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外山先生の『英語青年』

 外山先生の代表作は『英語青年』であると信じている。編集という行為は、おそらく外山先生の著作の発想の中心にあったと思うので、外山先生にとっても『英語青年』の編集に携わったことは大きな意味をもっていたのではないかと思う。


 外山先生が『英語青年』を担当されたのは一九五一年から一九六三年の十二年、年齢でいうと二十代後半から四十ぐらいまで。筆者の経験で言っても、この年代が気力、体力、ともに充実する時期だ。が、それにしても外山先生の編集ぶりは、あまりに颯爽としていて、嫉妬すら起こらない。ただただ、すばらしい先輩を持ったことを誇りに思うばかりである。


 外山先生の『エディターシップ』には、『英語青年』編集者としての思い出が綴られている。担当になって徐々に部数が落ち始め、起死回生の思いで企画した「科学文法と学校文法」という二ヶ月続きの特集が売れに売れたという話は、『英語青年』が創刊百年を迎えたときのインタビューでも語っていることで、そこで語られる「おもしろいものをつくるには自分の気持を素直に出せばよい」という発見は、外山先生にとっては青い鳥を見付けたような体験だったのに違いない。特集記事というのは、いわば雑誌の花の部分であって、どういうテーマを選ぶかは雑誌編集者にとって最も重要な仕事の一つと言ってよい。しかし、筆者が外山先生の編集ぶりに注目するのは、必ずしもそこのところだけではない。そうした「何を」の部分にも大きな業績はあるけれども、それ以上に特筆すべきは「どのように表現するか」ということに関わる部分ではないかと思う。


 それを語る好例に外山先生の座談会好みがある。外山先生の企画した座談会には、「英学三長老座談会」「探偵小説」「現代詩の難解さ」「英米文学と日本文壇」といったものがあるが、書評や評釈として誌面化するのが一般的と思われるタイプの記事でも、「新英和大辞典を囲んで」とか、エリオットなどの現代詩の「合評」のような形の座談会を設けている。外山先生は自分の作る雑誌に座談会が多いことに自覚的で、一九五九年六月号で「本誌がこのごろ座談会記事を多くしているのは、論文の言葉、書き言葉の超えられない論理を求め、筆者と読者の心理的断層を和らげようというわけである」と述べているが、この考え方とは、ある記事を、「筆者と読者」をつなぐコミュニケーション上の結節点として捉え直して、両者の関係性のなかで記事のスタイルを決めようという態度にほかならない。外山先生は、編集者の役割について語るときに、エリオットの「伝統と個人の才能」の有名な比喩である「触媒」という言葉を引き合いに出して論じることを好まれていた。みずからを触媒になぞらえ、その触媒によって、どのような化学反応が生み出されることになるかに多大な興味をもっておられたと思う。


 外山先生の『英語青年』には論争記事も多かった。加納秀夫―小津次郎、野島秀勝―宮崎芳三、佐伯彰一―宮崎孝一、矢野峰人―上田勤などなど、それはもう繰り返しいろんな論争を好んで掲載していた。論争というものは間に立つ編集者にとっては甚だ難しい舵取りを強いられるもので、なんとか編集者を自分の味方に引き入れようとする著者たちとつかず離れずのスタンスを取らねばならない。ただ、論争記事においては、読者は論争当事者のどちらに自分が近いかを意識しながら読むので、扱われているテーマがぐっと身近になるものだ。座談会と同様に、外山先生はダイアローグから生まれる活気と刺戟を重視されたのだろう。


 ストレートな論説記事を並べるにあたってもダイアローグの視点は生かされる。「並行(併行)講座」という形式の記事がある。これはどういうものかというと、たとえば、コンラッドについての論と『ノストローモ』についての作品論という二つの記事を掲載するときに、前者の記事が終わった後に後者の記事を掲載するのではなく、上と下に並べてみせるという方式である。前、後ろに並べられた記事の場合は、一つ読んで、ひと呼吸を置いて、次を読む。実は、上下に並べたって基本的には上を読んでから下を読んでいるのだが、上を読んでいる時にじつはちょっと下のほうの記事が目に入っている。その効果を狙っているのだ。


 外山先生は万事アイディアマンであった。「英語青年賞」を設立したり(その第一回目の受賞者は英語学の林哲郎氏と、のちに『鹿鳴館の系譜』などの著作で知られることになる文芸評論家の磯田光一氏)、クリスマス号という特別号を作ったり。のちに『英語年鑑』となって独立することになる「英語英文学研究一覧」といったリスト形式の記事を生み出したり。愛読書アンケートなどもある。別紙の表紙をつけない伝統を堅持してきた『英語青年』にはじめて表紙をつけたのも外山先生で、その記念すべき最初の表紙に絵を描いたのは、画家をめざしていたこともある西脇順三郎先生である。


 編集技術上の細かいことにさらに話が進んでしまって恐縮だが、外山先生の雑誌の魅力は細部に宿っている。短いコラムや埋め草記事がたくさん設けられていることも魅力の一つである。外山先生ご自身も「編集で一番力を入れたと言っていいのは・・・『片々録』と埋め草です」とおっしゃっていた。「とにかくページがあまり整いすぎていると、その記事をきちんと読む読者はいいけれど、パラっと見て、すこし読んでみたけどどうも難しそうな人は、とばして次に行ってしまう。そうではなくて、その近くにまるで違うことがちょっと書いてある。これは埋め草だから、すぐ読める。それを読んで「なるほどな」と思えばいい」。


 実際、コラムや埋め草記事には今でも気楽に楽しめる記事が多い。たとえば、「わたしの蔵書整理法」といった連載コラム。その第一回の担当は斎藤勇博士で、ここでも、絶妙の人選と言うほかない。その後、この連載の執筆者は、壽岳文章、本間久雄、土井光知・・・と、偉い人がずらりと並ぶ。つまり五百字程度の短い文章を大御所に書いていただいているのだ。筆者の感覚からすると、大御所にはそれなりの分量を用意しないと失礼なのではないかなどと思ってしまう。その一方で、埋め草を入れられる側の著者の立場からすると、ほかの人の埋め草なんか入れないで自分にもっと分量を与えて欲しいと思うだろう。そういう要求があることは十分承知しながら、これを牽制して、敢えて少ない分量を頼んでいるのである。こういうのを編集者の勇気とさえ呼びたい気がする。

 
 外山先生によれば、埋め草を入れるにあたって、英文学の記事の横に英語学の埋め草を、英語学の記事のところに英文学の埋め草を入れたそうである。つまり、それはどんな人にでも、必ずそのページで立ち止まらせようという努力なのだ。要するに、サーヴィス精神ということなのだが、筆者にはそういう言葉では語れない人間への洞察があったように思われるのである。外山先生は「僕はひそかに僕みたいなだらしのない読者も、世の中にたくさんいるに違いないと思っていました」とおっしゃっている。そして、こういう視点が、雑誌企画の内容にも、そして外山先生の著作にもずっと一貫しているのだと思われてならない。


 先ほど上げた「現代詩の難解さ」という特集を例にとってみよう。「現代詩の魅力」という特集ではないのだ。多くの才人、優等生たちが現代詩は刺激的だと言っている。「魅力」は自明のように語られている。でも、現代詩は難しいと思ってしまう読者もいるのではないか。そういう外山先生の声が聞こえてくる。あるいは、「四十からの英文学」という座談会がある。「文学研究には広い深い知識も必要である。そのために外国の参考文献を精力的に消化しなくてはならない。こういう努力が長い間つづけられてはじめて、新しい研究が可能になるのだが、かつての青年も、いつしか中年を迎えるということにもなるであろう。年をとってくれば、自然、青年の勉強の方法では無理になってくる。中年の研究者は、どのように研究していくか」という問題意識で作ったという。外山先生は同世代の若い院生ぐらいの執筆者にもどしどし原稿を頼んでいる。が、その一方で、こういう企画も考えているのである。年をとって昔と同じような元気さで文献が読めなくなる。そのときに何が可能か、中年ゆえのプラスの価値はなにか。そんなふうに考えたのだろう。外山先生ご自身の編集ぶりは若々しく颯爽としていたけれど、それはだらしのない読者を排除したり、若々しさを誇る人だけを大事にしたりするようなものではなく、人間的なふくらみのある雑誌を目ざしたものだった。外山先生は学者であるのに筆者を含めて歴代の編集者の中で最も編集者らしい編集者だったと思う。


 『思考の整理学』には、忘却という行為について書いた文章がある。忘れることは必ずしも悪いことではない。時の経過とともに、忘れられるべきものは忘れられていき、記憶されるべきものが記憶されていく。それはいわば時による「編集」なのだという。ここにも先に述べたような、ときにマイナスと評価されるものを別の角度から見直してみる外山先生らしい自由な発想がある。「編集」という言葉はここでは単なる雑誌編集というイメージ以上の概念で使われていることにも注目したい。冒頭で外山先生の書き物の発想の中心に編集という行為があると書いたのは、たとえば、こういう意味においてであった。


 外山先生が心血を注いだ『英語青年』は今はもう、ない。『英語青年』からのスピンオフの形で生まれた『英語年鑑』も筆者が今年幕を引くことになった。二〇〇九年に出た新版の『エディターシップ』では、『英語青年』編集時の体験の部分が削られている。パーソナルな体験を削ってよりジェネラルな本として再生させたかった、という趣旨のことが書かれている。が、それだけの理由だったのだろうか。忘却ではなく消去という編集行為の本当の意図をずっと考えている。