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ローカル百景

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地方を中心に文字で綴る100の景色。
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#コラム

16.長野市

気持ちが満ち足りているときには、ドブに埋まったゴミには目がいかない。文章も同じで、仕事の達成感に満ち満ちているときに物憂げで文学的な文章は書けない。 転職してから、世界を呪い殺したくなるような感情が消えた。同時に小説を読むことも書くこともほとんどしなくなった。 前向きな業務と物憂げな創作活動、どちらも同じ程度没頭できる人間がいるのだろうか。でも書きたい。週末作家になろう。

15.東京浅草

あらゆる名文学に登場する東京・浅草を歩いた。 東京のディープスポットである裏浅草にも寄ってみようかと思ったが、「ドヤと新地の女一人歩きは危険」という大阪時代の教訓を思い出して自粛した。 雷門やら仲見世通りやらも見る気がなかったので、文豪に関連するお店や文学の舞台をいくつか巡った。 そして向島まで歩き、池波正太郎の『鬼平犯科帳』に登場する言問団子を買って、また浅草に向かって戻る。裏浅草の怖いもの見たさを抱えながら歩いたのは否めない。 途中で池波正太郎記念館にも寄った。 池

14.長野のあんずの里

あんずの里へ散歩に出かけた。前方から下りてくる女性二人組が大きな声でしゃべくっていた。 可憐な花を見ながらなぜ愚痴をこぼす気分になれるのか、甚だ疑問だ。白い無垢な花を前にして薄汚い自分に辟易しないのか。美味しいご飯を食べながら人の悪口を言うのと同じように、自分自身への裏切りを感じはしないのか。 高級ホテルのラウンジで汚い言葉を吐く気にはそうなれないだろう。愚痴をこぼすならチェーンの大衆居酒屋で。愚痴を言わないよう口をつぐむ必要もないだろうが、かわりに場所を選ぶ。それが三流

13.午前2時半の寝床

夢路が通行止めにされた。 うっすらした意識で再び戻ろうとじれったく寝返りを打つが、張った糸のような田舎の静寂に聴覚が醒める。枕と頭に潰された耳から出る奇妙な音から逃れようと、もう一度仰向けになる。それでも耳だけがごうごうとうるさい。誰かが寝返りを打ち床が軋む音やいびきすら無い。 「目覚めた時に何の音が耳に入ってくるか」は贅沢ながらも結構重要な問題だ。 漁港の古びた民宿で聞く早朝の波音には、穏やかながらもちゃんと起こしてくれるような包容力がある。旅館だと高層だったり防音窓