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過去の鷹戦士を振り返る 第3回 〜鉄壁救援陣を支えた仕事人 金澤健人〜

常勝チームには強力な救援陣が必要不可欠です。2022シーズンのオリックスも暴力的な救援陣を擁し尽くピンチの芽を摘んでいきました。
2010年代ホークスもSBM呼ばれる強固な救援陣を結成していましたが、その中でも渋い活躍を見せたベテラン右腕がいました。今回は燻銀の活躍でブルペンを支えた選手を取り上げます。

プロフィール

本名 金澤 健人(かなざわ たけひと)

出身 茨城県 北茨城市

球歴
   茨城県立磯原高等学校
   NTT関東
   阪神タイガース
   北海道日本ハムファイターズ
   オリックスバファローズ
   福岡ソフトバンクホークス

主なタイトル なし


阪神時代 1999-2006


阪神時代の金澤

登板数(先発)/勝-敗/セーブ/ホールド/イニング/防御率/K/BB/WHIP
1999:登板なし
2000:登板なし
2001:12G/0-0/0/0/13.0回/6.92/0.75/2.31
2002:50G(1)/5-4/1/0/68.2回/4.33/2.36/1.31
2003:36G/0-1/0/0/55.2回/2.75/4.4/1.04
2004:23G/1-1/0/0/43.1回/3.53/3.23/1.20
2005:登板なし
2006:25G/3-1/0/4/26.1回/4.78/3.5/1.52

県立磯原高校からNTT関東に入社。入社1年目でNTT関東野球部が廃部になるなど、いきなり選手生命の危機に立たされるが、特例措置によって1年目からドラフト対象となる。当時存在していた逆指名制度によって阪神を逆指名し、ドラフト2位で入団。
入団3年目の2001年にデビューを果たすと、翌2002年に50試合に登板、2003年は主に敗戦処理として36試合で防御率2点台と活躍しチームの優勝に貢献。しかし2005年に肘を故障すると同年は登板なし、2006年も25試合に登板するも成績は振るわず、一発屋として終わるかと思われたが2007年開幕前に本当の一発屋である正田樹とのトレードで日本ハムに移籍した。

日ハム時代 2007-2008


日ハム時代の金澤

登板数(先発)/勝-敗/セーブ/ホールド/イニング/防御率/K/BB/WHIP
2007:10G(2)/1-1/0/1/22.1回/8.46/0.75/1.75
2008:4G(3)/0-1/0/0/18.0回/6.00/1.14/1.67

日ハム移籍後は先発転向するも、ピッチングスタイルがスライダーとシュートの2球種を軸としており、球種が少ないことからイニングを食えず、故障もあり僅かに2年間で14試合の登板に終わると2007年オフに戦力外通告。

オリックス時代 2009-2010途


オリックス時代 共にテスト入団した高波文一と

登板数(先発)/勝-敗/セーブ/ホールド/イニング/防御率/K/BB/WHIP
2009:5G/0-0/0/0/7.2回/4.70/1.66/1.70

戦力外後にオリックスの入団試験を受け晴れて合格するが、1年目は登板は5登板のみと期待に応えることはできず、延命した2010年シーズンも開幕から出番はなく、このまま日ハム時代と同様に戦力外の憂き目を見るかと思われたその矢先、2回目のトレードが金澤の運命を変えることとなった。

ホークス時代 2010途-2013


入団会見で秋山監督と

登板数(先発)/勝-敗/セーブ/ホールド/イニング/防御率/K/BB/WHIP
2010:38G/1-1/0/1/46.2回/2.89/1.67/1.24
2011:53G/1-1/16/3/43.1回/1.66/2.5/0.99
2012:49G/1-0/0/7/44.1回/2.44/2.0/1.13
2013:27G/2-0/1/3/23.0回/3.13/1.0/1.35

2010年4月30日に金子圭輔荒金久雄との2対1トレードが成立。
当時伸び悩んでいた荒金と俊足非力タイプのショートという同じタイプであぶれていた金子の2人を放出して取ったのが金澤かー、うーんというのが素直な感想。日ハム時代ろくに可動していなかったのは何故か知っていたので誰得なトレードなんだと当時は思っていた。(後日獲得する新外国人のダービンの枠を空けるためったという噂があるとかないとか)
ところが5月末に一軍に登録されると、淡々と与えられた役割をこなし9月には3年ぶりの勝利も記録。
敗戦処理(阪神時代の定位置)からロングリリーフ、SBMに繋ぐためのショートリリーフからワンポイントと終わってみれば38試合に登板し防御率2点台の好成績を残した。(本命のダービンは人知れず戦力外に)

2011年は攝津正の先発転向、共にブルペンを支えていた甲藤啓介の故障によって登板機会が増加。自己最多の53試合防御率1点台とキャリアハイの成績を残した。この年は重要な場面でのリリーフだけでなく、馬原孝浩ファルケンボーグ不在時に抑えを努めるなどベテランらしく無難に抑えた。

2012年は前年ほどの安定感はなく、セットアッパーからは外れたものの、主にショートリリーフで渋い活躍をみせ、49試合に登板。

2013年は腰の怪我などもあり、登板数はホークス移籍後最小の27試合、防御率も3点台と今までの金澤からしたら物足りない数字ではあったが、中継ぎとしては十分な活躍、、、のはずだったがホークスフロントはここで金澤を戦力外に。
シーズン終盤に痛めた腰の状態や翌シーズンに35歳となる年齢を考慮したためと考えられるが、普通であれば切られない成績であり、どこかの球団が獲得すると思われたが、12球団合同トライアウトの末獲得を既往する球団は現れず、引退、打撃投手に転向することとなった。

その後はスコアラーを経て昨年からはピッチング動作解析部門の担当となった。


プレースタイル

セットポジションから短いテイクバックでコーナーを突いていくピチングスタイル。主な球種は140キロ台のストレートとスライダー、シュートであり、コントロールは抜群ではないものの、丁寧に投げ込んでいくスタイル。
色々なシチュエーションで起用される便利屋的なポジションであり、ホークス時代は主にセットアッパー、ショートリリーフとして活躍した


感想のようなもの

正直トレードできた時はあまり期待されていなかったというか、期待していたファンの方が少なかったと思います(失礼)。
それでもあの時代にSBMがフル稼働できたのは、先発陣が思い切って投げることができたのは金澤のような便利屋的な投手がブルペンにいたからだと思います。
決して派手な活躍はなかったものの、常勝チームにはなくてはならない存在。

今回はこちらで締めようと思います。

それでは次の更新にて


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