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「劇的なメリーを求む」2020.12.26

1日遅れのメリークリスマス!

ケーキは毎年ケーキ屋さんのツテがあり、貰えるので嬉しいのだが、その貰ったものを毎回写真に取らない。
サンタさんのメレンゲ菓子も無心でボリボリ食べた。ごめんねサンタさん。

それはそうと、季節感や行事ごとへの関心が一切ない家庭に育った私は、同じように全く関心がない人間へと成長を遂げた。

「寒い」「暑い」などの感覚が存在しなければ、ずっと同じ服を気回しているんだろうな。




今回のクリスマスも、服装や飾り付け、食べ物に至るまで何もしてない。(貰ったケーキは食べたが貰い物なのでノーカウント)思い返すと小学生の頃から変わらず、「いずれ早い段階で片付けるものを作っているんだな」と思いながら学校の行事でクリスマスツリーを飾り付けていた。

実際そうなるのは当たり前で、飾り付けることに何も楽しさを感じないからだ。好みでもないものを、義務としてやる流れ作業だと思ってしまう以上、道端の交通量調査員が車を数える心境となんら違いはない。



気になるのは、各個人でクリスマスという行事にどういうメリットや面白みを求めているのか?ということ。やっぱり人それぞれ楽しむ感覚は違うと思うが、どこに重きを置くかによって、これはするけどこれはしない。みたいな区分けがどんな行事にもされるだろう。
お正月でも、おせち食べないけどお雑煮は作るみたいな家あるよね。


私はと言うと、昔はもちろんプレゼントを貰うことに1番重きを置いていた。2番目に晩御飯。あとはなし、クリスマスツリーも飾らないので。
今はもうプレゼントを貰える歳ではないので(歳関係なく、サンタさんの意味がバレると即終了?)、自分用のプレゼントと晩御飯。パーティーなんかは参加しないようにしていたので、大人になってもするわけが無い。


というか思うのだが、パーティーの疎外感ってなんなんだろ?ぼーっとしてる時間の感覚があまりにも長くて、ずっと「帰りたいな〜」と思うが、人と話すのは楽しいので、会話に参加し、疲れたら端で休み、ぼーっとして、「帰りたいな〜」と思う。プレゼントの交換会もすこぶる苦手だったので、大人数の交換会は絶対に行かない人生にしていきたい。


でもやっぱり人によってはクリスマスの「パーティー感」や「家族・恋人との大切な思い出作り感」が重要なんだろうか。それだと、毎年同じようなことしてたら、どの年にどれがあったか分かりにくくなっちゃうくない?飾り付けとか、毎年同じようにしてたら記憶が混ざってダメじゃない?

「う〜ん!今年は壁をオレンジにしよう!そして去年ケーキはブッシュドノエルだったから、今年はタルトだし、後あれだな!来年のためにも、クリスマスツリーは今夜焼いとくか!新しい思い出作るぞ!」

こうでもしないと記憶には残らないよ。思い出云々を述べるのであれば、穏便なクリスマスであるな、劇的なクリスマスであれ。



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半年ほど前に行った中華料理屋に行きたかったのだが、全然違う中華料理屋に来てしまった。
絶対この辺だと思うんだが、まだ見つかってない。

時間もないしここでいいかと入ったのだが、中華料理屋の回る円テーブルに1人だけ座るのは、あまりいい気分じゃないな。

長ーいテーブルの先端で1人だけご飯を食べ、周りには目をつぶったメイドや執事がずらりと並ぶ、みんなが1番最初にイメージする王様の食卓気分。
食卓テーブルがデカければデカいほど、1人という侘しさは伝わる。

酸辣湯麺(サンラータンメン)。

よく食べるようにしているが、これはかなり美味しい。辛さと酸っぱさがまぜこぜになったとろみのあるスープを、細麺で絡めとりいっきにすすり上げるラーメン。
DNAが「これ知ってる〜めっちゃいい〜!」と言ってくれる、スープの安定した美味さがお気に入り。

最近のオシャレ中華料理屋には案外あるが、逆に店名が全て漢字の昔からある中華料理屋にはあまり置いてない。
ほうじ茶ラテと同じように、ジワジワと根付いていってほしい。

入口の近くにはチャイナのプロレスラーお面が。何故。

さよなら!

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