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2023年共通テスト体験記

東の果ての島国には妙な風習がある。儀式といってもいい。いい塩梅の年頃まで成長した島民を選別し、現世に君臨する「社会」という巨獣に、その血肉となりうる従順なマニュアル人間を捧げるための儀式だ。

さすがマニュアル人間を選別する儀式というべきか、それには幾つものルールがあった。執行中に「社会」が指定した道具以外一切机に出してはいけないと言われ、電子機器の電源をオフにするよう強制され、挙句トイレに行くことさえ「社会」の手下である試験官というやつに許可を取らないといけないらしかった。試験官はそれら守らないと不正行為になる、と脅してきた。不正。不正ってなんだ。タヒチアンバリミ星系第四惑星には兆を超える生命体が暮らしているのに、一兆の命の全てが普遍的に持つ正しさの尺度など存在し得ないのに、それと同じように僕たちの「不正」に関する認識だって同じなはずがないのに、当然のようにそれが同じという前提で話を進める試験官を僕は軽蔑した。そんな空虚な脅しに疑問を差し挟もうともせず縮み上がっている教室にいる50人の若者たちも軽蔑した。これがマニュアル人間というやつか、と僕はその時初めて実感した。同時に、僕はどうしようもないほどの嫌悪感をこの儀式に抱いたのだった。ここに来たことを激しく後悔した。

世界史のテストでは、僕の胸を打つ言葉と巡り合った。曰く、「アダムが耕し、イヴが紡いだとき、誰が貴族であったか」。意味はちっともわからなかったけど、いい言葉だと思った。僕は「アダムが耕し、イヴが紡いだとき、誰が貴族であったか」が好きだ。僕はアダムが耕し、イヴが紡いだとき、貴族でありたい。

地理では、僕はちょっと笑った。文Jと文Kが両方当てはまる地域を選びなさい、という問題が出たからだった。JとK両方、J、K、そう、それは、まるで____J.K.ローリングのようだと僕は思った。僕はハリー・ポッターが大好きだ。特に駅の壁を通り抜けると秘密のホームがあるという設定がいい。あの設定のおかげで毎年548人の無邪気な子供たちがキングスクロス駅の壁に頭を打ちつけて死んでいるというのが堪らなく愉快で好きだ。まるで柱で頭をかち割ろうとした藺相如の生まれ変わりのようだ。藺相如はとても優秀な人物だ。僕は藺相如の方がバオ=ダイよりも好きだ。ひとしきり笑った僕は、問題用紙にJ.K.ローリングと書き記しておいた。

ル=コルビュジエと国語のテストで出会った。僕はル=コルビュジエが嫌いだ。僕はもともと建築家になりたかった。なのに、僕は理系科目がとても苦手なので工学部を志望することを諦めたのだ。その点ル=コルビュジエは凄い。彼はきっと数学とか物理というやつが大変上手だから、建築家になれたに違いなかった。それが途轍もなく妬ましく、悔しいから僕はル=コルビュジエが嫌いだ。それに比べて、小説はよかった。餓えがテーマだったからだ。餓えは大変なことだ。僕たちにとって不正に関する捉え方は必ずしも一致しないが、餓えというのは生命全てに共通する問題だからだ。オケラだって、アメンボだって、クマムシだって餓えは困るに違いない。

古文と漢文の問題もやった。僕はル=コルビュジエの10倍古文が嫌いだ。古文の多くで題材とされる色恋沙汰は遍く命にとってあまりにも普遍的でない問題だからだ。世界は普遍的であらねばならない。だから僕は古文が嫌いだ。同じ色恋なら、アメリカのイロコイ族について学ぶ方がよっぽど普遍的だ。なのにイロコイ族については一切学ぼうとしないこの島の教育が、僕は嫌いだ。その点漢文は普遍的だ。少なくとも古文より、よっぽど普遍的だ。世界は普遍的であるべきなので、僕は普遍的なものが好きだ。だから漢文も好きだ。でも、今回のはとても大変だった。漢文の内容が大変だったからだ。

問、自古以来、君者無不思求其賢、賢者罔不思効其用。然両不相遇、其故何哉。今欲求之、其術安在。

現代語訳:(昏き悪魔が空を覆い、混沌の刻が訪れる。見よ!汝らの命運はまさしく風前の灯。……だが、その命運を繋ぎ止める術もまた、この地に眠る。)

漢文を読解したとき、僕はとてもびっくりした。この予言がほんとうなら、僕たちは命の危機に晒されている。僕は命運を繋ぎ止める術を必死で考えた。それを考えてばかりで、テストどころではなかった。

英語リーディング試験の時、左前に座っている人が驚くべき行動をした。爆弾を机に置いたのだ。その時、僕たちは電子機器を全て机に出し、電源が切れているか確認するよう命じられていた。僕はこのルーティーンに意味を見出せないので、とてもうんざりしていた。電子機器を出せと言われたから、思わず爆弾も出してしまったのだろう。最初は我慢していたようだが、テストに揉まれいつのまにか試験官に言われた通りの行動を心からしている彼の愚かさを僕は笑った。彼もまたマニュアル人間だったのだ。試験官も流石にこれには驚いたらしく、爆弾を没収しようとしたようだった。でも彼はできなかった。当たり前だ。受験生が爆弾を取り出したとき、それを勝手に没収していいなどとマニュアルには書かれているわけがないからだ。マニュアル外のことを、生粋のマニュアル人間である試験官に出来るはずがなかった。マニュアルによれば、本人の承諾なく荷物を持ち出せるのは試験中にアラームが鳴った時だけだ。でも、それで僕はある手を思いついた。ところで、英語のリーディング試験によると、クマムシは餓えもへっちゃらのようだった。餓えは生命共通の問題ではなかった。こんな時、餓えを憎めばいいのかクマムシを憎めばいいのか、僕はわからない。

その後の休み時間に、僕は彼のリュックにブザーを放り込んだ。遠隔で起動するやつだ。ボタンは、僕が握っている。リスニングの試験が始まってすぐに、僕はブザーを鳴らした。試験官はたちまち目の色を変えて爆弾が入った彼のリュックを持ち出していった。その瞬間、大爆発が起きた。間一髪で僕たちは助かったのだ。でも、ほかの受験生たちはまだ必死にリスニングをやろうとしている。大きな騒音があったのだから試験にならないはずなのに、試験官の中断指示がないから中断しようと考えていないのだ。指示がなくて当然だ。試験官はさっきの爆発で死んだ。

僕はもはやこんな馬鹿らしいマニュアル人間の儀式に付き合う気になれず、一人荷物を纏めて家に帰った。試験官が死んだ試験会場では、指示がないので受験生たちはとっくに音声の再生をやめたICプレイヤーを前にいつまでも座り続けていた。

僕は食事をした。
受験生たちはまだ指示を待っていた。

僕は睡眠した。
受験生たちはまだ指示を待っていた。

僕は島を出た。
受験生たちはまだ指示を待っていた。

僕はトルコでトルコマンチャーイ条約にまつわるお土産を法外な価格で観光客に押し売りする仕事についた。
受験生たちはまだ指示を待っていた…………



70年後、イスタンブールの病院で死に瀕していた僕に、名もわからないひとりの男が訪ねてきて、尋ねてきた。
「それで結局誰が、アダムが耕し、イヴが紡いだとき、貴族であったのですか?」

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