業績報酬を取り戻すクローバック

▼ 業績報酬を取り戻すクローバック

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ビズサプリの久保です。

企業買収に成功することもあれば、失敗することもあります。失敗を怖れていたら攻めの経営はできません。しかし、買収後の経営が当初の見込みどおり進まず、巨額の減損損失に見舞われることもあるでしょう。このような場合、経営者に責任を取ってもらうことになりますが、すでに支払った役員報酬を返してもらうということも考えられます。
今回は、役員報酬のクローバック条項について考えてみたいと思います。

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■ 1.株主によるクローバック条項の提案

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上場会社の今年6月の株主総会では、株主提案が54社となり過去最高になりました。その中で武田薬品工業では「クローバック条項」導入についての株主提案に、過半の52%の賛成票が集まりました。
約6兆2000億円を投じたアイルランド製薬大手シャイアーの買収が過大投資ではないか、ウェバー社長の2018年度の役員報酬17億5800万円(前年比44%増)は過大ではないか、という株主の懸念から、このような結果となったものと考えられます。
これは定款変更を求める株主提案だったことから、出席株主の3分の2以上の賛成が得られず否決されました。しかし、その後同社は、社内規程を改訂して同条項を導入する方向で検討すると発表していますので、結果として株主側の意向が反映することになりました。

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■ 2.クローバックとは

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クローバックというのは、そもそも何でしょうか。クロー(claw)というのは鳥獣の爪のことで、「爪で引っ掻くように力づくで取り戻す」という意味合いがあるようです。一定の条件の下で、一旦支払った役員報酬を取り戻す条項をクローバック条項と呼びます。
役員に対する業績連動報酬は、決算数値や株価などを基礎にして算定されます。仮に、過大な投資による減損損失や巨額粉飾決算などが発覚したとしたら、これらの数値が本来あるべき算定基礎ではなかったことが判明します。定款や社内規程にクローバック条項を入れておけば、一旦支払った役員報酬を取り戻すことができるという訳です。

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■ 3.米国のクローバック制度

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米国では、ほとんどの上場会社が自主的にクローバック条項を導入しています。これは特にリーマンショックの後、金融会社を中心に広がりました。日本でも、野村ホールディングス、みずほフィナンシャルグループ、日本板硝子、ヤマハ、コニカミノルタなどが導入済みですが、まだまだ少数派です。
米国で2000年頃に発覚したエンロンやワールドコム事件などの巨額会計不正では、過年度の決算が修正されました。その結果として役員に対する業績連動報酬が過大に支払われたことが問題になりました。
これらの事件の後に成立したのがSOX(サーベンス・オクスレー)法です。この法律では、修正の対象となった財務諸表の公表後12ヶ月間に受領したボーナスとインセンティブ報酬のすべてについて、会社に返還請求することができると規定されています。対象となる役員はCEOとCFOに限られ、返還請求はSECが行うことになっています。
リーマンショックの後に成立したドッド・フランク法では、このクローバック制度をさらに強化するため、次のような強化策を規定しました。
 SOX法ではCEOとCFOだけに限定していたが、現職と退職した役員のすべてを対象とする
 SOX法では返還請求できるのがSECだけであったが、会社からも返還請求できる
 SOX法では修正された財務諸表公表後12ヶ月間に受領した報酬としていたが、これを3年間とする
このように法律で規定されたにも関わらず、その運用規則(SEC規則)が棚上げ状態になり、同法のこの条項は施行されていません。これはトランプ大統領が規制強化に消極的であるためと言われています。
なお、日本が手本とした英国のコーポレートガバナンス・コードでは、2018年の改訂において、クローバック条項が原則化されました。これによりクローバック条項を導入していない会社は説明(エクスプレイン)が必要となります。

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■ 4.日本でのクローバック条項の課題

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役員報酬が高額化するに伴い、日本でもクローバック条項の導入が進んでいくと考えられます。ただし、次のような課題があります。
まず、日本の上場会社の役員報酬は、一部の外国人役員を除いてそれほど高くありません。売上高1兆円以上の会社では、米国のCEO報酬の中央値が15.7億円である一方、日本の場合は1.4億円(デロイトトーマツ2018年度調べ)で、約11倍の差があります。役員報酬を全額返還してもらっても大した金額にはなりません。
次に、業績連動報酬の構成比が日米で大きく異なります。米国の大企業では役員報酬の約9割が業績連動報酬ですが、日本の売上高1兆円以上の会社でも約半分です。日本では報酬総額が欧米に比べて少ないだけでなく、クローバックの対象になる業績連動報酬がさらにその半分以下というのが現状です。
業績連動報酬は、コーポレートガバナンス・コードにおいて原則化されていますので、多くの上場会社がこれを導入しています。しかし、その算定基準がはっきりせず、実質上、社長の一存で役員賞与やインセンティブ報酬を決める会社もあるようです。算定根拠がはっきりしていない状況では、クローバック条項を導入したとしても、明確な根拠をもって返還額を算定することができません。その結果、役員報酬の返還も形だけになる可能性があります。
最後に、税法上の課題もあります。役員報酬を返還した場合、役員が過去に支払った所得税が還付されるのか、会社側で過去に損金とした役員報酬が法人税法上どのように扱われるのかが問題になります。これまで事例がほとんどないことから、税務当局の取り扱いは将来決まることになると思います。
このような課題のあるクローバック条項ですが、日本においても、取締役の無謀な投資や粉飾決算に対して、一定の抑止力になることが期待できると思います。ただし、日本では役員の高額報酬が社会問題化するところまで行っていないことから、クローバック条項の導入は企業に任され、当面、コーポレートガバナンス・コードにおいて原則化されることはないと思われます。

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