「余命」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 病気になると、余命が宣告され、その人はその間「死」と向き合って生きていく。それはとても大変なことだと思う。
 生まれたばかりの赤ちゃんだって、生まれた瞬間から、死に向かって生きていくのに、私達は死に向き合うこと無く、「生」に向き合って生きている。だから、「時間」を無駄にしてしまうのだ。自分の余命を知らないから、死に向き合うことはない。
 多くの人は「死」を恐れ、それについての考えを避けようとする。しかし、それでは死生観は養えない。死と向き合ってばかりだと、悲観的になりそうなので、生に向き合うことも大事だ。でも、死亡率100%である現実にもまた、向き合わねばならない。それに向き合わないから、余命が決まってから、取り乱すのだろう。
 そのため、遺言書は早めにしたためた方が良い。自分が死んだ場合、会社がどうなるかも明文化して、メインバンクには書面で渡しておいた方が良い。従業員にも説明しておいた方が良いだろう。そういう準備をすることが、余命を縮めると考える人が多いが、これを行うことが、「自分が死んだ場合・・・」と考えて、死に向き合うきっかけをくれる。そこから自分なりの「死生観」を育てていければと思っている。
 私は遺言書が手書きなので、なるべく早めに公正証書にすべきだとは思っている。銀行には書面は渡し済みだ。会社の方はいつ死んでも良いと思って準備しているが、自宅や私のピアノなど、どうなるのか?全く考えていない。片手落ちだった。やはり、死への向き合い方が甘かったようだ。
 80に死ぬと仮定して、自分の余命をあと30年で逆算し、もう一度計画を立ててみよう。今年のうちに、準備は早い方が良い。その方が、いまを楽しく生きられると思っている。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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