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Henceforth - Orangestarと君のこれから



※ちゅうい
このnoteは5月22日深夜に突如として「Uz」が投稿される前に書かれたものです。文中の「新曲」=「Henceforth」です。いやぁ相変わらずこの人は突拍子もないことをしてくるんだから。まいっちゃうね。


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聴き始めてすぐピアノの音で思い浮かんだのは「Still-GATE」.  2ndアルバム『SEASIDE SOLILOQUIES』に収録されたこの曲は、歌メロ部分が全体の約30%しかなく、Orangestarの曲のなかでもとりわけ尖った構成をしている。

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※YouTube自動アップロード機能によって合法的に無料で聞けるようになった。

「Still-GATE」では1サビの後からあるピアノの8音が最後まで繰り返され、内省的なサビの英詞と相まって強烈な寂寥感を残す。その音が、「Henceforth」の冒頭から甦った。たった数音のピアノと打ち込み感を隠さないキック、これ以上ないくらいOrangestarの音だった。

とひと息つく間もなくIAが気怠げに「あぁ」と歌い出す。この声を、この「あぁ」をもう3年近くも待っていたなんてことはすぐにどうでもよくなって、彼女が楽しそうに言葉を紡ぎ出す姿を幻視し「IAさんの声は美しいなぁ」なんて今更なことを思った。──そう、IAの声は、殊にOrangestarの曲を歌うIAの声はあきれるほどにうつくしいのである。帰国後、初の歌入り新曲となった「Sunflower」では、中性的なハスキーボイスをもつ夏背.氏を起用(※)して皆を驚かせたが、そのぶんボカロ曲は"お預け"状態だった。

(※「夏背ちゃんの絵と詩に曲をつけて遊んでいたら何かできました。ついでに歌も歌ってもらいました。」と本人twitterにあるように、起用というよりも夏背.氏の原作に乗っかって昇華した、と形容するほうが正確だろう。)


Orangestarを一躍有名にしたのは「イヤホンと蝉時雨」「アスノヨゾラ哨戒班」の2曲であるが、これらがボカロファンに評価されたのは、曲の良さ、歌詞の世界観やM.B.氏の美麗なイラストによるMVなどの多くの要因よりもまず、ボカロの調声が上手かったことが大きいのではないかと思う。ボカロシーンにおいて「聞きやすさ」はそれだけで凡百の音楽的技巧を凌駕する強みたり得る。OrangestarとIAが切っても切り離せないのは、この新曲を聴けば一目瞭然(一"耳"瞭然)だ。これからも、たとえ間が空いてでも、IAはOrangestarの次の新曲を歌う日を青空の下でずっと待ち続けることだろう。


そろそろ「あぁ」から先へ進もう。と言ってもこの曲、「あぁ」がやけに多いのである。じっさい本曲はAメロからラスサビまで基本的に「あぁ」から始まる2小節の繰り返しによって構成されている。「繰り返し」は音楽の根幹を為す要素のひとつであって、特に本曲の属するEDM系統の音楽ではその重要性が前景化する。そんなことは当たり前であるが、ここに更に、Orangestarにとっての「繰り返し」という主題を見出すことができる。

Orangestarは歌詞も高く評価されており、じっさい天才以外の何物でもないと私も思うが、しかしながらその音楽の原点/根幹にあるのは歌ではない。今や伝説のアルバムとなった初期作品集『柑橘類収穫記念祭』『全く、これだから夏は…。』には多くのインスト曲が収録されている。

例えばインスト曲「夜間哨戒」には「アスノヨゾラ哨戒班」の萌芽を見て取ることができる。彼にとっての音楽とは「詞よりもまず曲」なのである。2年間の修行期間を経た今でもそれが一貫していることは、帰国後、すでに5つものインスト曲をSoundCloudに投稿していることからもわかる。Youtubeから移した「VOYAGER GOLDEN RECORD」を含めれば6曲だ。Orangestarのキャリアにおいて、インスト曲には単なる「非-歌モノ」以上の位置づけが必須であると考える。

(「CACTUS」はカットアップを用いておりインスト曲といえるかは微妙なところである。しかしそんなことより大変に良い曲なので聴いてほしい)

これらのインスト曲はすべて、ピアノやギターなどの単純なフレーズの繰り返しで構成されている。「水YoYo」なんてヨーヨーを"突く"たった1音の繰り返しから始まって曲になる。音楽の本質の端的なあらわれだ。もう一度言うが、そもそも音楽とは繰り返しの芸術である。それでも、Orangestarの音楽にはそうした普遍的な性質以上に、「繰り返し」にこだわっているように思えてならない。それは何よりも、新曲「Henceforth」が「あぁ」から始まる2小節の繰り返しのダイナミズムによって駆動していることに象徴されている。

あぁ 君はもういないから 私は一人歩いている
あぁ 腐るよりいいから 行くあてもなく歩いている

そして本曲はこのAメロの詞にも、サビの詞にも、「歩いている」「歩みを止めないで」という「歩く」モチーフが繰り返される。

あぁ! 夏を今もう一回
君がいなくても笑って迎えるから
だから今絶対に 君も歩みを止めないで

『DAYBREAK FRONTLINE』で最前線を飛ばしたような、軽トラに乗って軽快に進むイメージはここにはなく、ひたすら実直に歩を重ねることが強調される。この「歩み」を、「繰り返し」の身体的・具体的なあらわれだとみなすことはそれほど突飛な発想でもないだろう。この反復性は「変わらぬ今日を征く」そしてほかでもない「夏を今もう一回」という詞において、人生/日常のなかの時間的反復としてもまた表現されている。生きることは一日一日の、「今日」の反復にほかならず、それを一年というスケールに拡張した場合には、「夏」というOrangestarを象徴する季節にそれが言い換えられるのだ。

このように「Henceforth」には何重にも「繰り返し」のモチーフが塗り重ねられている。したがってこの曲は「繰り返し」にこだわってきたOrangestarの真骨頂かつ到達点として位置づけられるのではないだろうか。


しかし「Henceforth」は「繰り返し」という1フレーズのみで片付けられる代物ではない。反復のなかには変化が──連続的な変化と離散的な変化の両方が──宿っている。

まず連続的な変化であるが、これは本曲の反復性を象徴する「あぁ」という感嘆詞の「言い方」つまりリズムやメロディが毎回異なっている点にあらわれている。

俯きがちに放たれるはじめの「あぁ」、そこから音程と目線が上がる次の「あぁ」、空を見上げながらの感嘆符つきの「あぁ!」。2番はさらに変化に富んでおり、短くまとめた「あぁ このままじゃ辛いかな」から、Aメロ部分では初めて「あぁ」と "言わない" 展開もみせる。

こうした一つ一つの些細な変化が、この曲の起伏を作っている。前述した「歩み」や「生きること」のモチーフになぞらえれば、たとえ似たような動作・日々の繰り返しであっても、そこに変化があるからこそ前に進んでいけるのだということを意味する──これは流石に解釈で遊びすぎだろうか。しかし、差異と反復こそがこの曲を前へ前へと駆り立てていることは間違いない。


このようなミクロで漸次的な変化だけでなく、本曲には全体として大きな変化が示唆されている。それはそもそも「君はもういないから」という詞においてまず提示されている。離別/喪失はもっとも急進的かつ離散的な変化の一例だ。もっと象徴的なのは2番Aメロ終わりの

長い長い闇を抜ける

という詞だ。この「抜ける」というフレーズを2回繰り返しながら間奏に入るが、ここではビルドアップと呼ばれるEDMの代名詞ともいえる盛り上げの手法をおそらく初めて使っている。(似た系統の『DAYBREAK FRONTLINE』でもビルドアップは使っていなかった。)そしてそのまま盛り上げ、一瞬ブレイク(無音)を入れてからラスサビに入る点もEDMの王道を踏襲している。こうした展開全体が直前の「長い長い闇を抜ける」という詞を体現しているとは考えられないだろうか。

では「長い長い闇」とはなんだろうか。Orangestarの音楽は「爽やか」「前向き」「疾走感」「青春」といったポジティブな字句とともに語られることが多い。「光と闇」という二元論で考えれば、圧倒的に「光」の側に立つことは疑いの余地がないように思われる。

あぁ! それだけの心臓が 絶え間なくアオく光を願うから

しかし、このように安直な二元論に当てはめて「Orangestarは圧倒的光属性」として片付けてしまっては、その本質を見誤ることになる。Orangestar曲における「光」とはなにか、「闇」とはなにかを慎重に吟味する必要がある。わたしにとっていちばん印象的だった「Henceforth」の詞には、こんなことが書かれている。

あぁ 闇はただ純粋で 恐れてしまう私が弱いだけ

そう、ここでは「闇」とは「純粋なもの」なのである。ここでは「光=善/ポジティブ」↔「闇=悪/ネガティブ」という単純な二項対立は存在し得ない。光も闇もどちらも純粋なものとしてただ私のなかに在るだけであり、それらに対してどのように私が振る舞うのか、それこそが肝心であるというテーゼがここから読み取れる。このように闇すらも光と同等に肯定する姿勢は、闇を棄却して光の側に寄り添うような、世間一般の「前向きさ」とは根本的に質が異なる。

以上のことを踏まえると、「長い長い闇を抜ける」というフレーズからはまったく異なる響きが感じられる。「闇を抜ける」ことは本当は、金輪際「闇」を跳ね除けて「光」のなかで生きていくことではない。たしかに一度闇を抜けた。それは雨上がりのイラストからも明らかである。しかし「もう一回」訪れるのは夏だけではない。この曲の反復性が示すのは、光を願いながらも闇とともに歩んでいく、そのひたむきな過程そのものである。

闇とともに歩むこと。この曲のはじめのピアノの音──「Still-GATE」に似た響きをもつ音──に、わたしはその象徴を見出したい。

We can never against the stream, I know

「Still-GATE」は非常に印象に残るメロディに乗ったこの英詞で終わる。「流れに逆らうなんてできっこないさ」。諦めともとれる言葉がリフレインし、あのピアノの8音が執拗に繰り返されて曲は終わる。ここでの"the stream"の意味は、宗教的にもいくらでも解釈が出来そうではあるが深追いはしない。ただ、『SEASIDE SOLILOQUIES』は巷でのOrangestarの印象とは真反対なほど内省的で諦観にも似た雰囲気を湛えたアルバムであり、その観念がこの英詞には凝縮しているとわたしは捉えている。

この「Still-GATE」における「流れに逆らわず進む」思想と、「Henceforth」における闇への向き合い方を、わたしは似たピアノの音を介して結びつけたい。ポイントなのは、この音がどこまで続いているか、である。

「Still-GATE」では、この音は曲の後半から鳴り始め、最後にはもっとも存在感を増した状態で終わる。いっぽう「Henceforth」では、この音の存在感がもっとも大きいのは冒頭であり、ラスサビを抜けた最後には耳を澄まさないと聞こえないほど後景化しているのだ。十八番といえる上への転調を使ったどこまでも前向きで爽やかなラスサビによって、静かにずっと鳴っていた「Still-GATE」を思わせるピアノの音が払拭され、最後の最後にやっと闇を抜けたのだ。

──ただし決して「鳴り止んで」はいない。闇を抜けるということは、闇を受け入れること、自分の弱さを認めることだ。だからこの音は決して止まないし、これからも闇とともに歩み続ける。それが先ほど述べた、「闇」への、そして「流れ」へのOrangestarなりの向き合い方なのだろう。


「Henceforth」はこのように、これまででもっとも「繰り返し」という主題が前面にあらわれた曲でありながら、「あぁ」の抑揚に代表される些細な変化と、「闇を抜ける」ことに象徴される壮大な変化の両方が共存することで成り立っており、さらには「闇」に純粋さを見出す思想を背景に、ずっと鳴り響くピアノの音を読み解くことで、「闇を抜ける」ことの真意を見出すことができる。



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長々と書いてきたここまでの文章は当然のことながらすべて筆者の妄想である。また至るところで音楽的知識の欠如が露呈していることだろう。コード理論に精通した人物ならば、わたしのようにあることないこと結びつけて語らずとも、もっと端的で説得的なやり方で「Henceforth」やほかのOrangestarの音楽を語ることができるだろう。だから、正直に言ってもっと書きたいことはあるのだが、今回はこのくらいで筆を置くことにする。

2年間の活動休止期間を経て、Orangestarはどんな音楽を新たに作るのだろう。ファンならだれしも思い描くこんなことを例に漏れずわたしもずっと考えていたが、この「Henceforth」は真っ向勝負のストレートど直球。まさに「こんな曲を引っ提げて帰ってきてほしいなぁ」と素朴に期待するような曲そのものであった。新曲がいちばん「Orangestarらしい曲」であるというのもどこか倒錯的な話だが、そのくらい彼のこれまでとこれからを同時に祝福し、予感させるような清々しい一曲だった。

芸術家と大衆の関係性は一般にきわめて歪なもので、最新作を出した次の瞬間には「これから」について期待や羨望や皮肉や悪意やその他のあらゆる感情をともなった眼差しが向けられる。それは必然的なことであり、決して悪いことではないが、それでも今くらいは言わせてほしい。


おかえりなさい。ずっと待ってました。

また音楽を聞かせてくれてありがとう。








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あぁ、初めてあの曲を聞いたときの君はもういないから、曲と自分の境目がぼやけてしまうほど夢中になって感情移入できる君はもういないから、わたしは一人歩いて、こうしてなんだか小難しそうなリクツを並べて自分がいちばんあのひとの音楽を味わえているんだなんて思い込もうとしてるよ。馬鹿らしいけれど、情けないけれど、これがいまのわたしなんだ。そういやあの頃の君だって、言葉を並べたり、他の人に向けて文章を書いたりはしていなかったけれど、やっぱり似たような思い込みのなかにいたね。君がわたしを見たらどう思うだろうか──嫌うだろうか、嫉妬するだろうか、他人事だと思うだろうか。いずれにせよ、この言葉は絶対に君には届かないから、安心して君だけに宛てて書くことができるよ。

ごめんね、やっぱりいまのは嘘。わたしはこの真っ白い空間で、いろんな人の顔を思い浮かべながらこれを書いているんだ。君以外のいろんな人の顔を。じつは前にも何度かこういうことはやってしまったんだよ。昔のことを引き合いに出して、あの頃は良かったなぁ、なんて懐古的にそれっぽく仕立て上げれば、読むほうが勝手になにかを感じ取ってくれるんだ。それを見てわたしは何度も自分に言い聞かせた。もう二度とこんなことはしないって。こう書いている時点で、どこまでそれが本気だったか知れないね。

もういない君へ。どうか君はその歩みを止めないでほしい。君はもうすぐ話の合う人にたくさん出会う。幸せな日々を過ごす。まるで青春をやり直すかのように。そして──あのひとはいなくなって、それを機に君はひとつの生を終える。でも失敗しちゃうんだ。これと決めたことをやり切れないのが君の悪いところで、わたしは君のそんなところが嫌いだ。でもわたしが今こうして書いているのは、そんな君のおかげでもあるんだよ。

だからありがとう。さよなら。




かくしか




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これまでのOrangestar語りnote

以上のnoteはこちらにまとまっています。



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