「格差社会」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。
最近は「格差社会」といわれることが多い。「格差社会」というと、収入の格差をイメージする人が多いけれど、私は知識や教育の格差の方が恐ろしいと思う。一般的に格差を数値化する場合は、上位1%の富裕層の資産に占める割合を見るのだが、ここではそれを無視して語ります。
教育格差のことを、親が知らなかった場合。その子は、生まれながらにして知り得るチャンスを失っていることが多くある。そのために、人生の選択肢が狭まることは、とても多い。結果的に、収入面でも差がつくことになるのだと思う。
巨大企業の経営者が、労働者の何万倍もの年収を得ていることに対する「格差論」を、自助努力の欠乏で片付ける論調はおかしい。だが、他人が何万倍の年収を得ていようが、それを「格差」だとする考えも同様におかしい。
イギリスのサッチャー首相が言い得て妙なことを言っている。「金持ちを貧乏にすることで、貧乏な人達は豊かにはならない」
当然、一部の者のお金を民衆に分け与えたところで、「焼け石に水」という意味もあるだろうが、それ以上に、根本の心の貧しさが豊かになっていないのだから、お金を配っても、心豊かになるわけがない。という意味だと思う。
そもそも、他人がいくらの年収なのかなど、私にとってはどうでも良いことだし、自分でコントロールできないことだ。それを気に病むから、幸せな人生を自分から放棄していることになるのだと思う。
それよりも、自分の人生をどうやって開いていくか?そのために必要な知識を得るのに、コストがかからなくすることが、国民を富ませる政策だと思う。だから、私は「格差社会」とは、知識や教育の格差だと思っている。働けない子供や、収入の少ない人への教育は、無償にすべきだと思う。私も自分の知識は、お客様じゃない場合は、出来るだけ無償で提供したいと思っている。それが、人類に資することと思うからである。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
シンジ
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