「ムードリング」

おはようございます。
公響サービス、代表のシンジです。

 今日は日曜日なので、ビジネスに関係のない私事を書かせていただきます。興味のない方は飛ばしてください。私が住んでいたムードリングでの生活について書かせてもらいます。

 前回は、ウィーンから電車で30分ほど離れたムードリングという小さな町の、マリアハウスに住むことになったことを書いた。その続きを書かせて頂く。
 マリアハウスは共同アパートの為、いくつかルールがあった。台所は使ったらきれいに洗い、他の人が使えるようにするのは当然だ。冷蔵庫は使える棚は1つだけなのでほとんど入らない。私は寒い国なので、2重窓になっている、窓と窓の間に野菜を置いていた。天然の冷蔵庫としてちょうど良かった。隣の部屋のMさんは親が金持ちのようで、料理をきちんとせず、カップラーメン(ここでは高価なものだった!)やその他、レトルト商品など適当なものを食べていた。外で食べていることも多かった。私は一度もレストランには行っていない!日本より高いんだからね。敷居が高すぎる。スーパーで玉ねぎ買ってこれば、1kg40円で買えるんですよ。断然料理するでしょ!おごってもらう以外はね。帰国前にマリアに連れて行ったもらった本物のスペアリブ店は本当においしかった。だからオーストリア料理については、ほとんど知らない。
 日本以外の国では卵は生で食べられない。そもそも、売っている状態から鳥の毛が付いているなど、見た目から汚い。何かの菌がいるとかで、卵を触ったら必ず手を洗うように、半熟で食べないように、Nさんに教わった。私は卵を買うと、必ず洗剤で表面を洗って冷蔵庫に入れるようにし、日本と同じように半熟の卵とじを作って食べていただが、一度もお腹は壊さなかった。でも、実際卵で人が死ぬらしい!日本がいかに衛生的なのかが分かる事実だ。アメリカでも同様に生では食べられない。卵はみんなカリカリに火を通している。卵かけご飯は、日本でしか食べられない絶品料理なのだ!感謝して卵を食べよう!
 マリアハウスには食洗器があった。当時見たことのない食洗器を私は信用できず、いつもスポンジに食器用界面活性剤を付けて洗うようにしていた。その後、シンクもきれいに洗い、どこもかしこも、ピッカピカにするのが癖になった。いまも同様だ。食器を洗ったら、シンクのステンレスもきれに洗っている。油が落ちたシンクは、お湯が玉となって転がり滑り、とても気持ちが良いものだ。ちょっとした労力で、誰もが気持ちよく使える。共同アパートだからこそ、そんな感覚を得られたのだろうと思う。ところが、隣の部屋のMさんは、いつも食洗器を使っており、時々「フライパンがないな?」「包丁がないな?」と思うと食洗器の中で眠っています。なぜスイッチを入れないのか?というと中がスカスカだから、溜まったら回すとのこと。ヒエー!それじゃいつになったら洗うんだよ!汚れがこびりつくでしょ!なんておバカなんだこの子は!それに食洗器の中が臭う。臭いんですけれど?結局いつも、私が食洗器の中から救い出し、スポンジで洗っていた。やれやれ。
 お風呂は当然シャワーしかなく、トイレと一緒だ。掃除は月に一度交代でってことになっていたが、Mさんが掃除をすると、全くきれいになっていなく、トイレの便座を持ち上げるとビックリな状態で、「これ全然掃除になっていないよね?見えているところしかやっていないよね?」と思いながら、結局毎月私が掃除をしていた。しかも女の子なので、時々血が付いていて、ビックリ!ああ、生理なのか?一応女の子なんだね?と思いながら、掃除をしたのを覚えている。まったく手のかかる子でした。やれやれ。これじゃお嫁に行って苦労するだろうな?親の教育も良くないよね。
 シャワーとトイレが一緒の構造なので、Mさんはシャワーに入ると1時間は出てこない!私は大便が我慢できなく、駅まで走ったこともある。まったく隣人に恵まれないと、本当に困らされるものだ。そして大抵は向こうもこちらを嫌っているものだ。色々してやっているのに、電話で私があまりドイツ語が出来ないのを良いことに、隣人の人(私のこと)が変な人で気持ち悪い!的なことを誰かと話しているのを聞くのも、良い気持ちはしない。まあ、私は目的があってここにいるのだから、気にしないで自分のことに集中しましたけれどね。

 ムードリングの中央を走る車道は「ハウプト・シュトラッセ」と言って、直訳すると中央通りと呼ばれる石畳の道路が主要な道路であり、その両側は色々なお店であふれている。日本のような総合店はなく、それぞれ専門店がある。肉屋、タバコ屋、毛糸屋、服屋、文房具屋などといった具合だ。スーパーは2件あり、私は「ホッファー」というチェーン店がお気に入りだった。卸売りのように、段ボールのまま積み上げ、大量に購入していく人が多い。私もビールをケースで買っていたが、1本40円という安さ、ケースでも1,000円も行かなかった。ビールもいつも2重窓の外で冷やしていた。
 当時の通貨はユーロの導入前で、オーストリアはシリングを使っていた。当時のレートだと1シリング=10円なので計算が楽だった。私は家賃も含めて、およそ1日500円で生活をしていた。安かったな。
 数字はマリアに習ったので、いまでも忘れない。1から「アイン・ツヴァイ・ドライ・フィーア・フンフ・シックス・シーベン・アハトゥ・ノイン・ツェーン・エルフ・ヅヴォルフ」と12までが決まっており、その後は13「ドライツェーン」「フィーアツェーン」・・・・・そこまでは英語とあまり違いはない。大きく違うのは21以降だ。ドイツ語の場合、1の位を先に言い。10の位が後になる。間を「ウント」(and)でつなぐのも特徴的だ。つまり21の場合は、「アイン・ウント・ツヴァンチッヒ」「ツヴァイ・ウント・ツヴァンチッヒ」というようになる。最初は位が逆になるのが慣れなかったが、英語脳を捨てる努力をしたおかげで、いまは英語もドイツ語的に逆になる始末だ!困ったものだ。とにかく、マリアに数字を教わったおかげで、買い物のたびに「シュライベン・ズィー・ビッテ」(書いてください)と言って紙とペンを差し出す必要がなくなった。おかげで今でも数字だけならわかる自信がある。

 ムードリングはウィーンから電車で30分ほどだが、電車以外の交通方法を知らない。ある時、フランツの家でワインを飲ませてもらい。飲み過ぎてムードリングの5駅ほど手前で止まる電車に乗り、そのまま眠ってしまった。気づいたときには、その駅のベンチで寝ており、時間を見ると終電が終わっていた!帰り道が分からない!仕方なく私は線路に降りて、線路上を歩いて帰ることにした。10分ほど行くと、遠くから光と音が近づいてくる。まさか!と思ったが間違いない。前方から光がどんどん近づいてくる。かなりのスピードだ!私は隣の線路に伏せて、枕木をつかんで体が動かないように固定した。ビューっととてつもないスピードで貨物列車が隣の線路を通過している。風圧で体が浮きそうだった。しかも貨物が長い!なかなかいなくならない。こんなスピードじゃぶつかったらトマトですよ!危ない危ない。私はどうにか飛ばされることなく、1時間程歩いて自宅に帰った。正直死ぬかと思った。

 ムードリングは自然の豊かな街でとてもきれいだった。私は作曲に行き詰まると、良く散歩をした。ベートーヴェンが住んでいたというのだから、似たような景色を見て、同じような道を散歩していたのだと思う。
 私の住んでいたマリアハウスは、駅からハウプト・シュトラッセと駅の反対側を平行に走っている「ムードリング・バッハ」という川沿いにあった。直訳すると「ムードリング小川」だ。有名な作曲家のヨハン・セバスティアン・バッハは、日本語にすると「小川さん」ということになると、この時初めて知った。ムードリング・バッハの橋を渡って反対側の小道はアクセナウ・ガッセと言って、そこが我が家の通り名だった。この名前は一生忘れないだろうと思う。
 アクセナウ・ガッセをどんどん川上に歩いて行くと、左に90度曲がってきたハウプト・シュトラッセと合流する。その大道りを超えると町の中心部に出る。家やお店が多く立ち並び、中央に古い教会がある。教会から少し右手に、塔の高くそびえる建物があり、それがムードリングの市庁舎(ラート・ハウス)だ。更に右手には、ペスト記念碑がある。ヨーロッパに行くとどこにでもこのペスト記念碑があるが、オーストリアのペスト記念碑は特徴があり、見るとすぐにわかる。時の皇帝、レオポルド1世が建てたものだからだ。美術史美術館絵画で有名なスペイン・ハプスブルク家から嫁入りしたマルガリータ王女の夫である。3大名画の一つベラスケスの書いた「ラス・メニーナス」の中央にいるヒロインがマルガリータ王女だ。夫のレオポルド1世はバロック大帝と呼ばれており、自ら作曲をし、マルガリータをとてもかわいがったそうだ。バロック曲が好きなことも、どうも手を腰に当てる癖が似ていることなど、家内は私のことを「前世はレオポルド1世だったのでは?」とよく言っていた。それなら家内の前世はマルガリータ王女だったのではないだろうか?家内の細く白い指などはマルガリータ王女にそっくりなのだから、面白いものだ。16世紀から19世紀のドレスが好きで、家内の演奏会用ドレスもたくさん買ったものだ。だって、とにかく可愛いのだから。それに、私達はハプスブルク家がこよなく大好きであるってことだ。
 ムードリングの町は平坦だが、市庁舎の裏手を行くと徐々に上り坂になる。その後急に登りがきつくなり、目の前の丘の上に美しい教会が見えてくる。どうしたってそこまで行ってみたくなる衝動は抑えられない。
 町の中心の教会とは異なり、荘厳なつくりで、ひっそりと建っていた。入口の扉は大きく、5mはあろうかと思える大きな扉だ。どんな巨人が住んでいるんだ?と言いたい作りが多いのが欧州の建築の良さだ。その扉が少し開いている。私は吸い込まれるように中に入った。パイプオルガンの音が聞こえた。どうやら練習をしているらしい、何度もやり直しをしている。私は急にピアノを弾きたい衝動にかられたが、この国にいるとそうそう簡単には弾くところがない。ウィーンへ行くと、修理中のピアノを弾かせてくれるサロンがある。1時間500円でコンサート用グランドピアノが弾けるのだ。明日そこへ行こうと思って帰宅した。私にとっては1日分の生活費になってしまうが、仕方のないことだ。

 日本では学生のときは自転車通学をして、仕事をしていた時は車通勤をしていた。つまり、定期券を購入したことがない。私はムードリングにいるだけなら、ウィーンに行く必要がなかったが、刺激になればと楽友協会(ムジーク・フェライン)で声をかけた日本人のヴァイオリニストの真紀さんに月に一度だがヴァイオリンを習っていた。真紀さんは1つ年上で、姉のような存在だった。レッスン以外にも、一緒に飲みに行ったりしてくれたこともある。また、無料の外国人向けの語学学校を紹介され、毎日そこへ2時間ほどの授業へ行くことにした。そのため、1か月定期券を買うことになった。日本で定期を持ったことのない私が、初めて手にする定期券がオーストリアだとは思いもしなかった。
 以前お送りした「侮辱」のように、多国籍の人とのコミュニケーションは面白くもあり、難しいところもあった。大変良い経験をしたとお思う。残念ながらドイツ語はそれほど上手くはならなかった。まあ、それ程困っていないから、真面目に覚えてもいなかったし、圧倒的に単語力がなかったのだ。いまも聞き取ることは出来るが、単語が分からず、要するに何を言っているか分からない。意味ないじゃん!

 ムードリングの丘の上の教会から、辺りを見渡すと色々なものが見える。私の目はすぐにローマの水道橋を見つけた。これは行ってみるしかない。町はずれに眼鏡橋になっているレンガ造りのかなり背の高い水道橋があった。近づいてみるとローマ時代の形をしているだけで、結構新しい。近代に作られたものだ。後でマリアに聞いたが、実際に水を通して使っているとのこと。オーストリアはアルプスの天然水を、水道橋を使ってウィーンに引いている。その水道橋だとのこと。実際、アルプスの天然水だったため、水道水をそのまま飲んで一度もお腹を壊さなかったのはありがたかった。ミネラルウォーターは一度も買わなかった。少々石灰が入って白いのと、石灰の匂いが気になるが、それさえ我慢すれば、味的にはとてもおいしかった。
 水道橋へ行く道を歩いていると、一つ向こうの山頂に、円形の石の砦があるのが見えた。これは行ってみる以外にないじゃないですか!道が分からなかったが、見えている方向を目指して、適当に険しい山道を登って行った。木の幹にはリスがいて、こんなに近くでリスを見たのは初めてだった。
 山を登り終えると砦が良く見えた。昔は敵の監視などをしていたのではなかろうか?と思えるような作りで、風情があった。しかし、どうも生活感がある。おかしいなと思って周りを見ると、実際に人が住んでいるような気配がある。その後、夜に行くと電気が付いているのも確認出来た。面白いところに住んでいる人がいるものだ。だが、その場所は私のお気に入りとなり、週に何度も散歩するようになった。
 町の市庁舎へ行くと地図をもらえる。私は付近の地図を調べた。どうやらムードリングはそれなりに有名な観光地だったようだ。まったく知らずにすんでいた。まず、円形の塔も観光場所になっており、その山の下に降りると、ヨーロッパ最大の地底湖(ゼー・グロッテ)があることを知った。ゼー・グロッテは夏しか空いていないため、その時期は閉まっていた。その後、日本のゴールデンウィークに母と弟を一度呼び、一緒に観光をした。ドイツ語のガイドを私が適当に訳していたが、何となくわかった?と思う。地下にこんなに大きな湖が!と驚くほどの大きさで、船で渡るのも少々恐ろしいほどだった。何と言っても電気を消したら真っ暗だ。竜でも出てきそうな雰囲気だった。だが、水温はほぼ0度で生き物はいないと言っていたと思う。第2次大戦中は、ナチスの兵器庫につかわれていたそうだ。

 円形砦の先に、意外と散歩をしている人が多く、私は更に遠くへと歩いて行った。道は緩やかでとても気持ちが良かった。30分ほど歩くと、あたりが開けて大きな城が見えてきた時の興奮は忘れられない。本物の古城だ!その城はリヒテンシュタイン城と言って、オーストリアとスイスの間にあるとても小さな国、リヒテンシュタイン公国の持ち物だとのことだった。要するに昔の貴族がそのまま独立したのである。現在は観光と切手、スイスと同様の金融で儲けている国家だそうだ。その時はその存在も知らなかった。現在日本政府は、スイス銀行とリヒテンシュタイン銀行へ、日本人が個人口座を作ることを禁止している。当然、国家の命令も聞かず、顧客の情報を明かさない銀行だからだ。だから世界の金持ちが個人資産を預け、脱税をしているわけだ。その手数料で儲けているということは、後で分かったことだ。
 ブルグ・リヒテンシュタインは戦うための城であり、昔の戦争の傷跡も見えるほどリアルの古城だ。本物の剣や盾が飾ってあった。その少し先に近代的な城がある。いわゆる住むための城館だ。ドイツ語だとシュロース・リヒテンシュタインとなる。やはり、私はブルグ・リヒテンシュタインの方がお気に入り(マイネン・リブリング)だった。とても美しい景色(ヴゥンダ・シューン)で、ここにはしょっちゅう散歩に来た。また、ムードリングに行ける機会があれば、必ず行きたい場所の一つだ。新婚旅行のときは家内が体調を壊して行けなった。もう24年も行っていないな。
 次回は2週間後、バーデンと言って、温泉保養地がある。ウィーンとは逆に南に徒歩で4時間ほどのところだ。金のない私は、歩いてバーデンへ行った。そのことをお話ししようと思う。

 いつも読んでいただき、ありがとうございます。本日も皆さんにとって良い一日でありますよう、祈っております。

シンジ

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?