伝えるということ

 Mayumi 富節句さんのnoteで、承認欲求という「誰かから認められたい」という後天的な欲求があることを知った。僕の場合、誰かに認めてもらいたいという欲求は、あまり強くないかもしれない。それよりも、自分が知っていることで人に役立つだろうと思えることは、積極的に伝えたいという思いの方が強い。伝えたい事柄が重要であって、伝える自分がどう思われようとあまり感心がないのだと思う。

 学生の頃、アルバイトでゴーストライターをやったことがある。とある山雑紙の編集で1ヶ月ほどバイトをした。山雑紙にはよく紀行文が載っており、山の話だけでなく、川魚の話だったり、山菜の話だったり、高山植物の話だったり、といろいろシチュエーションがある。

 登山コースの紹介など雑紙のメインの部分は、編集者の人たちが担当して取材し、書かれるのだが、紀行文は、山小屋のオヤジさんや地元の釣り名人、山菜名人といった山の近くで暮らしている人が書かれることが多い。その中には、文才に恵まれていない方もいらっしゃるわけで、そういう人が書かれた文章は、はっきりいって何が書かれているのかまったくわからないことがある。そんなとき、その文章を書き直すのがバイトの仕事だ。

 伝えたいポイントはなにかを探るために、書いた本人に電話して内容を確認する。この手の人たちは、本来、川魚や山菜、高山植物に関してかなり詳しい知識を持っている。ところが、いざ文章にしようとするとうまく書けないのだ。だから、電話で話を聞く方が内容がまとまっていてわかりやすい。でも、その人の名前で雑紙に載るのだから、一度はその人に書いてもらう必要がある。そこで、意味不明な文章が送られてくるのだ。

 取材した内容をもとに文章を起こし、それを取材した人に送ってOKをもらう。もちろん、送る前に編集者の人にもチェックをしてもらう。最初のうちは、何度も差し戻され、文章を直していく。だんだん慣れてくると差し戻しの回数が減ってくる。そうやって出来上がった文章が雑紙に載るのだ。

 取材して、内容をまとめて、文章を書く。基本は全てこの時学んだ。この時の経験が、今も文章書くときに役に立っているんだと思う。

 文章書くとき、何を伝えたいのか、どういうふうに伝えると相手にわかってもらえるのかを真剣に考えるようになった。そして伝えたいことがあるからこそ、文章を書くんだという当たり前のことに気づいた。

 伝えたいことは、自分が考えたり、思ったことでもいいし、誰かが考えた事柄で感銘を受けたものでもいい。また、自分が興味を持った人のことを取材して伝えてもいい。使ってみてこれはいいと思ったものでもかまわない。自分の気持ちが動いた内容ならなんでもいいと思う。

 それをどうやって伝えるのがいちばんいい方法なのかを考えることも、楽しい。残念なのは、絵心がないことだ。だから、絵で伝えるということができない。音楽的な才能もないし、映像をつくる才能も貧しい。従って、今自分が出来る何かを伝える方法は、文章か写真ぐらいしかない。

 伝える手段は二つしかないが、それでも伝えたいという欲求がある。だからこそ、文章を日々書いているのだ。

 エッセイ集 目次

 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?