「侮辱」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 今日はビジネスの話を少し離れる。興味のない方はパスされたい。少々長いが、お付き合いください。
 正月休みに何気なくTVを付けて目が離せなくなりました。女子高生がスパイをするアニメで、初めて見るので内容は知りませんでしたが、TVにくぎ付けになりました。年代は1760年ごろと思われる。イギリスの産業革命で開国したばかりの日本とは技術的に大きな差がある時代だ。物語についてはどうでも良いことだが、そこでデジャブ(既視感)を感じた。
 留学をしてスパイになっていた日本人の女の子が、東洋人ということで同じ学校の男子生徒から国のことを侮辱される。その後、頭に来たその子は決闘を申し込み、見事に相手を倒し、謝罪を勝ち得る内容だ。
 何をバカな話を、と思われるかもしれない。しかし、初めて渡欧した際、私は同じ思いをしたのだ。私は特に愛国心など強いほうではないが、自国に対して、わずかな知識とイメージで相手を卑下してしまうことが、大きな侮辱につながることを学んだ。

 私が無料の語学学校でドイツ語を習っていた時、同じクラスには様々な国の人がいた。イギリス人、デンマーク人、イタリア人、ポーランド人、ポルトガル人、マレーシア人、韓国人、中国人、ルーマニア人、ナイジェリア人、イラン人、インド人、そしてフランス人だ。フランス人のオリビエは、2mはあろうかという背の高い男で、きっと私と似たような年齢(23歳前後)だったと思う。彼の頭の中には、日本人のイメージが出来上がっており、現実を見ようとする気持ちは微塵もなかったようだ。
 基本は全員ドイツ語で話をする。全員が共通で話せるのはドイツ語だけだからだ。だが、全員が最も不慣れな言語がドイツ語でもある。欧州の言語を使う者はすぐに英語に助けを求める。言語的に似ているので、欧州人どうしは通じるのだ。これはフェアじゃない!私は何度も「ドイツ語を使え!」と訴えたがオリビエはいつも私を無視していた。私が頭にきて日本語で詰め寄ると、すぐに両手を広げて「暴力は良くない!」と周りに助けを求めて、なんとも歯がゆい野郎だった。
 授業の最後の日、全員でピクニックに行こうということになり、それぞれ自国の食事やお菓子を持ち寄って来ることになった。当然、お金のない私は何を買うでもなく、料理をしようと思ったのは自然なことだ。と言っても、日本食にしなければならないが、ダシの素を「魚臭い」と言って嫌う白人が多いのは知っていた。そこで私は日本から持っていった貴重な味噌を使って、なす味噌炒めを作ることにした。なすとピーマンを油で炒め、砂糖を入れると水が出てくる。なすがクタクタになったところを味噌で味を締める。私の得意料理でもあるし、大好きな料理だ。しかも食材の味噌以外はオーストリアで手に入るのだ。

 少々脱線するが、当時オーストリアでナスは生産していない。イタリアからの輸入だ。そのため品名もメランザーニというイタリア語で販売されている。いまから20数年前の事情では、オーストリアには日本食レストランは3軒しかなく、日本食材店も2店舗しかなかった。イタリアに行ったときは1軒も見当たらなかった。最近、イタリア料理以外を受け入れにくい、イタリア人でさえ日本食が浸透して、お店も増えている記事を読んで驚いたのを記憶している。日本人が作っていない店でさえ、寿司を出すらしい。オーストリアにも怪しいアジア人が見よう見まねで偽物の日本食を作っているお店が多くあった。当然それらは日本食レストランとしてカウントしていない。当時欧州で最も日本人が多く住み、日本人が受け入れられていた国がオーストリアと言われていたが、それでも日本文化への理解はまだまだ乏しかった。現地在住の寿司職人と話をしたことがあるが、当時は白人のお客さんは寿司を出すと、上に乗っているネタだけ食べてご飯を残すというのだから呆れたものだ。アメリカの日本食レストランでのことだが、アメリカ人がかつ丼を頼んだ。出てきたものを見ると、卵でとじていなく、目玉焼きだった時には笑いをこらえるのが大変だった。しかし、日本以外の国の卵は汚くて、生では食べられないという事情もある。下手をすると死に至るほどだ。生食用の卵を海外に売ればかなり儲かると思うのだが、そんな養鶏業者はいないのであろうか?
 オーストリアは内陸にある国の為、魚はほとんど食べない。魚の匂いが嫌いなので生魚は受け入れられないのも仕方がないだろう。アパートの大家さんの一家を招いてパーティーをした際、甥っ子の男の子が味噌汁のダシの匂いに、鼻をつまんで「お腹いっぱい」と言って何も口にしなかったのには閉口した。白人からすると、我々日本人は毎日寿司を食べていると思われているのだが、実際には20数年前では寿司を日常的に食べるわけではない。(スーパーの総菜、回転寿司などもほとんどなかった)しかし、そんな間違った認識が勝手に根付いてしまったようだ。当時はインターネットもなく情報が少なかったからだろう。

 ピクニック当日、多国籍の教室なだけに、様々な料理が並んだ。どれも個性的でとてもおいしかった。オリビエはティラミスを作ってきた。彼はパテシエの卵とのことなので、それなりに美味かった。オリビエが言った「シンジは何を作って来たんだ?寿司か?」
 「いや、寿司は年に1~2回しか食べないよ、それにこの国じゃネタが手に入らない。日本の伝統的な味噌を使ったメランザーニ(なす)とパプリカの炒め物だよ」と言って私は料理を差し出した。
 ところが、見た目の問題なのだろう。誰も食べようとせず、あからさまに顔をしかめて遠ざかって行く人が多かった。いま思えば、味噌がウンチっぽく感じたのだろうと思うが、その当時私は、なけなしの味噌を使って料理をしたのに、なんて失敬な奴らだと憤ったのを覚えている。だが、食べてくれないのは仕方ない。自分で食べるので何も問題はない。それで終わればよかったのだが、オリビエの野郎がゼスチャーを交えて余計なことを言った。
 「日本人はちょんまげして、刀を差して、着物を着て、ウンチ食ってるんだぜ!ハラキリ!ハラキリ!」と言って侮辱をしてきたのだ。日本人に対して今でも切腹があり、刀を腰に下げていると思っている外国人は1980年代生まれ頃までは意外と多い。

 紀元前50年ごろ、イタリアのローマ帝国のカエサル(シーザー)は、野蛮人の住む地を治めるため挙兵し、当時のガリア地区を占拠し、統治した。世に名高い「ガリア戦記」が欧州最古の戦争記録である。野蛮人の住むガリア地区とは現在のフランスであり、フランス人を当時はガリア人と呼び、イタリア人は卑下していたそうだ。

 私はその後オリビエには会っていないし、会うこともないだろう。このガリア人を許すつもりは生涯ない。以来、私は欧州の中で最も嫌いな国がガリア(フランス)となった。だから、今後も行くことはないだろう。実際、乗り換えでパリのシャルルドゴール空港を使っただけだ。オリビエがガリア人の代表というわけではないが、最初のイメージは払拭し難いものがある。これは逆の立場でも同じことだ。初対面の人と会う場合、特に外国人と会う場合には、とても気をつかうべきだと思う。自分の常識を押し付けるのだけはやめた方が良い。
 国だけでなく、その人の生まれについても同様だ。色メガネで人を見ることなく、自分の小さな知識で人を見下すことなく、年齢も鑑みずに相手を常に対等だと思わなければならない。当然のことと思われるだろうが、ほとんどの人が出来ていない。特に日本人は年齢で人を見極める悪い癖がある。欧米では年下の上司が白髪の部下を連れてくることなどしょっちゅうだ。それに対する反応が失礼だっただけで商談を失った人も知っている。

 実力のない者程、上っ面の情報で相手を見下す。生まれや学歴、お金や物でその人の偉さは決まらない。分かっていることだが、人は見た目に騙されやすい。心の中は見えないのだから。人への思いやりや、人を気づかう心は、そんな見た目の派手さより、得難い財産であることを分かっていれば、当時の私は頭に来ること無く、さらりと受け流したんだろうと、いまにして思う。私が受け流せなかったということは、嫌いなガリア人と同じ土俵に立ってしまっていたなんて、洒落にもならないやね。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?