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手放してみた毎日投稿

noteの毎日投稿。
正直言って、楽じゃない。
誰に頼まれたわけでもないのに、書いたところで何か外的な報酬が得られるわけでもないのに

自分で決めた目標を達成できる自分が、うれしくて。

ここでは再三書いている通りで
私は「三日坊主にすらなれない奴」だった。

最初は仲間の誘いで初めてみた毎日投稿。
最初こそ「内容のあるものを書かねば」と必死だったけれど
だんだん、目を瞑っても書けるようになっていた。

というのも
私はこの場所を、「自分の文章力のため」には
全く使っていないから。

毎晩書く夜の日記のようなもので
頭から降りてきた文をそのまま指に下ろして
今日もキーボードの上を、7指が踊っている。
(完全に余談だが、
私はパソコンのタイピングをする時、左手は5本指を使うが、
右手は人差し指と中指しか使っていない。
エンターキーだけはなぜか薬指。
どうした、親指と小指。
直した方が早く打てるのだろうなとは思いつつ、学生時代からこのタイピング方なので、今更直す方が難しいのである。)

…とまあ、こんな感じで簡単に脱線する。
なにしろ、構成を考えて書き始めていないのである。おいおい。

昨日、ライティングのワークショップを受けた際に、
「エッセイは一番伝えたいことから書く。なんなら、最後の章から書き始めてもいい」と聞き、どきり。

と思いながら今までの記事をざっと見直してみると、案外その約束だけは守れていることが多い気がした(内容の良さはさておき、だけどね。)

私にとってnoteは、頭の深呼吸。絵は心の深呼吸。

そんな大事な深呼吸を、なぜ手放すことにしたのか????

理由はたった一つ。
「書く時間が取れないことがストレスになってきたから」である。

たった数文字、なんなら1文字であっても、
「投稿」の緑のボタンさえ押してしまえば、
「〇〇日目です!」とnoteが賞賛してくれる。

毎日投稿を開始した時と比べて、「やりたいこと」がたくさん増えた。
その中で、ゆっくり腰を据えて、自分のためだけに長文を書くことが難しくなってきていた。
その場の思いつきの「つぶやき」を重ねれば重ねるほど、
「書けていない自分」がどんどん心にのしかかってくるようになった。
書きたいことはあるのに。
どんどん日にちだけが通り過ぎて、書けないことだけが溜まっていく。
苦しくなってしまった。
少し吸って少し吐く、それを繰り返してしまう。まるで過呼吸になった気分。
私は、深呼吸したくて、noteを書いているのに。


もちろん、最初のうちは、その数字が増えていくのが嬉しかった。
そんな気持ちになったのは、実は初めて。

昔から、双六やシール貼りは好きじゃない子どもだった。
仮想の世界のゴールに、適当な数字で辿り着くこと、
その勝敗になんの意味があるのだろうと思う、可愛くない子ども時代。
シールに関しては、貼ってしまった瞬間そのシールが「死んでしまった」ように感じて、貼らずにケースに入れてとっておきたい方だった。(ちなみにこれは今でもそうである。流石に「死んでしまった」とまでは思わなくなったけれど、「貼ってしまったら元には戻せない、取り返しはつかない」とは思っている)

そんな私も、自分の努力で増えていく数字のことは、嬉しい気持ちで眺めていた。

大事な仲間と一緒に文章を綴っていくのも楽しかった。
これは今でもそう。毎日じゃなくたって、大事な人の書いた文をその都度読めるのは幸せだと、そう思う。

実は数ヶ月前、投稿が150日に差し掛かるころ、コーチングで悩みを打ち明けていた。
「このままnoteの毎日投稿を続けるのかどうか。」

コーチが私の話を丁寧に聞き取ってくださり、
「私にとっての連続投稿は、それ自体が目的なのではなくて
書くことによって深呼吸をする、そのための手段になっている」
と気がついた。

もちろん、どんな形であったって、連続投稿をすることはすごい。
「せっかく200日までできたんだから、あと156日頑張りなよ自分!」とも思った。

でも、やめた。

「連続」投稿をやめた。

「あと156日」と考えることは
私にとってのnoteが手段でなく目的にすり替わっていると気がついたから。

連続投稿を途切れさせた日
実は、23:59までずっと
投稿画面を開いていた。
「今ここで、数文字でも何かを書けば、私の連続投稿は途切れない。」
「ここまで頑張ってきたのに、いいの?」
「継続できる私になりたいんじゃなかったの?」
そんなふうに自問自答を繰り返していた。

継続の数字が増えれば増えるほど
止めるのが難しくなる、ということも知った。
ああ、私は本当はこれが怖かったのかもしれない。
いつかやめたくなった時に、「やめたくない自分」と喧嘩をしそうだな、って。

でもやめた。

これでよかったのかはわからないけど
少なくとも私の心は軽い。久しぶりの「手放し」だ。

自分で決めて始めたことだから、
自分で決めてやめていい。

やめたからって、二度と再開しちゃいけないなんて
そんなルールはない。

続けることもすごい、
でも、止めることも、本当はすごいのかもしれないね。

そんな気づきを得たここ三日間でした。

これからも、
深呼吸しに、ここに来ます。
またすぐお会いしましょうね。




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