「奇跡」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。今日で1,016日目です。
人は「奇跡」を欲する生き物だ。キリスト教は、国民に教育をせず、神の「奇跡」を絵画と音楽で人々に知らせ、物語を神父が読むことで、感動を与えて国民を支配した。いわば「奇跡」宗教だ。もう「奇跡」が起こったか否かなどどうだっていい。国民を支配するために、「奇跡」を利用したことは変わらない史実なのだ。だが考えてみて欲しい。この世に「奇跡」は身近にあるものだ。自分でそれに気づくかどうかが問題なのだ。
運転に慣れたドライバーは、ここはブレーキを踏むべきだ!と咄嗟(トッサ)に体が動くこともあるし、逆にここはアクセルを踏んで通り過ぎるべきだ!と体が勝手に動くこともある。それにより、九死に一生を得ることもある。それは、多くの経験がなせる業であり、その場に居合わせると「奇跡」のようだが、実際には「奇跡」でも何でもないことなのだ。
ある結婚式での出来事、新婦さんはお父様を亡くされていました。お父様が娘につけた名前が「ゆき」でした。ちょうど雪の日に産まれたからだとします。結婚式に参列できなかった父親への感謝の手紙を読み始めると、会場の外を雪がちらつき始めた。なんて「奇跡」も起きるものです。それを「奇跡」と思うか、偶然と思うか、別の解釈をするかは、その人次第なわけです。
自然は常に変化しています。毎日多くの「奇跡」が地球上では起きています。この大いなる宇宙の中で、無数の星の中に、たまたま地球という星があり、そこに生を得た私達が生きている。もうそれだけで、とてつもない「奇跡」じゃないですか!そんな「奇跡」を大切に思うなら、生きているだけで、ありがたいと思いませんか?それだけで、十分じゃないですか?世界はこんなにも美しいのだから。それだけで、もう「奇跡」ですよ!
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
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シンジ
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