「免罪符」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 人は弱い。常にだれか権威のある者のお墨付きを免罪符としてほしがる。自分の責任で決定することを避けようとする。特に日本人では顕著(ケンチョ)だ。国のようななるべく大きな存在のお墨付きを。社長のような肩書を持つ者のお墨付きを。

 国が将来の不安を保証してくれるのが年金でした。今後はもう、あてにはならなくなりましたけれどね。
 その企画、オレはダメだと思ったけれど、社長にやれと言われたからやっているんだ。失敗しても、オレのせいじゃない。
 国がワクチンを打てと言ったから、コロナ用のワクチンを打った。それが効くかどうかって?そんなの知らないよ!
 お店に入って「今日のおすすめの料理は?」と聞くのは、自分が選択しておいしくなかった時に他の人に責められる、自分ががっかりしたくない。という免罪符が欲しい人だ。同様に、ワインに詳しくない人が、料理に合うワインを店員に勧められるままに注文するのも、免罪符が欲しいからだ。
 ワインについて知らなければ、素直に店員に聞けばいいのだ。店員は自分の知識をひけらかすチャンスが与えられて喜んで説明してくれる。その説明を聞いた中で、気に入ったものを選べば、その場にいる人達全員で知識を共有し、最初の話題提供が出来るのに、それをしない日本人がほとんどなのだ。もったいないことこの上ない。
 社長が良いと言ったからといって、会社の社有車を通勤や私用に使っている2代目は、従業員達からの信頼はなくなる。

 そうやって「免罪符」を求める者は、自分の頭で考えることを自ら放棄したことになる。そうやって人は自分で責任を取ることを避ける。免罪符を使って良い人生になった者はいない。この世に「免罪符」など不要なのだ。
 欧米人は、決して自分で決める自由を放棄したりはしない。日本人は「心配」という名の呪いをかけて、親が子を支配する。上司が部下を支配する。だから、子も部下も育たないのだ。自分の人生に責任をもって決断できるのは、世界に唯一1人、自分しかいないことを知っていない者は、何歳になっても、誰かの庇護を欲しがり、免罪符を欲しがるのだ。そういう人間は、決して成長しない。冷や汗をかきながら、意思決定しなければ、自分の足で立つことも出来なくなる。免罪符を得てから実行していたら、助けてもらった時の喜びと感謝の気持ちは生まれない。この世に「免罪符」など不要なのだ。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

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