どうしようもない人間だって夢を語れますか?~非在と夢の覗き穴~
触れないもの。
届かないもの。
実体のないもの。
ここに居ないもの。
これから居なくなってしまうもの。
もう居なくなってしまったもの。
見えないもの。
周りからは見えないもの。
「現存」と「現実」の、裏側。
「夢」という言葉を聞いたとき、あなたはどういったイメージを持ちますか?
「昨晩の夢は~だった」などと言うとき、「夢」という言葉を使います。「将来の夢は~」などと言うときも、「夢」という言葉を使います。
「またまた悪夢を観ましたね」……なんて何処かで聞いたことのある台詞にも「夢」という言葉が使われています。
この言葉の意味は基本的には2つあり、それは「眠って目を閉じている間に見るもの」と、「未来を語るときにテーマとするもの」です。そのどちらもを、我々は「夢」と呼びます。
この重ね合わせに対して、僕は素朴な疑問を抱きました。
何故2つの異なった事柄が共に「夢」と呼ばれるのか?何故それらが重なったイメージを持ち得るのか?……というかそもそも、
「夢」って、何だろう?
「夢」って、何処に在るんだろう?
そんな不思議でふわふわとした「非在」と「夢」のイメージについて考えているうちに、このnoteを通してそれを文章にしてみたくなりました。
どうしようもない人間だって夢を語れますか?
僕のイメージを愛するボカロ曲の紹介と共につらつらと書き綴った、極めて随筆的でまとまりのない文章になることが予想されますが、どうかゆったりと読んでもらえると嬉しいです。
「非在」について
夢について話す前に、まずは「非在」について話していきたいと思います。
「非在」と聞けば「在に非ず」、つまり「存在しない」ことだと思うのが比較的自然なのではないかと思うのですが、僕の言う「非在」、ここでの「非在」の意味は少し違います。
端的に言えば、「非在」は「此処に非ず」、「『此処』に存在しない」ことを指します。例えばそれは遠く離れたものであったり、それはあの世に逝ってしまったものだったり、それは壁を隔てたものであったり、それは触ろうとしても触った実感のないものだったり……と様々ですが、それらをまとめて僕は「非在」と呼んでいます。
彗星になれたなら / はるまきごはん
空想ばかり話す僕だから
離れ離れになったのか
いつのまにかあなたのことを
忘れちゃって
ただ息を吸うガラクタに
なれば笑える時もあるかな
そんな明日が来たなら
焼き尽くして彗星よ
だんだん色が無くなって
あなたの誕生日も忘れちゃうような
大人になったらどうする
どうする
離れ離れになった「あなた」は、「僕」にとっての非在です。
「あなた」が此処にいないことは「僕」を苦しめ、「あなた」ごと忘れてしまえば楽になれる。しかし、それをしてしまうような「僕」は無価値な「ただ息を吸うガラクタ」で、此処にいない「あなた」を心からも消し去ってしまうことは決してしない。そんな「あなた」の非在を心に抱える様子が描かれています。
ラプンツェル / n-buna
僕の目に君が見えないなら
何が罰になるのだろう
さよならが君といた対価だ
その罰がこの弱さだ
ここでの非在は「君」です。「君」とは何かをきっかけに「さよなら」をしてしまい、此処に「君」はいません。
「さよならが君といた対価だ」とあるように、「『君』といた」時間=「『君』の現存した」過去に「僕」は大きな価値を見出しており、その引き換えとしての「さよなら」という言葉の重みと「君」の非在を心に抱える様子が「対価」という言葉に表れています。
「非在」とは「此処に存在しないこと」ですが、「此処」を定義するためには「主体=主人公の視点」の設定が必須です。そして、主人公にとっての非在は上のように主人公の心象として現れることがよくあります。何故なら、「非在」は主人公の心の中で「辛うじて生きている」ものだからです。
何度も繰り返しますが、「非在」は「存在しない」ことではありません。かなり哲学チックな言い草になるのですが、「本当にどこにも存在しない」ものは、どのような手段を用いても、どのような形でも、それを知覚できないし、語ることもできません。
「此処にいない君」のことを忘れてしまえば、それは心の中からも消えてしまい、「完全な消失」を迎える。それを拒む感情こそが「非在を心に抱えること」であり、それによって、非在は「形見」として存在できるのです。
ドーナツホール / ハチ
ドーナツの穴みたいにさ 穴を穴だけ切り取れないように
あなたが本当にあること 決して証明できはしないんだな
過ぎたことは望まないから
確かに埋まる形をくれよ
この胸に空いた穴が今
あなたを確かめるただ一つの証明
言わずと知れた名曲、『ドーナツホール』。この曲において「ドーナツホール」、「ドーナツの穴」は非在の象徴として登場します。
「あなた」はもういないし、「あなた」のことは自分自身も忘れかけてる。しかし胸に空いた「空洞」が、それ単体では取り出せない「ないもの」や「失ったもの」の形と大きさが、まさに「形見」となって心に残り、非在としての「あなた」の存在を証明しています。
ライハーズノット / 末代雨季。
青すぎる青をまだ閉じ込めていた君の瞳も
右手に咲く左手も 全部嘘みたいだった
有り触れた言葉でさえ全部奇跡映像に
「記憶に加担した罪、その罰は今日」
共犯者不在も生活は継続していく
理不尽に枯れない左手の熱は
僕らの永遠を証明してるのに
「君」の非在を描いたこの楽曲の歌詞には、「君」という単語が1番Aメロまでの2回しか登場しません。
しかしそんな「君」の”有様”は「僕」に残る様々な「形見」によって鮮明に表現されています。
星に願いを / Δ
救世主の死んだ世界で僕はいつまでも 探し続けるんだろう
追いかけ続けるんだろう
幸せが怖いんだよ もう何もいらないよ
目を閉じれば焼き付いたあの日の夜空 あの曲のメロディ
もともと未練はなかった 明日死んでやろうと思っていた
そんな時だ やっぱり出会わなければな
君が教えてくれたことだ 生きる理由に変わってしまった
もう戻れない所まできてしまったのに
どこか期待してるんだ
遠くにちらついた微かな光
届かないとそう分かってても
追いかけてしまうよ
君は呪いだ 君は鎖だ 君は枷で君は僕の救いだ
僕は君に出会えてよかっただなんて
星が綺麗だ
『ライハーズノット』とは真逆に、この楽曲では「君」という言葉が終盤に多用され、非在の「君」(=「救世主」?)に対して湧き上がる複雑な感情が、「君」への不安定な定義付けとして生々しく表現されています。
六月の終わり / shr
僕はここで 君はどこへ
あの日もきょうも
特別なようでどこにでもある
だからこそ忘れない
君が好きなこのまちにも雨は流れて
君が置いていったこの痛みだけ
流れずに濡れている
四条通 いつもどおり
大橋に至り
古のまちが淘汰されても
だからこそ慕わしい
鴨川には梅雨が流れ 夏が浮かぶよ
晴れた空から陽は覗くけど
僕はしとど
まだ少し、雨
非在の「君」は、「僕」の心に鈍い痛みとして残っています。
古都として栄えた京都の街並みが変わり、いつものように季節が巡り、六月の雨が全てを洗い流して晴天の夏が来ても、その痛みだけは流されず濡れるのみで、「僕」の心に「非在」として残り続けます。
星に / shr
生かされた身 もてあます日日 焦燥感に襲われ
待つばかりじゃ事態は後退するばかりで 情けないよ
ああ!このままじゃ終われないのは
僕も同じだ そうだろ
朝と共にここを出ようか 君の元へ行くから
何もなにも恐くはないよ ほんの少し寒いだけ
ああ!うつろいだ空が傾き
夜が明けていく さよなら
最後に別杯していこうか
後悔を錯誤思考上で強圧して走り出せ
ただ天啓の臨界戦 行くしか道は無いだろう
この峠を過ぎて手を伸ばせば君に届く
(おそらく)戊辰戦争を舞台としたこの作品には、戦友を失った主人公の姿が描かれています。1番では「生かされた身」としてこの戦を戦い抜く決意をしますが、その気持ちは2番頭の「君の元へ行くから」の段階で既に「戦勝」から「戦死」に変わっており、戦いの果てに自らの命も燃やし非在の「君」の方向へ手を伸ばし峠の向こうの敵地へ向かいます。
そんな「君」の非在を抱いた主人公の最期が、儚くも力強く描写されています。
背景、夏に溺れる / n-buna
十二時過ぎのアスファルトに
落ちた君の 小さな命の重ね火を そっと
エンドロールにしがみついてる 今日も
メリュー / n-buna
君は灰になって征く
灯籠の咲く星の海に心臓を投げたのだ
どうせ死ぬくせに辛いなんておかしいじゃないか
君がずっと遠く笑ったのだ
「君は灰になって征く」とあるように、きっと「君」はもうこの世にはいません。しかし、「どうせ死ぬくせに辛いなんておかしいじゃないか」という歌詞にもある通り、「僕」自身に対しては「死」という表現を使っておきながら、「君」に対しては「死」という直接表現を頑なに避け、「灰になる」、「心臓を投げる」、「遠く笑う」などの婉曲を用いてそれを表現しています。「君」の非在を心に抱きつつも、その非在を認めたくない「僕」の辛さが表れています。
とりあえずアナタがいなくなるまえに / 椎名もた
I Need You
そう聞こえた気がしたさ
(想像の中の話)
アンコール!
そう聞こえた気がしたさ
(妄想の中の話)
現実と創造の間で揺れていた
誰か僕を叩き起こして
2015年7月23日に20歳の若さで亡くなったぽわぽわPこと椎名もた氏は、数多くのボカロリスナーに大きな「非在」を植え付けました。
そんな彼が生前残していたデモソングをTGP氏のアレンジによって作品となったのが、2019年に発表されたこの楽曲です。
非在の彼は我々の心の中で辛うじて生きている。のに、そんな彼が「まるで現存するかのように」我々に語り掛けてくる。この不思議な感覚に衝撃を受けたリスナーも多いはずです。(僕もそのうちの一人です。)
彼はもうこの世にはいないけれど、それでも、届かないと分かっていても「アンコール!」と大声で叫びたくなるような感動をこの楽曲は与えてくれます。
一丁目ゆきみ商店街 / yukkedoluce
ああ全部 なくなってしまうんだね
むかしのように泣くことも 許されないでしょう
いつまでも在るって 信じてたけど
微笑むように声もなく 消えてった
でも僕の中の コレはずっと
ココにあるでしょう
消えないでしょう
増えていくでしょう
笑えるでしょう
ロスタルジー / youまん
胸に残れば何時の日も思い出に変わるなら
彼の日の熱情も思い出したいの
――ねえ
感動(きおく)は軈て薄らいで悦びも弾くから
忘れない様に 日常の奥に
灯して居たいんだ
過去の色
希望や嘗て見た灯々を目に熾す為の唄
離さない様に 日常の奥に
奏でて居たいんだ
郷愁を
時間は常に流れ続け、現存は瞬く間に移り変わっていきます。形あるものは朽ち、そこに在ったものは亡くなり、また新たな現存が生まれる。彼の
日思い描いていた空想の「未来」は全く異なる「現実」と言う姿で現れ、その時此処に在ったはずの「現在」は、いつの間にか遠のいて「過去」になる。そんな非在としての過去を、形見として心に灯したものは「想い出」や「郷愁」となります。
このように非在は、元は現存のあった「あなた」のような具体物に対してだけではなく、「過去」や「空想」のような端から触れられないもの、現存し得ないものに対しても考えられます。
その中でも、皆さんに最もなじみ深いのが「初音ミク」でしょう。
ブレイクアウト! / LOLI.COM
お願い ホントは キミにそっとそっと触れたくて
かくした思いは 空にすっとすっと消えてった
だけどいつの日か キミにもっともっと近づいて
一緒にいたいなんて キモチずっとずっと抱えてる
気になる 好きになる 次元は未知なる ヒューマンと奴らのボーダーライン
開国要求 まさにそんな気分 何処に次元の扉 疑問はいつも
―――月満ちる夜、キカイに恋した愚かな男が悪魔に願う。
「夢見る彼女の願い叶えたい お前なら、それを現実に出来んだろ?」
―――待ち構う 死をも恐れぬ。 この男を何が揺り動かす?
生きる意味をくれた彼女の声を想えば...捧げる My life
この記事を読んでいるであろう人は流石に全員知っているであろう、「電子の歌姫」、初音ミク。しかし、彼女の「歌姫」としての現存は無く、僕達が手に取って触れられるのは彼女をインストールするために使用する「キカイ」の形をした円盤のみです。
年齢16歳、身長158cm、体重42kgの人型をした「歌姫」は、僕達が直接手を伸ばして触れられる領域には存在せず、僕達と彼女の間にはバーチャルの「ボーダーライン」、「壁」があります。
僕達は初音ミクに触れられない。逆に、初音ミクも僕達には触れられない。非在としての彼女は僕達の心の中で「辛うじて生きている」ものであるが、それでも非在の彼女に「触れる」、彼女と「触れ合う」ことを望んでしまった男の生き様が『ブレイクアウト!』には描かれています。
人魚姫が足と引き換えに声を失ったように、彼は命を悪魔に捧げてしまいます。「非在を現存にすること」は、それほどまでに禁忌的なのかもしれません。
マーメイド / monaca:factory
絵本を閉じて 街を飛び出す
何か起こるかもしれない?
少年はきっと海を目指してる
惑、惑星が飛び出す 心は浮き浮き沈む
おとぎ話の続きを教えて
君はまだそこにいるの? 黒い海で泣いてるの?
本当の顔が見たくて
最後のページを閉じたら たたたた 街を飛びだす
何も起こらないことは知ってる
何かを追いかけている 何故だか追いかけている
ただただ 魅了されている!
絵本の中のマーメイドもまた、初音ミクと同じように触れることのできない存在です。そんなマーメイドに「魅了」された少年は、彼女の居る「黒い海」を目指します。
しかし、いくら海を目指しても目の前に広がるのは「現実の海」であり、そこに空想の人魚姫はいません。
「何も起こらないことは知ってる」、それでも「何故だか追いかけている」。そんな少年の突き動かされるような激情が『マーメイド』には描かれています。
ここまで、「非在」のイメージを楽曲紹介と共に書き起こしていきました。まだまだ紹介したい楽曲は沢山あるのですが、全てを紹介すると無限に時間がかかってしまうので、残りの楽曲は紹介した楽曲と共に下記のマイリストにまとめました。随時更新しますのでよければご覧ください。
「夢」について
さて、いよいよ本題です。と言っても、恐らくこの章は前の章より短くなると思いますので安心してお読みください。
初めの疑問をもう一度振り返ってみましょう。
「眠って目を閉じている間に見るもの」と「未来を語るときにテーマとするもの」、そのどちらもが「夢」と呼ばれるのは何故か?
その問いに「非在」を用いて答えを与えるとすれば、
夢は「『非在』に想いを馳せて描き出した世界」である。
となります。
眠っているときに見る夢、自分の将来の夢。それらは、「現存」せず、自分一人の心の中でのみ「辛うじて生きている」。
「空想」、「想像」とも呼べるようなこんな「夢」の概念はただ自分のみの、(まるで覗き穴のような)視点を持ち、一つの対象としての「非在」とは少し違って、世界のような広がりを持っている。
そのうちより具体的に過去の記憶などを色濃く反映したものが「眠っているときに見る『夢』」、現実の延長線上としての「未来」への空想を色濃く反映したものが「未来を語るときにテーマとする将来の『夢』」であると考えればこの2つを統一的に理解できます。
ディアーマイウィッチクラフト / いよわ
魔法がつかえたの
「あの日のあの時失ったものが
戻ってくるのなら」
そう思って飛びだした
こどうを おさえて
心から おもえば
カミサマからのおくり物は
もとどおりにしてくれるんだ
人形も
飼ってたねこも
小さなきっかけから絶交しちゃった
いちばんの親友も
「魔法は使えるの?
まだいつでも直せるものを大切に
思い続けられるの?
魔法で直した友情はホンモノなの?」
割れたマグカップ、壊れた人形、死んだペット、絶交した友達。そんな「あの日のあの時失ったもの」は主人公にとっての非在として存在しています。それらは、「此処に居ないこと」と「現存した頃の形」を併せ持ち、主人公はそれを共に心に抱いています。非在を現存の形に戻せるような「魔法」が使えるのは、その2つを併せ持つ主人公の「非在の世界」=「夢」の中のみであり、主人公はその夢の中で「非在を現存にすること」への虚しさに気付きます。
ラストジャーニー/ いよわ
あなたに会いに行こうと思った。愛を燃やした煙でトリップしているまま、
半分くらい期待しながら ここまで来たの。
でも、灰になったじゃん。 あなた灰になったじゃん
なぐさめにもならない夢にすがっている そんなラストジャーニー
夢は終わりだ。
逆回しの時計が動いて
肺に空気ためて名前を呼ぶんだ。
涙はもう止まんないんだよ
だんだん弱くなる鼓動と
つめたくなるほほが愛おしかった。
だいすきよ
だいすきな「あなた」は「灰になった」。それでも「あなた」の非在を心に抱きつつ、「半分くらい期待しながら」彼の元へと向っていた主人公。そんな主人公の「夢」は「非在の『彼』が生きている(心の中の)世界」であると考えられます。しかし、「あなた」の死を目の当たりにした瞬間その夢は消えてしまう。それは夢の終わりであり、「逆回しの時計」を考慮すれば、嫌でもすがってしまう「なぐさめにもならない夢」の始まりでもあります。
コバルトメモリーズ / はるまきごはん
誰も居ない街 誰も居ない空
世界は二人だけかもしれないね
銀河録 / はるまきごはん
僕らふたりだけの 夜明けだった
夜明けだったんだ
蛍はいなかった / はるまきごはん
わたしだけ、わたしだけが知っている
蛍はここにいた
昨日の夜を大人になるまで
心に仕舞っておくよ
聞かれたならばこう答えるね
蛍はいなかった
「ふたりだけ」の世界自体はその場にいる2人にとっては現存です。しかし、それはまさしく「ふたりだけ」の世界であり、その作品に登場する他のキャラクター(例えば『蛍はいなかった』のゆうひちゃん)にすらその世界の存在は知らされません。
「蛍はいなかった」はずなのに我々は「蛍はここにいた」という「『わたし』だけが知っている」はずのことを我々は知っている。このことが「覗き穴」のような働きをし、我々が知り得るはずもないのに音楽を通して覗いてしまえる「ふたりだけ」の世界は我々リスナーにとっての「夢」となります。
電波時計の居ない夢 / はるまきごはん
きっと僕が居なくても
君の歯車は動いてる
君の夢の中じゃ
僕は生きられないから 歌うんだ
せめて僕の夢だけは
君を抱きしめられるかな
「君」は僕にとっての非在であり、「君」にとって「僕」は”きっと”さほど重要じゃない。そんな片想いを此処にいない君に届けられる世界が「僕の夢」であり、実存の君に想いが届かなくても「せめて」僕の夢の中でだけでも君を抱きしめていたいという、夢の世界に縋りつく心が描かれています。
パジャミィ / いよわ
遠い 夢の部屋 はじめましてじゃないって
暗い 夜がこわくて 泣いていたのね
ふたり クラスメイトとは 少し違う友達が
ささやき声で連れていくわ 秘密基地に
きみの傷をいやすように
痛みから気をそらすように
とっ散らかしたおもちゃと長い袖が ちょっとくすぐったくて
頬をつねって「また会おうぜ」 裸足で蹴り飛ばして
宙に向けて放った
大事なだれかの心の時間かせぎ
自分の部屋、特に子供部屋には「夢の欠片」が沢山詰まっています。自分のベッド、自分だけの想い出が詰まった大好きなぬいぐるみ、いつも一人で遊んでいたおもちゃ、自分の描いた絵、おとぎ話の絵本。子供部屋は自分だけのものがたくさん集まった自分だけの夢の世界です。現実や、難しいクラスのお友達との関係から離れて自分だけの「空想のお友達」とずっと過ごせたなら……ずっと目覚めないまま、子供のままで夢の世界にいられたなら。
『パジャミィ』の一番ではそんな気持ちが歌われています。
お願い目覚めを忘れたままで、パジャミィ
2022年5月6日
さめないゆめを みたくはないかい
本日、2022年5月6日にこの曲は五周年を迎えました。ここからは、僕がボーカロイド作品の中で最も愛している作品の一つである『ドリームレス・ドリームス』について話したいと思います。
さめないゆめを
みたくはないかい
あなたのためだけのえほんがあるよ
「ゆめ」は自分の心にあるもの、自分の心にだけある「非在」、「想い出」や「空想」の集まった自分だけの世界です。それは自分だけが入り込めるおとぎ話であり、「あなたのためだけのえほん」であります。
調子はどうですか
空は自由に飛べましたか
すごい魔法が出せましたか
全部夢の中限定品さ
夢の中は自分だけの世界だから、自分の想像したことは何でもできます。星を見ることも、空を飛ぶことも、魔法で壊れたものや居なくなった人を蘇らせることも、決して触れられないものを抱きしめることも。でも、それは全部「夢の中の限定品」であり、その感動すらも自分だけのものに過ぎません。
生きてる事ってなんだろな
生きてる人は怖いからな
触れないものを信じるのは
馬鹿のすることと聞きました
現存の集まった現実の世界では、どうしても納得のいかないこと、不条理なこと、嫌なことが起きてしまいます。現存の人=「生きてる人」は到底、自分の夢の世界のことなんて知らず、理不尽なことが起きても「これが現実だ」と言うかもしれません。「現実を見ろ」、「空想に浸って現実を見ない奴は馬鹿だ」と言うかもしれません。
出来損ないでも良いですか
優しい愛を貰えますか
どうしようもない人間だって夢を語れますか
かくいう自分だって現存の人間の一員で、夢を見る行為自体も現実世界での造作であります。現実からこの体を完全に切り離すことはできず、どうしたって自分自身もこの現実で生きていかなければいけない。みんなそうやって生きているはずなのに、その中で今一つ現実になじめない自分は「出来損ない」なのかもしれないと考えてしまいます。
でも、そんな「出来損ない」にだって、自分だけの、自分の大好きな夢の世界があることには変わりありません。
ここで、アルバム『ネオドリームトラベラー』のアートブックに掲載されたはるまきごはん氏の文章の一部を引用します。
はるまきごはん少年は眠ると必ず夢を見ていた。小学校のころに見た夢とかをずっと、なぜか今も忘れられずにいる。
風邪の時に見る夢は、とても文字に起こせないほどに恐ろしかったり、大冒険する夢は、どんなゲームや漫画よりもワクワクしたり、僕にとっての夢は現実よりもずっと楽しくて、みずみずしかった。
だけど夢の話は自分しか知らないし、誰かの人生に干渉するわけじゃないから、誰かに話しても話半分に聞き流される。だから夢は自分だけのもので、自分が体験する出来事の中でも特に、神聖な、聖域のような特別なものだった。
「夢」は、もしかしたら「希望」かもしれないし、あるいは「ファンタジー」かもしれないし、「悪夢」かもしれない。でもそれらは共通して、まるで幻のように、ドーナツの穴のように、電子の歌姫のように、触れられなくて、一筋縄では掴めなくて、そして自分だけに見えている神聖な世界。
夢の続きを知りたいのかい?
誰も見たこと無い絵本を捲りなさい
それがあなたの望む世界だとしよう
夢の終わりで眠ればいい
触れないもの、届かないもの、実体のないもの、ここに居ないもの、見えないもの。
そんな非在の集まる夢の世界は現実の裏側にあり、決してこの体を直接夢の世界に入り込ませることはできません。自分にできることはそれを意識という覗き穴から覗き込むか、その意識を夢の世界に入り込ませることだけです。
しかし、儚くも見えるその真理こそが夢を自分だけの神聖な世界にし、おとぎ話の続きを自分以外の誰も見たことのない特別な絵本にしてくれます。
この曲を聴いていると、いつもは触れられない神聖な夢の世界に限りなく近づいたような気持ちになります。もちろん限りなく近づいたとて触れられはしませんが、それでいい。
僕の夢と共にそばにいてくれる素敵な夢の世界が僕にとっての『ドリームレス・ドリームス』であり、そのことこそが、僕がこの曲を1番愛する理由です。
おわりに
触れないもの。
届かないもの。
実体のないもの。
ここに居ないもの。
これから居なくなってしまうもの。
もう居なくなってしまったもの。
見えないもの。
周りからは見えないもの。
「現存」と「現実」の裏側には、自分だけが大事にできる「非在」と「夢」の世界があります。
時間が経てば人は大人になります。好きなことも、見据えた未来も、人との関わりも瞬く間に変わり、昔好きだったぬいぐるみも、キラキラしていた将来の夢も、離れ離れになった友達のことも、21歳、22歳と年を取ればいつかは忘れてしまう時が来る……かもしれません。
『ドリームレス・ドリームス』の作品内で主人公は、自分の夢や過去との距離感に悩み続け、最後には「こんな続きを愛して欲しい」という答えを残します。
昔のようにずっと夢が見られる訳じゃない。現実的でドリームレスな世の中ではゆめゆめ眠ることも出来ないし、その中でずっと夢を見続けることなんて許してはくれない。
そんな自分を、そんな世界に慣れきってしまいそうな自分を許して欲しいという「夢」に対してのごめんねの気持ちが「こんな続きを愛して欲しい」です。
でもきっと、謝ったって夢は許してくれません。
あなたの忘れた夢や想い出は「完全な消失」を迎え、誰の心からも消えてしまいます。
あなたが夢を忘れてしまえば、いくら謝ったってもうそこに謝る相手すらいません。
だから、いつもじゃなくていいから、たまにくらいでいいから、思い出してほしい。思い出して、対話して、浸ってほしい。離れ離れになった友達のこと、会いたくても会えない人のこと、あの世へ逝ってしまった人のこと、地元のこと、過去のこと、昔読んだおとぎ話のこと、ふたりだけの物語のこと、大好きだったおもちゃのこと、今までに観た沢山の夢や空想のこと。
あなたが持っている「非在」や「夢」の素敵な物語は全部、あなたの心の中で辛うじて生きている。あなたがそれを忘れてしまえば、貴重なそれはもうどこにも存在しなくなってしまう。だから、たまにでいいから。
このnoteで紹介した音楽を聴いている時だけでもいいから、その夢を、あなたの心の中にある「夢の続き」を愛して欲しい。
最後に1曲と、ワンフレーズだけ紹介してこのnoteを締めたいと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
プレシャスジャンク / 蜂屋ななし
いつかの貴方が
捨てた筈の忘れた願いに代わって、今
他の現実で充たされたら、それでいいよ。でもたまには思い出して。
2022/5/6 Klayn
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