「規則」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 人が集団を形成していくうえでは、規則は欠かせない。だが、規則にすべての人が納得するわけでもなく、賛成する人と反対する人もいる。法治国家における守るべき順序は、第一に憲法であり、次に法律だ。次に団体それぞれの規則だ。
 学校の校則も同じだ。私には子供がいないため、気づかなかったが、最近ブラック校則という言葉があり、見直しの機運があるという記事を読んで驚いた。いまは私の学生の頃より、緩いのかと思っていたからだ。今日は規則の中から、私になじみのない校則を取り上げる。知識がないため、間違いなどあればご指摘願いたい。

 ブラック校則の中に「下着の色の指定」という校則があるそうだ。教師がチェックするというのだから、その時点でアウトだ。「校舎内は防寒着の着用禁止」要するに手袋、マフラー、オーバー、膝掛けやタイツなどは着用してはいけないということだ。「スカート丈の長さの指定」もある。指定に許容量が小さいと、成長期の子供が大きくなるスピードを考慮していないので、スカートを何本も買う羽目になる。「整髪料の使用を許可しない」それにより、校則を守る人ほど寝ぐせがあるそうだ。「髪の色は全員黒」地毛の色が薄い人や、外国人留学生にまで黒染を強要する。地毛なのになぜ?染めたらいけなんじゃないの?「男子は坊主」「女子はポニーテール禁止」うなじがセクシーだから?という禁止理由がよく分からないものまで。「スマホを持っていても良いが使用は禁止」って何のために持っているの?「バレンタインはOKだけど、ホワイトデーはNG」って、それもらいたい男性教師が規則作ってるでしょ?と思いたくなるものも。
 逆に教師の意見。「ブラック校則というけれど、すべての規則は理由や経緯があって生まれてきているのを忘れないで欲しい」「髪の色や下着の色の指定は、就職活動や事件から子供達を守るためで、人権を無視しているわけじゃない」「社会に出たらもっと理不尽なこともある。集団生活の中で規則を守る訓練だと思って欲しい」「もっと厳しい規則を、という親御さんもいる」とまあ、かなり論拠が曖昧だ。
 学生本人へのあるアンケートでは、校則を変更しなくて良いと答えた人の割合は、小学生32.5%、中学生27.2%、高校生20.8%とのことだ。一定数の人が現状の校則を悪いと思っていない。と教師側は解釈していたが、個人的には違う景色が見える。今回は、小学生、中学生は義務教育なので、話を高校生に絞ろうと思う。

 少々長くなる事実確認だったが、以下私の意見です。そもそも規則は何のために必要なのかを考えたい。
 例えば、就業規則は会社としての規則であって、絶対的なものではない。その意図が、従業員を縛り付けるものでは、そこで働いている人は、決して幸せにはなれない。校則も同じだ。生徒の幸せと成長に寄与する規則でなければ、そんなものは守る理由がない。

 就業規則とは、きちんと働いている人を、問題社員やトラブルから守るため、会社存続のために作成され、運用されるべきものだ。
 校則は、豊かな学生生活を送るため、子供達を守り、我が国の担い手である子供達の成長を促すのに、必要なことを定めるもの。ではなかろうか?

 髪の毛の色を黒く染めることは、まったく意味がなく、同調圧力の一つでしかない。特に地毛の色が黒くないことを理由に、学校側が否定することは差別であり、憲法に反する。
 防寒着の着用を禁止する。ポニーテール禁止。スマホを持っていても良いが使用は禁止。バレンタインはOKだけど、ホワイトデーはNG。など、良くわからない理由が多数あるのはおかしい。理由を示さずに規則を笠に着ているが、規則は法律よりも弱く、規則に従う側に不利益となる内容は強要できない。ましてや、下着の色を指定する等、目を疑う内容を平然と校則に書くなど、正気の沙汰じゃない。それこそハラスメントだ。

 ここで問題となるのは、子供は自分で判断ができないから、大人が道を示してあげるべきだ。という考えと、子供であっても、既に成人に近く一個人として尊重すべきだ。という考えの違いがあると思う。
 先のアンケートでは、校則への一定の理解者がいる。という結論だったが、私は年齢が上がるほど、その校則に疑問を持つ人が増えている。つまり、従順な者は子供であり、従わない人ほど、一個人としての自由の尊重に目覚めていることが分かる。まともなアンケート結果に見える。
 我々大人は、もっと子供達に自分の頭で考え、自分の意志で決めることの大切さを教えるべきだ。頭ごなしに規則で縛ることが教育とは思わない。逆に、子供達を自分で判断ができない若輩者とみなすことは、子供達の成長の妨げになっていると思う。それでは学校の本分を疑うことになる。
 そもそも、学校の先生からすると、生徒はお客様だ。それを頭ごなしに、校則で命令をして、見せしめに頭を洗わせる、スカート丈を皆の前で測定させるなど、あってはならない行為だ。かなりの侮辱行為だと思う。
 私は学生のころ面倒な奴だったので、義務教育中は教師に校則をたてに取られたときには、「義務教育なんだから、校則を破っても退学にできないでしょ」と言っていた。高校の時は、「金払ってんのこっちなんだから、客いらないですか?退学にしますか?」と生意気に言っていたが、いまの子達もその位、教師に従わないことも大事だと思っている。本当に尊敬のできる教師の言葉であれば、生徒は疑問を持たずに従うものだ。教師に従わせるだけの力量がないから、「規則」で縛ろうという発想が、そもそも間違いである。マネージメント能力の欠如を疑う。
 私が高校の時にドライヤーが禁止だったのは驚いた経験がある。どうやって髪を乾かすのかを教師に聞いた。その教師は真面目に「自分はドライヤーを使ったことがない」と言っていた。髪の長い女性は一体どうするのか?髪の薄く短いその教師は苦労しないだろうが、人のことを思いやる気持ちもなくて、教師と言えるだろうか?子供達に一体何を教えているのか?この教師はバカだな。と思って取り合わなかったのを覚えている。まだ大人になりかけの子供達は、そんな「おかしいな?」と思う気持ちを言語化することができず、反発をして、ヤンキーなどが生まれていたのだ。それなのに、最近はヤンキーも暴走族もめっきり減って、同調圧力が圧勝してしまっている。そんな国に未来はないと思う。
 人は本能を捨てて「思考」を手に入れた。それにより、人それぞれの考えによる、個別の決断が生まれ、種の保存が可能になったのだ。個性を捨て、イワシやアリの一匹になった瞬間。人類は環境変化により、全滅する可能性があるってことだ。同調圧力の悪い部分はダーウィンが示すとおりだ。

「最も強い種や、最も賢い種が生き残るのではない。最も変化に適応した種が生き残るのだ」

 学校という団体は、教師という独裁者のために、我が国の大切な担い手が、隷属させられている場所なのではない。すべての教師を否定はしないが、いまにして思うと、自分が経験してきた公立学校は、私の代でもひどかったが、いまはもっと腐敗しているのかもしれない。
 こんなことで、まともな日本の社会人が出来上がるとは思えない。むしろ、劣悪な同調圧力に屈したロボットを、大量生産しているだけのように思えてならない。学校教育の在り方に、非常に疑問を持った。経済的に余裕がある場合に、私立に行かせたい親の気持ちがよく分かった気がした。
 しかし、それでは解決にはならない。教育は行き渡って初めて意味を成す。昔の寺子屋のような制度でも良い、本当に子供達の未来を考えた教育をしないと、我が国に未来はないと思う。出生率の前に、いまいる子達を救うべきだと思う。
 「規則」の基本は、その規則を守る人たちが恩恵を受ける内容でなければならない。成人年齢を引き上げても、個人の判断を尊重できなければ、絵に描いた餅だ。早めに自己判断と責任を教え、立派な大人にするためにこそ「規則」を設けるべきだ。人を幸せに出来ない「規則」など、存在価値はない。従う必要もない。高校生なら、自分達で議論して、「日本国憲法」を参考に、自分たちなりの校則を制定するようにした方が良いだろう。そして、自分達でそれを守り、責任を取るのだ。それが大人への第一歩になる。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?