「個の尊重」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 欧州では、地下鉄などでベビーカーを押している女性がいれば、近くにいる人は誰であってもとても自然な流れで乗り降りの手伝いをするのが当たり前だ。私が帰国後に自然に知らない人のベビーカーを持って手伝おうとしたら、逆に気持ち悪がられてしまい、面食らったのを覚えている。
 日本は「個」の主張を殺して、最大多数の最大幸福を求めるのに、人と人の間に見えないバリアーを張っているように思う。そうやって自分という「個」を守っているつもりなのであろうか?そして困ったときに「助けて」と言えない人が「自殺」しているように思う。助け合うことは何も「恥ずかしい」ことではないはずだ。
 子供などに対しても同様だ。「とても賢いね」「とてもかわいいね」「元気があっていいね」と、良いことばかりを言う。欧州人の友人が子供たちに「しちゃいけない!」というネガティブワードを言っているのを聞いたことがない。当時は躾がなっていないな?と良く受け取らなかったのは、私の人間力が不足していたのだろう。私は実際に子育てをすることはなかったが、子供たちは自由に伸び伸びと育てた方が良いと思っている。その方が子供は愛情を多く感じて育ってくれるように思う。「しちゃいけない!」という抑圧からは、伸び伸びと育つことはあり得ないと思う。
 しかし、欧州では日本人のように家庭が子供中心にはならないところも重要だ。週末には平気で子供をベビーシッターにあずけて、夫婦でオペラを見に行くのだから、最初は驚いた。要するに一番大事なのは配偶者であり、子供は成人するまで育てる義務がある。それまでは第2位の地位でかわいがる。というスタンスなのだ。子供もそれを理解しているから、親離れが早い。そして互いに依存しあわない、独立した考えを持つ。だから自立が早く、社会不適応者が少ないように思う。それだけ親子間であっても「個」を尊重した考え方なのだ。
 「個」を尊重しつつ、誰とでも助け合えるには、まずは相手を知ること。自分を知ってもらうことだと思う。知らない人へは、「不信感」しかない。知り合えば「理解」が深まる。相手に気をつかうあまり、「距離感」が分からなくなってしまった日本人。親子の距離感すら分からなくなっていませんか?それは「個」を尊重しているとは言いませんよ。まあ、親子関係に関しては、決裂した口なので偉そうなこと言えませんけれどね。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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