働くために生きるのか、生きるために働くのか

働くために生きるのか、生きるために働くのか

「手段の目的化」
これは人間が陥りやすい罠である。
人々は、生きていくうちに
いつのまにやら、
大事なことを忘れてしまう。

習慣が人を作る。
そして、
いつの間にか、
人の方が習慣に支配されていく。

考えることをやめた時、その瞬間から腐敗は始まる。
それは、自然の摂理であり、宇宙の法則。

なんのために生きていくのか、

それを常に、
問い続けなくてはならない。

必要なものは、本当は多くはない。
必要なものが増えすぎた。

便利だから、快適だから、不安だから。
だから、なんだ?

我々は、
起きて、寝て、食って死ぬだけの
家畜ではない。

仕事のために生きているのならば
死んだほうがましだ。

本当に欲しいものを慎重に見極めなければならない。
必要そうなものは、
本当たいして必要じゃないことに気づくべきだ。

心から望むもの、
ワクワクすることだけが本当に必要なものだ。

人生の効率をあげるには、
ルーティーンが必要だ。
しかし、
一定期間がすぎた後は破壊しなければならない。

水は滞留すると濁るのだ。
破壊を恐れていては、
創造が生まれることはない。


清流のように、
クリアな状態でいるためには、
流れ続けなければならない。
動き続けなければならない。
否定し続けなければならない。
それには大きなリスクも伴うだろう。

恐れていては、
何も成し遂げられない。
恐怖ということは幻想にすぎない。
失うことが怖いだけだ。

しかし、
本当は最初から我々は何も持っていないことに
気づくべきだ。

そんなものは、
初めからない。

自分は動き続けているか?
限界に挑み続けているか?
過去(思い込み)にとらわれていないか?
未来(理想)に縛られていないか?
明日死んだとしても後悔はないのか?
なんのために生きているのか?

一生、問い続けなければならない。

それが本当に生きるということなのだから。

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