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駿台生の一日を紹介

午前7時。
タブレットに設定しておいたアラームの音で目を覚ます。寝覚めは良くないが、そんなことにはとうに慣れた。こういった生活をしていると、良い朝を迎えられる日の方が珍しい。
ダイニングの方に行くと、銀色のオートマトンがキッチンで料理をしていた。こちらに背を向けてはいるが、彼の高機能センサーは半径5m以内の動くものを正確に捉えることができる。
「ああ、旦那様、お目覚めですね。今日の朝食は鶏卵味の栄養ブロックとトウモロコシエキスを使ったエナジースープでございます」
彼の名はワーズワース。駿台に入学した者全員に割り当てられるお手伝いロボットの一人だ。少し融通の利かないところはあるがとても実直で料理も上手い。しかし当の駿台が生徒に配給する食材は必要最低限の無味乾燥としたものばかりで、こんなものでは正直誰が作っても大差ない。はっきり言って、リソースの割り振り方がおかしいと思う。
碌に味もしないいつも通りの朝食を済ませると、お茶を飲む暇もなく出掛ける支度を始める。
「ワーズワース、今日の時間割は何だっけ?」
「本日の時間割は、1限から順番に古文、数学、英語、英語、現代文、数学、数学、漢文、でございます」
ちえっ、今日は地歴の授業無しか。僕の悪態は、誰に届くでもなく何も無い空間に消えていった。

午前8時。
地上ではドローンを用いた交通網がメガロポリスを覆い、人間の通勤・通学はどんどん便利になっているというのに、僕らは未だにこの前時代的な列車に詰め込まれて移動している。同じ車両に乗り込んだ生徒を見渡してみても、どの顔もジャガイモ…失礼、今はショルゼルゼアという呼び名だった…のような土気色をしている。かく言う僕も、今ここで鏡を取り出して顔を見てみればきっと彼らと同じ土気色をしているのだろう。もっとも、鏡を取り出すスペースの余裕などありはしないが。

午前9時。
今日で何度目の始業を迎えただろうか。それを数える事をささやかな楽しみにしていた時期もあった気がするが、いつしか数えることをやめてしまった。講師の話し声はこのだだっ広い教室によく響く。
「つまりだ、紫式部は清少納言を殺すことも出来た筈なのだが、結局彼女はそうしなかった。なぜか?そこに謎がある。ヒステリーを起こさなかったことがヒストリーのミステリーってわけだ」
彼は今日も絶好調のようだ。

午前10時。
「…であるからして、ここで求めたbをaに代入することでa#が出る。翻って、 bをaで割るとTGVが求まるので、これをa#と連立すればfが導けるな。そこでuの出番だ。uにa#をかければfなので、そこから言えることはaが1471ではないということだ。さて、このようにして今度は1470の時を考えてみよう…」
今日も一問の解説も終わらなかった。どういう理屈なのかは分からないが、彼の授業はやけに進度が遅い。

午前11時。
この英語講師の授業は極めてつまらないことで有名だ。しかし、斜め前に座っている生徒のようにつまらないからと言って寝てはならない。なぜなら…
「睡眠者、感知。懲罰プログラム、実行」
上から機械音声が降ってくる。それから数秒もしないうちに、天井から出てきた機銃が乾いた発砲音を響かせ、寝ていた生徒の脳天を撃ち抜いてしまう。
「ああ、これがあるから居眠りする生徒は面倒なのですよ。その肉塊を片付ける清掃員さんの立場にもなってみてください。授業を中断させられる私の立場にも」
講師の冷徹な声が聞こえる。さっきまで人間だったものの血飛沫で僕が開いていたノートはすっかり読めなくなってしまった。まあ、仕方がない。いつものことだ。

正午。
同じ講師の授業が続いている。居眠りで撃たれることを恐れ、いっそ授業を欠席しようと考える者もいるようだが、それは愚かな考えだ。僕らのあらゆる情報_それには位置情報も含まれる_は事務局によって完全に管理ファイルされているので、授業を切ったことはすぐに知られるだろう。そうなると、明日からこのクラスの生徒がまた一人減ることになる。ただ、自分が広々スペースを使えるようになるので、個人的にそれは喜ばしいことでもある。蒸発したその人には悪いけど。

午後1時。
どういう逆張りなのかは知らないが、駿台の昼休みは少々遅い。昼食はフロンティアホールと呼ばれる食堂でとることになっており、その献立も完全に管理ファイルされているので何か勝手に食べ物を持ち込んで食べることは許可されていない。とはいえ、僕らが食べ物を配給以外に手に入れる術は皆無なので、実際そんな規則はあってもなくても変わらないと思う。今日の昼食は遺伝子組み換えトマトの合成ステーキと茹でたショルゼルゼア。おっ、今日は意外と豪華なメニューだな。

午後2時。
「…注にも書いてありますが、YouTubeというのは当時のGoz-Mezです。HIKAKIN氏に代表されるGoz-Mezerは当時、YouTuberという呼び名でした」
現代文とはいっても、意外と昔に書かれた文章も出るのが面白い。僕らにとって、現代文で登場する文章は地上世界のことを知れる数少ない機会だ。だから、僕らは皆現代文の授業は大好きだ。

午後3時。
授業のはじめに数学の小テストがあった。僕は当然のように自己採点で満点の答案を提出する。講師は回収した答案を一通り眺めると、内線で黒服の男を呼び出し、ある一人の生徒を連れ去って行ってしまった。これは僕の推測に過ぎないが、おそらくテストの成績が最も悪かった者を連れ出し、"再教育"を施しているのだろう。しかし、彼も莫迦な奴だ。数学の講師なんて数以外のことは何も分からないのだから、答えがどんなに間違っていようと総合得点さえ良い点にしておけば何も問題ないのだ。彼に式とか、論証とか、そういったことは一切理解できないのだ。だから、僕はずっと前から総合得点だけ満点にした答案を提出している。他の人に真似られたら困るので、ここだけの秘密だ。

午後4時。
まだ数学の授業。途中、3列前の生徒が撃たれた。特筆すべきこともない、つまらない時間だった。

午後5時。
漢文授業。講師雑談、大変面白。中華文明三千年的歴史大変深遠、以講師雑談面白為。話題転換、「講師」又「孔子」是韻踏可。孔子万人的先生、講師我等的先生、共通性質。押韻同様言得妙。講師孔子放光、以強力我等押上次次元。増幅光軌跡、我等見社会変革駆動共創的姿。一読!

午後6時。
授業が終わり、自習の時間になる。一流の受験生たるもの文武両道、質実剛健を体現せねばならぬという駿台事務局の思し召しにより、自習室に向かうためには過酷なアスレティックを攻略する必要がある。どんなに体力があっても、下の水に落ちてしまうと一発でアウトになってしまうのには注意が必要だ。
30kg、40kg、50kgの壁を順番に持ち上げて先へ進んだところに待っているのはクリフハンガーだ。僅か数センチの突起を指の力だけで掴んで先へ進む、極めて過酷なアスレティックだが、特に注意したいのはここから水が溶岩に変わるので落ちたら死を意味するということだ。あ、言ってるそばから一人焼け死んだ。
今日はウォールリフティングで体力を使い切ったから、安全をとって自習はまた明日にしようと思う。

午後9時。
宿舎に戻ってきた。ワーズワースが夕食を用意してくれている。今日はユニオンショルゼルゼアと遺伝子組み換え豆腐ハンバーグ、そして角髄キノコのエキスを用いたエナジードリンクだ。ワーズワースと話しながらゆったりと食事をとるこの時間だけが、僕の一日の楽しみだ。しかし無情にも、こういった時間はすぐに流れていってしまう。

午後10時。
シャワースプレーを身体にかけて入浴を済ませ、毎日の脳強化サプリメントを服用してベッドに入る。駿台生の夜は早い。こうして僕の一日は終わり、僕の心は今日も少しずつ死んでゆく。


…僕が君たちに向けてこれを書いた理由は一つだ。君たちには、今の僕のようになって欲しくない。だから、浪人なんかするな。

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