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片耳難聴だけど困ってはないし、両耳聞こえたいとも思ってない理由

私は幼い頃から右耳が全く聞こえない片耳難聴者だ。
あるとき、
「もしかしたら骨伝導で聞こえるようにする手術とかしたら
聞こえるようになるかもしれないらしいよ?」
と、親に言われた事がある。

私は悩む間もなく
「ふーん。でもいいよ。このままでいい。」
と答えた。


たしかに片耳難聴というのは不便ではある。
が、いまの生活に困ってはいない。
「困る」というのは私の感覚では
”なんだかどうしようもなくて、悩ましい(けど解決法はわかってはいる)”というもの。
なんだろう、例えば…
数学の問題がどうしても解けない!とか
髪の毛が邪魔で気が散る!とか
お金がない!とか。

そういう思いは、片耳難聴でしたことがない。
というか、
”なんだかどうしようもない”ので”努力をしてみる”が”それでも無理だったものは諦めまーす”
の流れが片耳人生の中で出来ている。
要するに、何か行動を起こせば困難は解決されるのでは!というような欲求や期待をしていないので
別に「困る」という感情までに至らないのだ。
さっきの例で言えば、
数学の問題は解き方があるのだから先生に聞けばいいし
髪の毛はゴムで結べばいいし
お金は働くか一時的に借りるとかすればいい。
その解決法を行うまでに、一時的に「困った!」という感情が生まれる。
逆に解決法があるのかさえもわからなければ「さてどうしようかな?」とか
「無理かもしれない諦めよう」という感情(考え)が生まれる。
ほら例えば、「自分、冷蔵庫になりたいっす!」とかに置き換えてみればわかりやすいだろう。極端だけども。


話がそれたが、片耳難聴である私はこの二つの考えがある種の行動の軸になっている。
どうしたら聞こえやすくなる?または、ある程度聞こえないのはもう仕方ないな!という二つだ。

世の中は両耳健聴が多いのだから、それに合わせて物事が作られている。
そこで「聞こえづらいよ~、コミュニケーション取りづらいよ~」って嘆いたってどうしようもない。
そりゃそうなのだ。だってみんな聞こえるのが普通なのだから。
だから工夫するか諦めるしかない。
工夫するならば、自分の聞こえる立ち位置をキープしたり、人より集中して聞くようにしたり。
それでも聞こえなかったら愛想笑いや適当な相づちでどうにかやり過ごす。

片耳難聴は解決法がない。(私の場合は補聴器も使えない片耳難聴なので)
自分で生きて行く上で過ごしやすいように付き合い方を作っていくしかないのだ。
聞こえなくて寂しい思いはしたことがあるけど、それは「困る」ではない。
結果でそういう感情になっているだけ。
「聞こえないから、寂しい」のであって「聞こえないから、困る」というものではないのだ。


むしろ私からしたら、突然両耳聞こえるようになる方が困る。
それは、今まで片耳難聴と付き合って築いてきた生き方や身体バランスがあるのに
それを全てとっぱらうなんて、怖い。
両耳健聴は魅力的だが、今ではそんなリスクを背負ってまでなろうとは思えない。
これが普通でこれが当たり前の人生なのだ。
幸いにも両耳が聞こえるという味を占めていないので、片耳聞こえるだけで
私には本当に本当に十分なのである。
世の中は両耳人生の皆さんがほとんどなので私には少しギャップがあるが
それを埋める努力や発見は楽しいし、片耳人生を結構エンジョイしているつもりなのだ。


#片耳難聴 #難聴


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