東京からの高速バスの中で思うこと

人生の中で、もう何回東京と名古屋の往復をしているだろう。

名古屋はそこそこ大きな街かもしれないけれど、芸事をきわめるには、何もかもがもの足りない街。

コンクールを受けに、オーディションを受けに、先生のレッスンを受けに、東京へ行くときは大切な演奏を控えていることが多いので新幹線で移動をすることが多い。

高速バスに乗るのは、何かおおきなことを終えたあとの東京からの帰り道。だから高速バスの中はいつもつい考えごとをしてしまう。5〜6時間もある移動時間の中でうとうと眠ったり起きたりしながら、これまでのこととこれからのことを考える。仙台から帰る深夜バスの中ではリサイタルをすることを決意したんだっけな。

わたしは今、高速バスに乗っている。東京からの帰り道。今日は大きな決断をした。

今日、2年前からわずらっているフォーカルジストニアの外科手術をすることが決まった。

楽器を吹くときにうまく指が動かないだけなのに、頭蓋骨に穴をあけて脳手術をするということは理解してもらうことが困難で、父親には猛反対された。結果として疎遠になってしまった。

家族は大切だった。好きだし、これまで育ててくれたことに心から感謝している。両親はまぁまぁ無責任だけど愛のある家庭に育ったと思う。

だから、父親の言うことをおしきって手術を決めるのは最後まで心が傷んだ。これまでの2年間の闘病生活の中で手術を選ばなかった理由は、父の反対のほかになかった。

それでも、わたしの人生を考えたとき、回復の可能性がある方法はもう手術しかなかった。

現在30歳。
年齢、キャリア、体力を考えても、もう待てない。

手術をしてもらう先生の外来の予約を取れたのは、私が手術をしたいと思ってから3ヶ月もかかった。(紹介状をお願いすることや、予約待ちが多いことによって物理的に時間がかかった)

思い返せば、3ヵ月前からもうわたしの心は決まっていた。今日の診察までこの3ヵ月あまり考えないようにしていたが、決断するのには必要な時間だったのかもしれない。

インターネットで調べたり、地元の主治医の先生に聞いていた情報はほぼ正しく、今日はするするとことが運んだ。父親の反対によって手術をしてもらえないことをおそれていたが、わたしが心配していたことは問題なかったよう。神経の図太そうな先生だった。信頼できる。

でもすべて自己責任なんだな、と強く感じた。

人生の中で繰り返してきた決断の数々は、それぞれ今になって正しかったのかわからない。

それでも今日、またわたしはひとつ決断をした。

母は賛成はしていないが、たぶん心配してくれている。
「涼子ちゃんは痛いの苦手なのに、そんな手術耐えられるの?」

そりゃあ、痛いのはこわい。
たぶん、手術のときは、いいおとなが泣き叫ぶだろうし、(先生にも痛みと恐怖に弱いことも相談したくらい…)できることなら痛いことと怖いことは避けて生きていたいと常々思っている。

でも、このまま楽器が思うように吹けない絶望のまま生きていくほうがずっと怖い。

戻れるなんて思っていない。今のままでも生きていけるように準備しているし、それでも楽しく生きていこうと思っている。

それでも、方法があるのに「親が」「怖いから」「リスクがあるから」という理由で、それをおこなわないことがわたしにはできない。


高速バスの中は考えが整理される。
隣に座るバンギャは今日も行儀が良い。(高速バスにバンギャはつきもの)

今のわたしにできる、最善の決断をしたはずだと思っている。

30歳は360度どこからみても、もうおとなだ。これからすべて自分の意思で決まるんだ。少し泣いたけど、たぶん大丈夫。

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