「病気」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 私は五体満足で、いたって健康だ。病気になど3年に1度風邪をひく程度だ。病気ではないが、体調が悪い一番多い理由は、前日飲み過ぎで二日酔いになることだ。
 古来より、その漢字の示す通り「病は気から」と言われた。私はこれが真理だと思っている。人は自分が「病気」であると宣告されると、病になる。血が流れて痛みがあると、怪我をしたと思う。人は知識がないこと、情報がないことを恐れる。目に見えないものを恐れるのだ。
 幽霊はいるのか?という問いをする者は、見えないことや理解が及ばないことを恐れているのだ。細菌が見つからなかった時代、見えない相手を野口英雄が見つけ、細菌という病気が理解できたことで、恐怖が去った。最近は、細菌よりも小さなウイルスが猛威を振るっているが、それも見えない相手じゃないわけだ。恐れるに足りぬわけだ。
 人は何の病気か分からず、調子が悪い。ということを嫌う。だから、とにもかくにも、適当に病名をつけるのだ。ハリケーンにまで名前をつけるように。
 病名がつけば、立派な病気として認められ、晴れて病人になることが出来る。自己憐憫にも浸れるというものだ。それは病名がつくことを目的にしてしまっている。
 当然、それでも薬がなければ生きられない人がいることも理解している。家内は毎日薬を持ち歩き、毎食後に何種類もの薬を飲んでいた。年間の薬代はいつも10万円を超えていたのだから、その量は想像できると思う。そんな家内を責める気持ちはないし、かわいそうだと思っている。そのような人がいることも知っているが、その薬が何の役にも立たない、無駄な錠剤であることも、また知っている。それで心の安定が得られるならば、と認めていたに過ぎない。

 生きていれば、病気や怪我から逃れることは決して出来ない。この広い宇宙で、地球という特別な環境下でしか生きられない私達人間は、とても弱い、はかない存在だ。
 生きているだけでも奇跡なのに、病気や怪我から逃れることは決して出来ない。それを受け入れ、共に生きて行くだけだ。病室から出られなくても、腕がなくても、目が見えなくても、幸せに生きている人はいる。病名など知らなくても、薬がなくても、幸せに生きている人はいる。そして、いつか死ぬのは、病気の有無にかかわらず、誰でも平等だ。だから、「病気」を不幸と思ってはならない。「怪我」を不幸と思ってはならない。その人の命の時間がどの程度あるかは、誰にも分らないことなのだし、増やすことも減らすことも出来ないのだから、「病気」を共に受け入れよう。限られた命を大切に生きよう。健康な私の言葉では、病気の人には届かないかもしれないけれど、私はそう思う。

 マザーグースにこのような一節があるそうだ。「この世には、薬がある病気と、無い病気がある。薬がある病気は、薬で治そう。薬がない病気は、忘れてしまおう」

 特効薬がないことを、思い悩んでも何も良いことはない。すべては受け入れて行くだけだ。そうして不安を解消しなければ、心も「病気」になってしまう。やはり病は「気」からという、古来の教えはどこまでも正しい。現代においても。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?