見出し画像

嘘旅行記:アイスランド編

日本のみならず世界的に猛暑が続く最悪の夏、生きるために日本を飛び出すしかなかった。所謂避暑というやつである。南半球の国に行くか迷ったが、結局緯度を上げることで暑さから逃れることに決めた。これは北極圏の境にある極北の島国、アイスランドを僕が訪れた時の記録だ。

アイスランドに行くのは簡単なことではない。アイスランドには空港がないため海路で行くしかないので、僕はまず羽田からストックホルムに飛び、さらに乗り換えてノルウェーのベルゲンに降り立った。このような長時間のフライトは飛行機が苦手な僕にとっては耐え難く、既に満身創痍と言ってよかった。しかしここまで来たからには僕の好きな船旅が待っていると思い、勇んでベルゲンの旅客ターミナルでレイキャビク行きの客船のチケットを買い求めた。これを窓口の人に告げた際、あの人は目を剥いてたっぷり数十秒僕を見つめたまま硬直していたので、何かあるのだろうか?と思っていたら後ろからやり取りを聞いていたらしいお爺さんが僕に話しかけて来た。その話の内容を纏めると、どうやらノルウェー海はヴァイキングが庭同然に暴れ回る危険海域であり、ここを通る船に乗るのは余程の命知らずか無知しか居ないのだという。ヴァイキングの時代はとうの昔に終わったのだ。何をボケたことを言うのかと老人の話を笑い飛ばした僕は、ほどなくして客船に乗り込んだのだった。

出航して10時間、スレイプニルも眠る丑三つ時(アイスランドの有名な諺だ)、それまで平穏だった船旅が修羅と化した。突如としてどこからか雄叫びが聞こえたかと思うと、他でもないヴァイキングのロングシップの船団が僕が乗る船を取り囲んでいたのだ!僕は自分の見ているものが信じられなかった。ロングシップは明らかに漕いで進む船のはずだが、ヴァイキングの完璧に統率された船団は内燃機関で進む現代の客船をまるで赤子と競争するかの如く容易く追い越し、逃げ道を塞いでしまったのだ。彼らはイルカのように海上を跳ね、船に乗り込み積んであった物資を悉く奪って行った。乗組員や他の乗客が次々とヴァイキングの恐るべき手斧で首を落とされていくのを見て、僕は一つの賭けに出るしかなかった。幸いにして僕は古ノルド語が堪能だったので、彼らに自分は降伏すること、ヴァイキングの一員として仲間に加えて欲しいことを必死に伝えた。僕の前に立ち塞がった熊のような大男は、僕が古ノルド語を使ったことに驚き、同時に興味を示したようで、黙って僕を小脇に抱えて長の船らしい一際大きなロングシップへ連れて行った。初めて見るヴァイキングの族長はあまりにも常識外れな男だった。身長は250cmを超え、ぼさぼさの髭は膝の辺りまで伸び、雷神の如く髪は逆立ち、そして実際彼は僕の目の前で雷の力を自在に操ってみせた。しかし、信じられないかもしれないが、実際話してみると彼はとてもフレンドリーな人物だった。僕と彼はものの3分で意気投合し、その2分後には僕は兄弟たちと美酒に酔っていた。ヴァイキング・キングは僕がアイスランドに行こうとしていたことを知ると、彼は快くロングシップの船団で僕をレイキャビクに送ってくれた。港に辿り着くと、彼は「親愛なる兄弟よ、何か困ったことがあれば何でも相談するがいい」と言ってくれて、僕たちはLINEを交換し、またTruth Socialで相互にフォローし合った。まだ目的地に着く前から僕は思わぬ幸運と素晴らしい出会いに恵まれ、本当に幸せな気分でアイスランドの土を踏んだのだった。

先程、重要な情報を一つ隠蔽したことを許して欲しい。僕はアイスランドに行く理由を単に「気温が低いから」と説明したが、それは正確ではない。ここに行くことを決めた理由はもう一つあるのだ。実は、今年(2023年)は13年に一度開催される「オーディン祭(現地名:Hátíð Óðins)」の年でもあるのだ。その祭りのメインイベントが明日に執り行われる。僕はそれを楽しみに、既に夜遅いレイキャビクの質素なホステルで眠りにつくのだった。

今年のオーディン祭のメインイベントはアイスランド最高峰の火山であるエーライヴァヨークトルの火口で行われる。火口部まで登ることは容易ではなかったが、それでも僕は早起きして朝から必死に登ってどうにか登頂することができた。僕が火口に辿り着いてから程なくして、儀礼用の衣装に身を包んだ司祭のような男がイベントの開幕を宣言した。その傍には豪華なドレスに身を包んだ美しい女性が満面の笑みで控えていた。司祭のスピーチが終わると、傍にいた女性の家族や友人が彼女を抱え上げ、胴上げをしながら運び始めた。行き先はマグマ煮えたぎるエーライヴァヨークトルの火口の中だ。誰もが祝福の笑みを湛えてその様子を見守る中、ついに女性が火口に投げ込まれた。瞬間、観衆は皆喝采し、辺りは大騒ぎになった。これぞ、祭の目玉である「ヴァルハラへの旅立ち」である。火山の火口に入ることで最高神オーディンがおわす宮殿、ヴァルハラで再び肉体を得、蘇るのである。本来ヴァルハラは勇敢なる戦死者のみにしか立ち入ることが許されないが、戦争がなく平和な現代ではオーディンがアイスランドの象徴的な元首である大統領に神託を下し、その神託で指名された者がヴァルハラに行く栄誉を賜るのである。話を現在の状況に戻すと、お祝いムードがひと段落すると僕を含めて火口にいた全員が次々に下山を始めた。なぜかというと、ヴァルハラへと人間を送り出した火山はそれが滞りなく終わったことの証として大噴火を起こすからだ。2010年のエイヤフィヤトラヨークトル噴火は火山灰によってヨーロッパの航空網を半ば麻痺させたことで話題になったが、何を隠そうこの噴火もヴァルハラへの旅立ちによるものである。神託によって火山も指定されるため、毎回それが移り変わるのだ。僕たちが下山を終えて安全な場所に避難すると、果たして噴火が起きた。その勢いは凄まじく、まさに神火と呼ぶべき荘厳な光景だった。その場にいた誰もが、感嘆のため息を漏らさずにはいられなかった。

レイキャビクに戻ると、多くの飲食店がオーディン祭を祝して割引価格で食事を提供していた。アイスランドは物価が高いので、こうした形で食費を浮かせられたことは幸運であった。今夜の食事はアイスランド国民の生命線ともいうべき魚、タラを使ったフィッシュシチューとこれまたアイスランドの名産、ロブスターの炒め物だった。さすが漁業の国アイスランド、獲りたての魚介をふんだんに用いた料理は絶品というほかなかった。そんなご馳走にアイスランド地酒のブレニヴィンを合わせる!これほどの贅沢が地上に存在するであろうか?僕は宿に戻ることも忘れて酒を痛飲し、いつのまにか世は更けていた。とはいっても、昨夜の噴火で全然太陽とか見えなくて真っ暗だったが。

この後は温泉を巡り、オーロラを見に行く予定だったが、うっかり観光初日に火山噴火の日をあててしまったために火山灰のせいで露天風呂もオーロラも当分無理になってしまった。もっと早く来るべきだったと後悔したが、落としたブレニヴィンを惜しんでも元に戻ることはない(アイスランドの有名な諺だ)。こうなったらいっそのこと、アイスランドは一旦諦めて違う国を観光してやろうと思った。ヨーロッパは火山灰に覆われるだろうから、それ以外の国で涼しいところがいい。ヴァイキング・キングの迎えの船を待つ間、僕はそれを考えることに没頭した。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?