門脇研の環境と文化-思考と実践について-[KKL2023 研究室会議レポート]
どうも。M2 久保川です。恐らく、はじめてのnote担当です。
今回は思考プロセスと実践力について、環境と文化の側面から分析します。
0 はじめに
僕は大学院から門脇研に所属している身ですが、時間の流れは早く、残りの学生生活も8カ月程度。所属初日に、「大学院の2年なんてあっという間だから、積極的に遊んで学んでいきたい」と言ったのを思い出しつつ、間違ってなかったなぁと。
さて、門脇研に所属して1年以上経過しましたが、この「note担当」、発端とか狙いとか、正直全く理解してません。毎週システム的に誰かが指定され、その誰かがそれなりに何かを書くわけですが、本来はもっと自由だったり、具体的な狙いを持っていたり、何かの追求の末にシステムとして成立したのではないだろうか。その日の会議で感じたことを書くのも大切だろうけど、外に発信する意味まで考えると現状には少し物足りなさを感じたりもする。時には変わった記事があった方が面白い。
そんなことを思いつつ、本来なら前に習って、研究室会議の内容を緩くレポートするべきなんでしょうが、半ば強制的にただ緩く書いてもそこに意義を見出せないので、どうせ書くなら個人のことよりも集団としての門脇研を、もしくはその性格的な面を言語化することで、外部に発信する上でも意義のあるものになればと。SNSが普及している今、写真でも短い文章でもなく、章を追って全体を構成できる「note」の特性を活かした発信として書いてみます。
門脇研を気になっている人の参考にでもなれば。
では、よろしくお願いします。
1 . 門脇研に所属したことで見えてきたもの
門脇研は今年で11年目を迎えたそうですが、あらゆる面でこれまでの先輩方のアイデアや独自のルールの蓄積を感じます。そしてそれらを越えようと、さらに良くしようと学生が自発的に活動しているところが研究室の魅力であり、文化であると感じています。
一見無駄な物や事の作成を、全力で取り組むことは面白いですし、その経験は自身に蓄積されていきます。先輩方が残してくれたものは、自分たちを介して、少しづつ形を変えながら後輩達へと還元されていく。そのようなサイクルが行動として、思想として、根付いていることが、この研究室の財産の1つであると思っています。
”先輩から自分たちを介して後輩へ”
とても聞こえは良いですが、このシステムはDNA的な連続性を持つので、どこかの代が雑にこなすと、連鎖的に弱いものになっていきます。だからこそ我々は常に面白い方向を目指すべきだし、私情を排除した議論を徹底すべきと僕は思ってます。これまでたくさんの物を作ってきた門脇研ですが、結果的に出来上がった物だけでなく、その過程プロセスにも価値を見出せるのが共通の良い面であり、そのような経験を語れるのは、徹底した議論が行われたときのみであると感じます。
2 . 点と点を繋ぐ場
門脇研はゼミを研究室会議と呼び、議論することに重みを置いてます。議論が起きる時は案が熟すタイミングとも捉えれるほど重要な場面なのですが、これが中々起きそうで起きないのが実際の所です。
では、どのようなとき議論が起きるか。
僕は大きく2つあると思ってます。
①他者と共有可能か
例えば、門脇研の卒計は個人の興味から出発し、徐々に建築へと落としていきます。この「個人の興味」の初期設定が後々の提案としての飛距離として絡んでくるわけですが、
”何を、どの視点で見ると、どう語れるか”
建築につなげる以前に、個人の興味を世界(他人)と共有可能な事象/言語に落とす必要がある。他者と共有が出来ていないもの、つまり完全に主観的なもので、自分視点の話ばかりされても、聞いてる側としてはとてもつまらないし、議論として展開しにくいと思います。個人の興味の中に潜んでいる外部との接点に気付いた上での発表は、厚みがあるので議論に展開しやすいと感じています。
②展望が見えるか
これは全体的に弱い点であると感じる部分です。発散的なリサーチや実験結果を羅列した上で、自身の考察や展望を述べずに投げやりな状態で先生や先輩を頼っちゃう人が多い。得た情報をもとに、何が考えられるか。小結的に記述していく姿勢が大切で、結果が正しいかどうかは置いておいて、考えることに意味があると思います。情報だけ並べられても「それで?」となる。何がしたいかの展望がない限り、聞いている側からも言えることが少なくなる。故に議論まで展開しにくい。
あなたの提案なのだから、あなたがどうしたいかをしっかり述べなさいよ
とツッコミたくなることもしばしばあります。
①も②も言葉としてはとても単純だけど、実行しようとすると、中々難しいです。研究室会議でこのクオリティで持ってくれば文句無しですが、実際難しい。
”1人が難しいなら他人と会話すればいい”
議論が起こる場は必ずしも研究室会議のときだけではないと思ってます。ラフに会話する中で思いつきのように生まれた単語や概念が本質的なことであったりするし、そもそも、よく分かんないような話を好きな人が、この研究室にはとても多いです。恐らく社会一般的に"ちょっと変"な人が多い。そんな人たちとの会話は点と点が繋がるきっかけとして十分なポテンシャルがあると思ってます。
後輩は先輩にどんどん話かければいいし、先輩は自分が受けた恩恵を後輩に還元すればいい。ただそれだけです。
研究室会議や日常的な会話、これらは、自身の知識の中の点と点を結び付けてくれたり、自身の知識の点と未知なものの点を結び付けてくれたりする。会話をきっかけとした新たな発見が日常的に発生し、それらが集積して知見が増えていく。そのような点と点を繋ぐ場が環境として門脇研には整っていると感じます。
3 発見から実践へ
”やってみる”
基本的に先生も、この精神を尊重してくれている気がします。
分からないなりに、1回もがいてみる。
分からないものを分からないと切り捨て続けても面白いものは生まれないし、新たな発見さえ少ない。身を投じる勇気みたいなものはマインドとして、もしくは他人からの影響として得やすいのかなと思います。
”発見と実践の反復”
分からないなりに行動を起こして、実際にプラスに還元されてる例をこの半年だけでも多く目にしました。
分からないなりに行動に起こして、一旦やってみること。
実践力みたいなものもこの研究室の特徴の1つであるなと最近感じました。
結局「実践してみない限り分からないこと」は、めちゃくちゃたくさんあると思っていますし、僕を含め99%の人は別に天才じゃないので、とにかくやっちゃえばいいんです。我々は、一見無駄であるような事を全力でやった結果、何か発見を得ることだったり、その経験そのものが振り返ると面白いと、様々なプロジェクトや遊びを通して経験してきました。これからもそのようなマインドは持ち続けたいと思っています。
4 これから
研究室が持つ文化や環境の視点から、門脇研を言語化しようと試みましたが、簡単に語りきらないのが門脇研です。(多分)
僕が気付いてないであろう点もたくさんありますが、たった1年の所属でも、得たものはたくさんあります。未だに外形を捉え切れていないのが正直な話ですが、それすらも面白いと思ってます。
11年目が折り返しなのか、序章なのか、最終章に向かっているのか、そんなことは誰にも分かりませんが、いつまでも面白いものを求めたアップデートを繰り返してほしいなと。現状のシステムに縛られず、結果と現状に慢心しない前衛的な姿勢を継続してほしいなと。
最後に自分のことも踏まえて...
長かった学生も間もなく終わりを迎えて、これから社会に出る身ですが、研究室で求められる「議論」や「実践」は、社会の中でも同様に求められるものであるなと感じてます。縮図とまでは言いませんが、研究室と社会の中間のような環境を門脇研は持ってると思います。
修士論文が控えてたりしますが、GDZ(他大学との合同ゼミ)のようなプロジェクトにも参加しながら、充実した残りの学生生活にできればと思います。
2023.07.19 久保川 優
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