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愛すべき赤の他人たち


元来、多数の人間に何かをおすすめするのは得意ではない。反応をもらえないから。私は、私の知らないうちに、様々な評価やイメージが付けられてしまうのが怖い。ではここでは何を書こうか。うーん...


となって、ただ最近の頭の中を書くことにした。コンテンツはなんでもいいということで...。正直、他の研究員の文の方がよっぽど身のためになると思うので、ここで何か吸収しようという高い意欲の持ち主はぜひ別の記事へ。



最近作業環境を変え、いま、私のpcの先には大きな窓がある。その向こうには庭、道路、桜の借景。最高だ。こういう時期だから散歩やランニング、親子で公園に向かう姿もよく見かける。行き交う見知らぬ人達を眺めつつ、その関係や会話を想像するのが最近は楽しい。今日は、シミラールックを着て歩く親子をみた。2人ともTシャツを着て赤いロングのフレアスカートをはいて、それを風になびかせながら歩いていた。とても素敵にヴィヴィッドな赤は、緑と灰色と薄青の世界の中、目を引く。そうか、今日は風が強いんだなあと、2人のスカートをみながら知った。



街に出られなくて一番辛いのは、想像の余白のある出来事に触れにくくなっている点だ。いつもなら無意識に遭遇する赤の他人たちと会えない。電車でスマホを開きニヤつくサラリーマン、愛娘の写真でも眺めているのかなあとか、4人の子供を連れて歩くお母さんの怒号を聞いて、きっと家のリビングははちゃめちゃだろうなあとか、そういうことを考えていたいのに。私の中で、そういう人間の生活や行いを考えることは、建築を考えることと密接に繋がっている。これは色々に接続できる話なのだけど、今回は2点に絞ることにする。


まず1つ目は、想像力について。建物は当然だけど、出来上がるまでは全貌は誰にも体験できない。もちろん作り手にも。だからパースや動画を使って、まだ見ぬ空間を把握しようとする。この過程において想像力はとても大事だ。見かけた人間からその人を取り巻くさまざな空間を組み立て、頭の中でその中に入り込む。この行為ではCG動画を見るように、ヴァーチャルな世界を体感している。フィルターをかけてしまうことがあるので、普段は知り合いではなく他人について考えるくらいがちょうどいい。想像力がつくし、空間把握能力が上がるし、いいことづくめ。ただ、あくまで趣味としてやっているのであって、勉強として始めたわけではないことは注記しておく。

2つ目。行動心理について。これは駅や道を見ていて思うのだけれど、違う場所でみる全然違う人たちなのに、みんな一定の条件下では同じような行動をする。一つのオブジェクトから色々な行動の可能性を見出している状況もある。これはアフォーダンスとか行動セッティング論とかに絡む話で、1950年ごろには語られていた。(門脇先生には、手垢のついた理論だと諭されました...その通りです。)しかし、70年近く経ってからも人間の行動生態は大して変わっていないというのもまた面白いものだなと思う。空間構成だけでなく心理学や社会学とも近いので、興味対象としてみている。



というわけで、話が飛躍したような気もするけれど。考えることをくれる赤の他人たち、いつもありがとう。おしまい。






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