「学歴」
おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。
学歴を気にする人は多い。どの大学を卒業したのかで、その人の価値が決まるかの如く。特に親の学歴がなく、不遇を受けたと感じた場合は、子供に学歴を押し付けるようになる。それで本当に、子供は幸せなのであろうか?良い学校を卒業することが目的化してしまい、知性を磨くことが、おざなりになってはいないだろうか?
私の両親は田舎者で、高卒で東京に出てきて、一部上場の自動車会社で社内結婚をした。上場企業だと、学歴でスタートラインが違うのだろう。公務員であれば、尚更違うだろうけれど、その後のキャリアは民間企業なら、努力次第でエスカレーター的に昇進する者に、ある程度ついていけるはずだ。ただ、エレベーターに乗っている人もいるから、さすがに追いつかないのは仕方ない。それでも、学歴がなくて不遇な目にあっていると思っている人のほとんどが、私は学歴を言い訳にしていると思っている。そして口を酸っぱくして、子供に勉強を押し付けるのだ。
勉強をする意味も教えず、ただ短期的なゴールだけを指し示して。子供はそんな親の気持ちなど、理解できるはずもなく、兄は心を病み、私は外へ逃げた。酒を飲み、煙を吐いて、博打をする。典型的なダメ次男を演じていた。でも学歴はないけれど、海外へ行く夢だけは実行した。9歳年下の弟だけはのびのびと育ち、大学院まで行った。
家内の両親は真逆で、勉強をしなさいとは一度も言わなかったそうだ。塾へも子供の方から行きたいと言ったそうだ。自分の意志で決めれば、当然続くし楽しい。出来るようになれば、余計楽しくなり、家内は全国模試で上位10位にまで上がったそうだ。私からすれば、雲の上の存在、いや、存在すら知らなかった天上の世界だ。
学歴は無いよりはあった方が良いのかもしれない。けれど、日本の学歴にそれほど価値があるとは思えない。東大なんて、世界から見ればかなり下の大学だ。世界にはもっと頭の良い人がいっぱいいる。だが、頭なんて良くても、知識があっても、心が負ければそれで終わりだ。試験に受かっても、実際に社会で生きて行くときに役に立つのは、試験の点数ではなく、折れない心だ。
自分のプライドを捨てて、知識のある者に頭を下げて、上手く使ってやることだ。いかにして人を動かすかだ。そんなことは学校では教えてくれない。人間観察の大切さは、学校では教えてくれない。良い点数を取ることに時間を使うなら、様々な本を読んだ方がよっぽど人生の役に立つ。
だから我が社は常に応募者の「学歴は不問」だ。どの学校を卒業したのかなんて、それほど価値があるとは思っていない。その人が過去に、どれだけ辛い思いを乗り越えてきたのか?死ぬほどの思いをしたことがあるのか?どれだけのことを成し遂げたと思っているのか?どれ程大きな失敗をしてしまったのか?火事を起こしてしまった(2022年5月30日「強い人」参照)なども重要だ。
大事なのは、その人がその後どうしたのかである。学歴などでは分からない、その人の内面が、最も重要なのだ。
一般教養的には中学生まで終えていれば、大抵のことが出来る。微分・積分など知らなくても、漢字が書けなくても、何も心配することはない。ただ、人と人が集団を形成していくうえで、自分が前に出るときと、人を立てて身を引くことを覚えるのは、学校の中ではないことだけは確かなことだ。その瞬間に自分のできる最良の道を選択できる判断力と判断スピードを得るのも、学校の中でないことも確かなことだ。そして、すべての責任を引き受けるということが、どういうことなのかを、学校では教えてくれない。
学校は、教養を身につけ、広く浅く世の中を知るための訓練の場だ。訓練が良かったからといって、実践で使えるとも限らない。「学歴」を得ることを目的とするなかれ。学歴を人生の目的に利用できるようになれば、「学歴」はあった方が良いだろう。
私に子供はいない。もし子供がいたとしたら、「学歴」にはこだわらないだろうし、勉強をするようにも言わないだろう。それよりも、数学や物理の実践的な面白さは、教えてあげたいし、音楽理論の完璧さも教えてあげたい。ただ、興味を持ってくれるかは、私がコントロールできることではないし、押し付けてはいけないことだ。だから、進路を決めるのに、私は口を出すつもりはない。私の中で「学歴」とはそんな位置づけだ。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。
シンジ
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