クリスマスの朝にあげるような記事じゃない。
クリスマスの朝にあげるような記事じゃない。
アカウントつくって5年は放置してたnote。
もっと軽い、笑えるようなの書いてくつもりだったんです。
最近自分は、自己評価が恐ろしく低いのかもと気が付いて、日本語ロックのアーティストが好きなのがなんか、納得がいった。
日本語ロックはずいぶん前から私を、私の代わりに肯定してくれる存在だった。
2年ぶりにイシバシさんと会った。
イシバシさんは私より10個くらい年齢が上の人だけど、しばらく話した後で私のこと、「自分と似ている」って言っていた。
そう感じていただいたのはなんとなく、私の方も分かるような気がした。
「かっきーは自分に対していつも減点方式なんだね」と。
自分に何点とかつけてたつもりなかったから、はじめはピンとこなかったけど。
「できなかった」「よくなかった」「間違いだった」
思えば私は習性なのか自分の行いを常にマイナスし続けている。
わざわざ何年も前の記憶をさかのぼったりまでして。
それに気が付いた時の私は、加点方式で自分のことを見てあげる、認めてあげるなんてやり方があったんだってたぶん、驚いていた。
(いやでも当たり前のことすぎて、ほんとに知らなかったの、気づいてなかったのって、感覚もある)
そのすぐ後に、気持ちが落ちちゃうことあったから、加点方式というのを試してみようと思った。
加点方式のコツは、自分の中に親友みたいな存在を、作り出すこと。
親友の立場ならその時私に、どんな言葉をかけてあげたいか、そういうふうに自分自身と向き合ってみるのだと。
イシバシさんが教えてくれた通り、やってみようとしたんです。
でも、できなかった。
頭の中ごちゃごちゃんなって、何か単語を捕まえようとしているうちに、さっさと飲まれて見失って。
27年生きてきて、私は私を認めてあげる言葉が何にも、出てこなかった。
かなしいけどそれはきっと私のこれまでのせい。仕方ない。
イシバシさんは、このままを続けていたらいずれあんまりよくない結果を生むかもしれないというようなこともあえて言ってくださいましたね。
でもごめんなさい。
そんなことが起きちゃうまで、私はしばらくやり方を変えられないのかもしれないです。
意固地になりたいわけじゃなくて。本当に、難しかったから。
あー。やっぱ既にしんどくなってきてるみたい。
身近な人に少しずつ、甘えていけるようにしたい。
でも、今の私を認めてくださいなんて欲、果たしてどこまでが健全か、わからなくなっている。
これからはちゃんと頑張るから、なんて言ってね。
考えすぎかな。
だからまた、大森靖子を聴いている。
彼女の歌はいつだって、誰かへの愛に溢れている。私のこと、受けいれてくれてる気がする。
自分の命を燃やすように、人に捧げているみたいで、美しいと思う。
自己犠牲の精神とも違う。
仕事で誰かの役に立ちたい。あの人のため。みんなのため。
そんなこと言いながら、他人と関わるということに相当の覚悟を持ってやってる人がどれだけいるんだろう。
人が生きてるってあなたも私も今日までだって、全然簡単じゃなかったじゃんね。
自分を愛せない人に他人は愛せない?愛してももらえない?
他人に愛してもらってない自分のことなんか、愛していける?
わっかんねーって感じだけど。
わっかんねーからもうどっちだっていいよって感じだけど。
彼女のように、本物を表そうとする人たちのおかげで、私はこれまで何度も何度も、まだ大丈夫って、人の中で生きていきたいと、思えてるんです。
私ね。
喫茶店で目の前のあなたに珈琲を一杯、淹れる仕事も一緒なんだって、思ってるよ。
この仕事が本当に大好き。
珈琲じゃなくたっていいんだけどね。
あなたの知らないあなたのことも、私が代わりに認めてあげてたい。
そう思ってるんだけど、みんなはどう。
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