見出し画像

五月祭に行ったよ

 浪人だから五月祭に行く気にならないという意見もあるが、俺はそう思わない。考えてみてほしい、今自分は東大落ちの浪人なので東大生と比べて明確に劣る立場であるが、五月祭は俺が客となるので東大生は俺を尊重せねばならない。こんな素晴らしい機会を逃す手はないではないか。

 まあそういうわけで、東京大学の学園祭である五月祭に行ってきた。五月にやるから五月祭というのは何とも安直なネーミングで、日本最高峰の大学でござい、と威張ってみても所詮その程度のセンスしかない奴の巣窟なんだろうなということはひしひしと感じられる。ただそういった批判はおいおい書くつもりなのでひとまず後ろに回そう。ともかく先述の理由もあり、俺は東大生の屋台を悉く潰してまわってやると勇んで本郷に降り立った。いや地下鉄で来たから「降り立った」というのも変じゃないか?なんだ?狸穴地下室まみあなアンダーグラウンドから本郷へ昇華アセンドしたと申し上げるべきか………まあいいだろう、ここでは便宜上「降り立った」としよう。それで本郷に着くや否や人、人、人!もう嘘だろと叫びたいくらいの人!!東京大学の学園祭のコンテンツ力を軽視していたことを思い知らされたわけだ。1ヶ月前に姫路城に行った時も姫路城の人気を軽視してとんでもない人混みにでくわした(しかも桜が見頃だからとかで一年で最も混む日だったらしい)のだが、まさにデジャヴだ。

 不思議なことがある。俺が五月祭に行くのは何も初めてのことではなく、小学生だかの時に行ったことがあったはずなのだが、その時は特に人混みで死にそうな思いをしたことはない。雨も降っていなかったので人ももっといたはずなのに、だ。それが今はどうだ。東大の入り口に辿り着く前、駅からの道だけで絶望的なテンションになった。これはどういうことなのだろう?歳を取ると人混みが苦手になるのか?少なくとも、どうやら俺は昔と比べてかなり繊細な人間になっていたようだ。それが良いことか悪いことか、そこまでは判断がつかないことであるが。

 五月祭の会場に到達するまでで約850文字も使ってしまったが、何とか東京大学に辿り着いた。俺はこの大学が憎い!赤門に火炎瓶を投げ込みたいほど憎い!だが、俺は東京死ねバカゴミアホ勘違い甚しい大学と違って敵を赦す寛大さを備えているので、火炎瓶は投げ込まずにおいてやった。さて、いざ敷地内に足を踏み入れるとこれまた凄まじい数の人でごった返しているが、これはもう諦めるよりほかあるまい。先へ進む。通り道の脇には大学生による露店がずらりと立ち並び、喧しい声で彼らの売っているメニューを宣伝していた。露店はどうやらたこ焼きとチュロスが特に多いようだ。たこ焼きはJAPにとってポピュラーな祭りのグルメで、かつ露店でも提供しやすいからわかるが、チュロスの店が多いのはどういう理屈なのだろうか?チュロスはスペインの菓子のようだが、チュロスを売っていた団体は皆スペイン語のクラスなのか?恐らく、そうではないだろう。では俺が知らないだけで実はチュロスはJAPにとって最もポピュラーな菓子の一つなのだろうか?それとも、チュロスは何か露店という形態に向いた要因があるのだろうか?俺がこの島国を取り巻く空前のチュロスブームにまったく取り残されていたと仮定するのはあまりにも悲しすぎるので、後者であると信じたいところだ。

 ここで先ほどもちらりと触れた話題に入ろうと思う。何かというと、彼らが掲げる露店のネーミングセンスについてだ。これがまあ、何というか、流行りのインターネット・ミームであるとかスラングであるとかそういうやつをもじった陳腐なものがあまりにも多い。いや、確かに俺は彼らの露店経営について何事か口出しできる立場ではない。しかし、そのようなオリジナリティの欠片もない名前をよりにもよって愛すべき彼らの店につけるというのは、些かなりとも躊躇いを覚えないのだろうか?いやしくも日本最高峰の大学の一員たるもの、客をあっと言わせる知性とユーモアとペーソスに満ちた名前をつけてやろうと思わないのだろうか?通りに立ち並ぶ「Chu!〇〇でごめん」という店たちを見て、やっちまったと思ったりしないのだろうか?こういった、センスも向上心もない連中が東大生として振る舞い、また俺がそうした連中に敗け、御茶ノ水に立地する民営刑務所で懲役刑を課せられている現状というのは泣きア…失礼、ミームで記事を書いてしまうところでした。

 諸君に、こんな鼻持ちならぬ者共に一矢報いる手段を教授しよう。①まず露店に行き、食品を一つ頼む。この場合、メニューは安ければ安いほど財布への負担がかからないので好ましいといえる。②自分の髪の毛を千切る。まともに髪の毛の保守本流を千切ろうとすると痛いので、額の生え際あたりの柔らかい毛を引っこ抜くのがいいだろう。スキンヘッドはどうするかって?てめえの髭でも引っこ抜いてろハゲ。③髪の毛を食品に入れる。この時、いかに「誰かが入れたのではなく調理の過程で混入した」もののように見せるかは極めて本人の腕が問われるところだ。これは練習あるのみだ。④クレーム。初っ端から怒りを顕にするのはいかにもわざとらしく、しっぺ返しを食らうかもしれない。よってまずは戸惑うような素振りを見せ、そこから徐々に怒りへと移行するのがミソだ。⑤適当なところで店との喧嘩を切り上げ、周りに向かってその店のマズさを喧伝する。これでその店の売り上げは激減だ。東大落ちのお前に東大生が跪き、許しを乞うということはさぞかし愉快なことであろう。これぞ、五月祭の真の愉しみ方である。

 ところで、今そこの露店からピロシキってやつを買ってきた。ロシア料理らしい。俺はciv6のピョートル1世のおかげで、ロシア語のこんにちはだけは言える。今回俺が買ったのはプレーン味だ。出来立てで熱くなっているため、包み紙が二重になっている気配りの細かさは賞賛に値する。さすがは暖房と縁深い国ロシア、熱の管理には一日の長があるようだ。思ったより生地が分厚く、カリカリとしているのは驚いた。イメージに反してがっしりとした食べ応えは、第二次世界大戦時にヒトラーがソビエトを「腐った納屋」と形容してみせながら、連邦が決死の抵抗でファシストの軍勢を粉砕してみせたあの構造を彷彿とさせる。プレーン味というだけあって濃い味付けが好きな俺にとっては少々薄味だったが、これは裏を返せば塩分が気になる人でも食べやすいということだ。俺のような濃口が好きな人はカレー味をオーダーすればよいのだ。こうした幅広いニーズを満たそうとする姿勢は、まさに広く、大らかな母なるロシアそのものだ。

他にも露店で焼きそばとかベビーカステラとか餅のような食感のワッフルを買ってたら、何を言いたかったのか忘れてしまった。要するに、国際色豊かで日常ではなかなか食せない品々がたくさん売られていたり、我々に馴染み深い食品であってもそれぞれの個性を感じる工夫が凝らされているので、興味の赴くまま買い食いをすべきであるということだ。これぞ五月祭の醍醐味であろう。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?