くきゆみ

日々の暮らしの中での葛藤や、古い友人りーちゃんとの思い出、その他 覚えておきたいことな…

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日々の暮らしの中での葛藤や、古い友人りーちゃんとの思い出、その他 覚えておきたいことなど つづります。

最近の記事

無題

猫屋敷に年金暮らしで、しょっちゅうWi-Fiが払えないとか餌代が足りない りーちゃん。児童手当があるから子育てのお金は足りると思うよ!と言ってる。今度、乳児院から子どもが帰ってくる。 一般的な生活能力はあって、治療中の持病があるものの子育てを必死に取り組んでた、るーちゃんは自分で周囲に相談したら結果半年以上、児相保護から帰されなかった。今もまた突然保護されるんじゃないかと怯えてる。 社会で子育てするってなんなんだろう

    • 感謝したくないので帰省したくない

      そろそろ年末。 帰省の予定を立て始めた。 コロナ禍で少し例外があったものの これまで私は盆正月には実家に帰省、という 家の慣習にしたがってきた。 結婚相手もそういう家の人だ。 なのだが、私は、 帰省というものが いつも、それはそれは億劫なのだ。 例えば夫の実家で、良き「嫁」として 炊事、掃除と休む暇もない…なんてことはなく 義母は嫌味なしに「休んでて」と言ってくれる。 もちろん、それなりには働いているつもりだが 元来、家事におおらかな家庭で 嫁の私が動きすぎるのもよくな

      • テクノロジーの恩恵: りーちゃんは漢字を使える

        私が記事に書いている「りーちゃん」 こどものころ、 彼女には知的障害があると聞いた。 正式には当時どのような診断が なされていたのか(されていなかったのか) また現代ではどのように言うのかを 私は知らない。 彼女と私は、 公立小学校のいわゆる普通級にいたわけだが 他の選択肢は当時、なかったのか? 色々と気になってしまう。 のちに私は 発達障害、自閉スペクトラム症などの言葉を知り もしかしたらりーちゃんに 当てはまるのではないかと思ったが 本当のところはわからない。 り

        • こぎれいな服を着ていれば それだけで: 乱暴な私の、りーちゃんへの期待

          小学校高学年のあるとき、校外学習の日。 りーちゃんが新しいワンピースを着てきた。 明るい色が、肌に映えて とてもよく似合っていた。 かわいかった。 見違えるようだった。 りーちゃんの定番は くたくたになったスウェット。 スウェットという言い方は 当時あまりしなかった気がする。 トレーナーとズボン。 柔らかくて何かの絵がついていて パジャマでは?と私は思っていた。 新しくて毛玉なんかひとつもない そのワンピースを着ているりーちゃん 表情はあまり変えない子だったけれど それ

          善意が善とは限らない:手作りさんすうプリント事件

          小学校時代の、 りーちゃんにまつわる思い出のひとつ 手作りプリント事件。 当時、私のクラスでは 方眼紙に手書きで文字やら絵やらを書いて 職員室にあるコピー機で印刷し 学級新聞を発行する係が設けられていた。 罫線はコピー機にかけても写らない。 ただそれだけのことで なんてすごい仕組みなのか!と感動していた 90年代の小学生である。 あるとき私は、 りーちゃんが授業に参加していないことが ひたすら気になっていた。 教科書に書いてある文字だって どれだけ読めているのかわからな

          善意が善とは限らない:手作りさんすうプリント事件

          友人りーちゃんとの出会い 初めての「いじめ」加害の認識

          りーちゃん(仮名です)に出会ったのは 小学校1年生のとき。 同級生として出会いました。 机の周りに鉛筆などの持ち物がたくさん落ちていて 同じ幼稚園出身のなじみの子らしい数人が なぜかいつも拾ってあげていた。 話が通じるのかどうかわからない、 視線が合わないりーちゃんの姿に 私は衝撃を受けたのが正直なところだ。 どうも「ちてきしょうがい」があるらしいと知った。 そしていつからか、りーちゃんに触れたら、 それを他の人に「タッチ」して渡さないと 呪われる。 そんなゲームが行われ

          友人りーちゃんとの出会い 初めての「いじめ」加害の認識

          再開してみる: カンパを募る不純な動機

          再開、と言っても 中断する前「続けて」いたとも言えないのだが。 noteの記事を書くことを 3年半ぶりに再開してみる。 サポートの受け取り口座も設定してみた。 そう、お小遣い稼ぎをしたい。 一言で言ってしまうとそういう魂胆。 もしも、実現したら ある友人に全部届けます。 「明日から、ごはんがないんだ!」と LINEメッセージを送ってくる その友人。 「魚ではなく、釣り方を教えよ」とはよく言うが 私の乏しい知識と力では その友人が、釣竿を持つことも 網を広げることも すごく

          再開してみる: カンパを募る不純な動機

          自分で決めたことだからって

          自分で決めたことなら最後までやり遂げよう! 自分で選んだ道なんだから弱音は吐かない! というのは、 自分自身を鼓舞するために、たまに使うのだけは良い。それが効果的な場合に限って。 他人に押し付けるのは、攻撃だと思う。 自分で決めた仕事、伴う痛みは我慢しろ。 自分で生んどいて、子育てツライなんて言うな。 自分で始めた活動、他人の手を借りようとするな。 全部、ただの理不尽な攻撃。

          自分で決めたことだからって

          めんどうくさがりの親

          一歳と少しの我が子は、いまのところ割合に「育てやすい子」のようだ。私は乳幼児を多く見てきたわけでもなく、自分の子が生まれたのも1人目なので根拠不十分であるが、おそらく客観的に見て手のかからない部類なのではないかと思う。 生まれてすぐから母乳や市販ミルクをよく飲み、吐き戻しも少なかった。 離乳食を食べさせるのにも 苦労しなかったし、今までずっとほとんど毎日 快便。 数回 風邪をひいた以外には病気にかかっておらず、発育 発達も問題ない。 夜泣きが何時間もおさまらず疲労困憊

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          欲しいもの

          私の、ある友人の話。 知り合った10代の頃から、彼女は自分の欲しいものがよくわかっている人だった。 行きたい学校や、将来もちたい家庭像まで。そしてそれを叶えるための具体的な行動をとっていた。 恋の話もたくさん聞いた。相手のどんなところが好きだとか、どんなことで喧嘩をしたかとか。 一方で何も進路のビジョンをもっておらず、意思のよわい恋愛もどきで精一杯だった私は、彼女のことを眩しく感じていた。 あれから約15年。 先日、久しぶりに一緒に買い物をすることになった。 雑

          欲しいもの

          好き嫌い

          歳をとればとるだけ、好きなものが増えるのだと思っていた。 例えば、幼い頃食べられなかったレーズンを、あるときから好きになったように。難しい本を、時間が経って読んだら理解できたように。 世の中の素晴らしいものに、たくさん出会っていくのだと。 でも違ったな。 と、20代半ばごろに気がついた。新しく好きになるものより、私はこれが嫌いだと確かめることの方が多くなっていた。 満員電車が嫌い。 下品な見出しの中吊り広告が嫌い。 ホームドアのない駅が嫌い。 意義の感じられな

          好き嫌い

          いっそ負傷してしまいたい

          学生時分のある頃、慌ただしく自転車をこぐ通学途中。いっそ車と軽い接触でもすれば、正当な理由で学校を休めるかな、などと考えていた。まったく不謹慎であるが、本当に。 後に、私の家族が大病をした。半年ほど寝たきりの意識不明だった。(幸いにも回復し、今は元気にしている) このとき、ある友人が会話の中で「私も病気になりたいよ」と漏らした。 私はそれに、かなり曇った気持ちで応答した。そうだよね、と相槌を打ちながらも、「たった今、病気で家族が大変だという話をしたところに、軽率な発言だ

          いっそ負傷してしまいたい

          こどもの誕生

          1年ほど前に我が子が生まれたとき、祖父母となる私の両親、パートナーの両親、その他 親戚一同が 非常に喜んでくれた。友人も然り。 おめでとう、かわいいね、うれしいね、というポジティブな言葉や、屈託のない笑顔にばかり、たくさん遭遇した。 実際、「赤ちゃんはみんなを幸せにしてくれる」と多くの人が言った。 それぞれの価値観によって、人は時に物事をすごく複雑に捉えるものだが、子が生まれるということは 別格の、かつ共通の 喜びなのだということを改めて知った。普遍の幸せなのだと。

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