「分水嶺」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。第1,125回です。

 企業における会計や国の財政を、一般家庭に見立てて考える人が多い。確かに、借金の考え方以外は、基本は家計簿と何ら変わらないと言えるだろう。だが、ここに大きな違いが2つある。それが国家財政や企業会計の面白いところだ。
 そして、サラリーマン諸氏には理解しがたい部分なのである。ここが分かるか否かが、経営者としての「分水嶺」の一つだと思う。

 その一つが「借金」だ。家計における借金は、必ず返済しなければならないものだ。当然、国や企業も返済が必要である。しかし、大きく違うのが、国や企業は、借り続けることが可能ということだ。
 どういうことかというと、個人が住宅ローンを組んだ場合、他行に借り換えることも可能だが、返済をせずに他行に借り換えることをくり返すことは不可能だ。なぜなら、人には寿命があるから、借り続けることができない。
 ところが、企業や国には寿命がないので、借りたお金を返済せずに、更にまた借りてそのお金で以前の負債を返済するのだ。だから、手元資金は変わらず、借金の返済期日を伸ばしていくことが可能なのだ。
 国がよく償還を迎えた国債と同額の国債を発行しているのも同じ理由だ。会社も銀行からの借り換えの他に、社債の償還に合わせて、同額の社債を発行しているのも同じことなのだ。そのようなことは、個人には許されない。とても家計簿と一緒には出来ない重要な部分なのである。ここを理解できない者は、会社を倒産させる可能性が高いので、経営には手を出さないことをお勧めする。という意味で、経営者としての「分水嶺」だと思っている。

 もう一つが「信用」だ。決算書には出てこない、数値化することができない「信用」こそ、非常に大事なもので、経営者の「分水嶺」の重要な一つと言えるだろう。
 個人の人がどれ程声高に自分の計画を語っても、担保のないローンは組めない。保証のない借金は出来ない。資金を集める方法はクラウドファンディング程度しかないだろう。
 個人に対する「信用」とは極めて低く、ほぼ人権がないと思った方が良い。個人事業主の方はよくご存じだろう。ところが、法人になった途端いきなり人権を得るのが現実だ。では、その「信用」とはどこからくるのだろうか?
 毎月サラリーをもらうかの如く、社会保険という名の税金を国に納めた者だけが得られる「信用」なのである。つまり、国が認めた者のみが得られるのが「信用」なのだ。
 人柄が信用できるとか、仕事が信用できるという「信用」とは異なり、社会的信用は、個人には得られないことだと思ってください。なぜなら、人は社会性の生き物です。社会に溶け込み、組織の一部にならないと、個人としては信用されないのが現実です。そのことを理解していれば、おのずと法人化しなければならないことも理解できると思う。そこも、フリーランスと経営者の「分水嶺」だと思っている。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

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シンジ

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