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ミドルパチンカーシンガ誕生

   これはミドルパチンカーシンガの誕生秘話の記事です。
どのように一人のミドルパチンカーが生まれたのかご覧ください。

1、ミドルにさわるきっかけ
2パチの甘デジで高い勝率を作れるようになった私はふと思いました。
甘デジ2パチ6000円(約180回転)と1パチミドル6000円分(約300回転)どちらが期待値が高いのか。
その考えを実証しようと300回転までミドルやライトミドルを打つようになりました。

2、200回転勝負
打ち続けているうちに最も期待値が高いのは打ちはじめてから200回転まで追いかけることだと分かり、かなりの長い間この立ち回りを行い時には4パチ勝負(最高1台13000円)もするようになります。
20連3回の戦法もこの時期には発見し、実行しています。


3、シンフォギアブーム到来
そんな途中に、シンフォギアが登場し、みんな最終決戦に夢中になります。私は一種二種混合機(直Vタイプのこと)が苦手だったためブームにはすぐに乗らなかったです。
ブームすぐには手を出さなかったが増台の流れで打ち、あのときは、特殊状態でもあったのか最終決戦突破率が高かったです。
シンフォギアはやたらオスイチも多く、シンフォギアタイプに好印象を持ちます。

4、麻雀物語役満乱舞のドラム大戦との出会い
シンフォギアで一種二種混合機の評価が変わり、その後に出るまどかなども打ったが、シンフォギアを越えた台は、麻雀物語役満乱舞のドラム大戦のみです。
この台は、1変動ごとにドキドキ出来、振り分け突破したときの喜び、楓降臨当たりで麻雀GP直行したときは平均6連が当たり前の期待値でした。
パチンコで負けていても、シンフォギアと麻雀ドラムは、4パチで逆転出来るいざとというとき何度も助けられました。(この時の収支データが紛失したのは残念です。)
この時期の最高貢献メーカーは、当然平和(アムテックス含む)です。

5、絶対的な台の不在
シンフォギアも麻雀ドラムもだいぶ年月が立ち台の鮮度が下がって来た頃、4パチでも信頼できる機種(今ならモモキュンソード)は見つからず、勝率の底上げが必要になってきます。
絶対的な台がなくなったことで、レートも0.2パチをメインにし、今まで以上に早当たりにこだわるようになります。


3、最後に
甘デジの好調からミドルに手を出して行き、シンフォギアタイプが得意になり、がむしゃらでも成果を出せる時期でした。
ここから先は、演出読みにひたすら励んで行きます。

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