「給与」

おはようございます。

公響サービス、代表のシンジです。


 サラリーマンのみなさん。そもそも、給与とは何のためにあるかご存知だろうか?給与とは、労働者が生活をしていくために必要な経費を、前金として支払っているものだ。あなたの労働の成果では、決してないのだ。だから、仕事ができない新人の時も、きちんと給与は支払われる。それが無くなれば、成果を上げる前に干上がってしまうから。

 もっとわかりやすくすると、むかしは穀物を収穫するために畑を耕した。地主はもっと多くの穀物を取るために、人を雇って広大な土地を耕させた。ですが、秋に穀物を収穫するまで、労働者に穀物を支払うことができなかった。しかしそれでは、穀物が実るまでの春から夏にかけて収穫がないからといって、パンを食べずに労働することはできません。仕方なく、雇用主は前年までに蓄えた穀物で作ったパンを支給しなければ、畑を耕す者も、水を撒く者もいなくなってしまう。まずは期待値でパンを与える。その後に、秋の収穫でそれ以上の実績を上げるのが、経営における給与の立場である。だから「与えて、足りるように配給する」という字で「給与」と読むのだ。

 だが世のサラリーマンは、「自分の努力の結晶が給与である」。と誤った幻想を抱いてしまうのだ。だから、こんな不満が出てくるのだ。


「自分はこんなに努力しているのに給与が安い!」

「自分の仕事は正しく評価されていない!」

「自分にはもっと良い生活が与えられてしかるべきだ!」


 そう思うことが、そもそも間違いなのです。必要経費は、結婚をしたり、子供が生まれた時、家を買ったときなど、大きなイベントに応じて増えていく。会社側はそのようなイベントに合わせて、昇給を考えていくことが多い。だって、必要経費だから。それなのに、「給与が安いから結婚ができない」と考える時点で、必要経費である給与が上がる道を、自ら閉ざしていることに、気づかない若者が多いことは、嘆かわしい限りだ。

 給与に合わせて生活をするのではなく、もっと自分を追い込み、もっと給与が増えなければ、成り立たない生活に自分を持って行くのだ。そうしたら、給与を上げるために何が必要なのかを真剣に考えるだろう。

 そもそも労基法で、昇給や減給に関して就業規則に明示しなければならないことになっているのに、それが書かれていないことに疑問も持たず、上司に質問もしない人に限って、評価されない努力をして


「こんなに努力しているのに」とか

「正当な評価がされていない」


 と不満を漏らすのだ。人のせいにする前に、自分がルールを理解しているか?見直して欲しい。野球のルールを知らないものが、努力して野球をしても、点数を取ることはできないのだ。不満など漏らしている暇があったら、会社のルールを頭に叩き込むことですね。ちゃんとしたルールがない?社長が気分で決めている?(ほとんどの中小零細企業はそうです)そんな会社はとっとと見捨ててしまえ!見捨てられるだけの実力があればね。それができないなら、給与が上がらなくて当然ですよね。あなたはどっちかな?


 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。


シンジ

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