっと大阪を目指してきました。けれど、この都市に私たちを受け入れてくれる場所はあるんでしょうか。この都市は…私たちが暮らしてきた、あの和歌山とは比べ物にならないくらい輝いて見えます。そんな場所に、私たちの居場所はあるんでしょうか。私たちが信じてきた希望は…本当にここにあるんでしょうか?」
言いながら、彼女は自分がそれを口に出してしまったことに気がついたらしい。
「ごめんなさい。…私、変なこと言ってますよね。やっとこの場所に来れたのに…」
彼女は男に笑顔を見せた。しかし、その目は潤んでいた。都市の輝きにあてられた一つの光が頬を伝って、そして地に落ちるのが見えた。
考えるより早く、声が喉をせり上がった。口に出してこなかった激情が、喉をせり上がった。
「大丈夫だ。___俺がついてる」
「俺が絶対に、君を守ってみせる」
青島が、伏せていた目を見開くのが見えた。数秒の静寂の後、彼女は泣き笑いの表情のまま、辛うじて声を絞り出して男に応えた。
「あなたが話しているの、なぜか初めて見たような気がします」
「不思議ですね。何日も一緒にいたのですから、初めてのはずがないのに」
青島は男の身体に顔を埋めていた。二人を見咎めるものは、ここには何も無い。
「大丈夫だ。きっと上手くいく」
「あそこに行けば、何とかなるさ」



「こころー?こころ起きてるのー?」
「わかってるよ、うるさいなぁ」
「今日から一週間、老人ホームに体験学習に行くんでしょ。早く朝ごはん食べなさい」

「___次のニュースです。先日、大阪府泉佐野市で身元不明の男女二人が安倍派に射殺されました。容疑者は『FPS感覚だった。身なりが汚かったからムカついて殺した』などと供述しており…」
「うわ、ヤバ」
「無駄口叩いてる場合?早く行ってらっしゃい」
「は〜い」
「次のニュースです。政権を追われていた岸田氏ですが、黒魔術の儀式によってサタンと『合』に至っていたことがわかりました。岸田派はサタン岸田を中心に、安倍晋三世界統一聖帝の政治資金パーティー裏金ペロペロ疑惑について国会での追及を強める構えであり…


※この政治批判はフィクションであり、実在の和歌山県とは一切関係ありませんが、実在の安倍晋三、マザームーン、岸田文雄、サタンと関係があります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?